みんなと同じ机で、みんなと同じ課題に取り組む。みんなが納得する答えが期待され、正解と不正解には明確な境界線がある。そこで学ぶことが苦しいとき、どうしたらよいのだろう。学校で、職場で、そんな思いを感じた経験があるすべての人に届けたいのが、今回のミモザなひと・岩崎ひとみさんの言葉。

「ひとりひとりに合った学びの方法がある」

そう信じ、プルデンシャル生命はじめ複数の金融機関でビジネスの経験を積んだのち、新潟で「Global Tree International School」を開校した。現在は全国で5校を運営。子どもたちが母国語のように英語を学び、個性を伸ばすカリキュラムを強みとする岩崎さんの学校は、キャンセル待ちが出るほど人気がある。

2025年春には、堀江貴文さんとの共同事業となる新学校の開校が都内で予定されており、確かな歩みを重ねていく岩崎さん。教育事業に変革をもたらす彼女は、自分の幼少期を振り返り「私、ちょっと変な子だったかも」とあっけらかんと笑った。

画像: ▲プルデンシャル生命時代の同僚、柴竜也さん(左)。当時、柴さんはライフプランナー、岩崎さんは営業事務スタッフとして同じ支社で働いていた。

▲プルデンシャル生命時代の同僚、柴竜也さん(左)。当時、柴さんはライフプランナー、岩崎さんは営業事務スタッフとして同じ支社で働いていた。

今回のインタビューは、岩崎さんが「刺激と影響を受けた」と語るプルデンシャル生命時代の同僚、柴竜也さんも駆け付け、笑い声が響く中で行われた。そこで紡がれた言葉には、自分だけの道を見つけるためのヒントとパワーが溢れている。


学校には毎朝遅刻。怒らずに大笑いしてくれた家族

画像: 学校には毎朝遅刻。怒らずに大笑いしてくれた家族
―― 現在、最先端の教育事業に取り組む岩崎さん。ご自身は、どんな教育を受けて育ちましたか?

岩崎:「自分で考えて、自分で行動するように」が母の教育方針でした。何かを「しなさい」と言われた記憶はないです。私は小学校からほとんど毎日遅刻して登校していたのですが、それも怒られたことはなくて。「遅刻」という行為は自分で考えてやったことだからOK。早く準備が出来た日も、ちょっと公園に寄って遊んでから学校に行っていました。

友達と遊ぶ時も、友達と自分のやりたいことが違えば勝手に家に帰っちゃう。周りから見たらちょっと変な子だったかも(笑)。でも母は怒らず、私の行動にただ驚いて笑ってくれました。

―― 岩崎さんの自由な選択を、おもしろがってくれるお母さんだったのですね。

岩崎:はい。うちでは怒られるよりも、大笑いされてきた気がします。家族が笑ってくれたからなのか、人によっては怖い記憶になりそうなものも、私にとってはスリリングで楽しい思い出になっていることがよくありますね。例えば“ソリ・こっぱみじん事件”。

母方の実家が秋田にあって、冬に帰省すると毎日、近所のスキー場に両親と兄と雪遊びに繰り出していました。当時の私の夢は、スキー場の一番急なコースを、一番上から下までソリで滑り降りること。ある日の早朝、両親に起こされて、ついにその夢が叶うことになったんです。

私は父と一緒に、兄はひとりでプラスチック製のソリに乗って、足がすくむほど高い頂上からスタート。ソリは信じられないスピードで滑っていきました。ブレーキがないから自分で止まれないんですよ。想像以上の速さに「助けてー!止まってー!」と焦る父。大喜びの私と兄。最後は雪の塊に乗り上げて豪快にジャンプし、ソリは木端微塵です。兄はやわらかい新雪にソリごと刺さっていました。下で見ていた母は大爆笑でしたね。今でも、人生の中で一番楽しかった思い出です。

―― たしかに、体験する人によっては恐怖の思い出かもしれません……(笑)。笑顔の絶えないご家庭で育った岩崎さんですが、ご家庭の外ではどう受け止められていましたか?

岩崎:学校ではよく怒られていましたよ(笑)。でも先生たちは「ぞうきんがけで廊下を往復したらなかったことにしてやるぞ」と言ってくれて、私の行動を制限するような指導はしなかった。

私は「誰かに怒られるからやめよう」「制限があるから行動を変えるべき」といった感覚を持たずにここまで生きてきたなと思いますが、それは家族や、周りの大人があたたかい目で見守ってくれたからだと思いますね。

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