オリエンタルラジオの中田敦彦さんが絶賛し話題となった本、『転職 2.0日本人のキャリアの新・ルール』(SBクリエイティブ)の著者、村上臣さん。学生時代に「電脳隊」を共同起業した後、90年代の就職氷河期に大手コンサル企業に新卒入社した。
そこから軽やかに転職を重ね、2012年からヤフー株式会社の執行役員兼CMOを務めたのち、2017年にLinkedin(リンクトイン)の日本代表に就任。40代で新境地である外資系企業への転職を果たし、今もなお複数のスタートアップの戦略・技術顧問も務めるなど流動的にキャリアを築き上げている。
そんな村上さんは、子育てやメンタルヘルスにおける自身の“当事者意識”によって、多様な働き方や働きやすい制度づくりを人一倍推進している経営者でもある。
幼少期の経験から今までのキャリア、ダイバーシティを尊重する環境整備の経緯、さらには転職アドバイスまで、村上さんの幅広いお話から、選択肢の多い現代社会を生き抜くヒントを得たい。
自分を動かす圧倒的な当事者意識
村上:当時、「男性社員の育休は、夫婦共働きの場合に使うもの」という雰囲気が社内を覆っていました。僕も使いづらくて……ならば、自分で有給を貯めるしかないと、出産予定の1年前からチームメンバーに宣言し、実行しました。
僕も妻も実家には頼れない事情があり、もうやらざるを得ない状況で。新生児の面倒を見るのは、妻一人ではさすがに無理です。だから「自分がなんとかしなくては」という、圧倒的な当事者意識を持っていましたね。
村上:妻と一緒に子育てができたことは本当に良かったですし、子どもが成長してもずっと“当事者”だという意識があります。育児参加というよりも、「そもそも子育てって2人でやるものでしょ」と思っていますね。
先ほどのLGBTQ+の話もそうですが、当事者意識を持つと視点がガラリと変わるんですよ。自分が体験できることなら自ら進んで当事者になって、体験できないことなら当事者のすぐそばで同じ目線で物事を見ることで、視野を広げたほうがいいと思うんです。はたから見て「大変そう」と思うのと、実際に経験するのでは、やはり雲泥の差がある。
今は部下にも全員、育休取得を強くおすすめしています。人生においては、仕事よりも大事なものがあるはず。人生を共にすると決めた人がいるならば、大きなライフイベントはパートナーと一緒に経験したほうがいい。それは、極めて自然なことだと思っています。
村上:僕は、29歳でうつ病になったんですが、当初はその事実を受け入れられなかったんですよね。「若くて元気な自分が、どうして?」って。正直それまでは、うつ病は特定の傾向を持った人がなるものと思っていたふしもありましたし。
ですが、実際に自分が当事者となったことで、「うつ病は決して特別なものではなく、誰しもがかかる風邪のようにごく一般的なものなんだ」というふうに、視点が変わったんです。
「自分は大丈夫だ」というバイアスが外せましたし、部下の小さな変化にも気づきやすくなりました。
転職に踏み切るにはゴール地点とのギャップを見極める
村上:僕はいつも「まずは、職務経歴書を書いてみましょう」とお伝えしています。それまで自分がどんな会社で、どんなことをしてきたのかを振り返って、自分の強みや伸ばすべきポイントを見つけるんです。
そして、できれば年に1回はアップデートしてほしいです。転職する・しないに関わらず自分の経歴書を用意しておくことで、いざとなった時にすぐ動けるんですよね。
ゼロから書くのは時間がかかるからこそ、チャンスが舞い降りてきた時にすぐ提出できると、他の求職者との差別化にもなると思います。
村上:経歴書を書くと、「次は〇〇をしてみたい」「現職では〇〇を達成するまでは頑張りたい」といったゴールがなんとなく見えてくるはずです。たとえ今の仕事が楽しくてやりがいがあるとしても、10年後にはネクストステップに進みたいという場合もありますよね。
今後別の業界・業種を目指したいなら、実際の求人を見て、必要なスキルや経験を確認しておくとゴールがより明確になると思います。
目指したいゴールが定まったら、次にゴール地点と現在地の“ギャップ”を洗い出します。たとえば、英語が必要な仕事を目指すならば、逆算して勉強を始めなくてはいけません。また、求人票に「営業経験3年」と書いてあったら、「もう1年は今の営業職を頑張ってみよう」と行動できる。もし目指すゴールが社内で叶えられることならば、上司に相談してみるのもいいですね。
ゴール地点と現在地点とのギャップが半分以上埋まってきたら、僕は転職に踏み切ると思います。
「目の前の人をハッピーにしたい」その想いがいまや1000万人超のスケールに
村上:40歳で外資系企業の「LinkedIn(リンクトイン)」へ転職する前は、念入りに準備をしていましたね。
18歳〜23歳で個人事業主や電脳隊で様々な仕事をして、その後ヤフーで開発リーダーや部長、執行役員、またソフトバンク子会社の取締役(ワイモバイル等)も経験しました。でも、30代後半まで「インターネット業界」にいながら、世界と繋がるグローバルなプロダクト開発は経験したことがないと気づいて。その結果、「40代はグローバルな仕事をしたい」というのが僕の目指すゴールになりました。
36歳で英語の勉強を始め、39歳で具体的にどうするか考え出しました。社内にも海外でのプロジェクトはありましたが、子どもの中学受験があったので日本で働きたかったんです。そんな時にLinkedInにご縁があって、40代にしてグローバルキャリアのチャンスを得たんです。
村上:めちゃめちゃ緊張しましたよ!海外経験ゼロで、外資のシニアポジションに応募したわけですから。
面接でうまく話せるか、採用になっても社内でうまく活躍できるか……。なにより外資系企業は“レイオフ文化”がありますから、成果が出せず即刻クビなんてことは避けなきゃと思っていました。
だからこそ、入念な準備をしました。面接で自分の強みをしっかり伝えられるようにトーキングポイントをまとめて、英語ができる友人と練習したり、外資系企業の経験がある友人に話を聞いたり。
その結果、おぼつかない英語ながら面接の場は盛り上がり、無事に入社できました。
村上:選択肢が多いからこそ、「自分は何にワクワクするか」に敏感になることが大切です。仕事は9割つらいものだと思っているので、1割だけでも楽しくないと耐えられません。
会社のビジョンが好き、社長がすごい人、サービスが好き、など何でもいいから、自分の想いと繋がる部分を見つけておく。それは同時に、「自分がどう生きたいか」を考えるきっかけにもなるんじゃないでしょうか。
自分の想いが通ずる会社があれば目指してみればいいし、無ければ自分で会社や事業を作ってもいいんです。今いる会社で見つけられたのなら、まだそこに居るべきかもしれません。
僕は、今だって特別大きな志はありません。でも、自分の持っているスキルや能力を使って目の前の人をハッピーにすることは、昔から変わらず好きなんです。
小学生の時に『お風呂が溢れないようにするブザー』を作って母が喜んでくれた経験から、1人よりは100人に、100人よりは1万人に喜んでもらいたい……とスケールが大きくなっていっただけで。そして実際、自分の作ったサービスが1000万人を超える人々に使ってもらえて、幸せの輪を拡大できたのだと思います。
それをさらに、日本から世界へと。原点にある想いは変えずに、これからもインパクトの広がりを楽しんでいこうと思います。
村上臣(むらかみ・しん)
青山学院大学理工学部物理学科卒業。大学在学中に仲間とともに有限会社「電脳隊」を設立。2000年8月、ピー・アイ・エム株式会社とヤフー株式会社の合併に伴いヤフー株式会社入社。2011年に一度退職した後、再び2012年4月からヤフーの執行役員兼CMOとして、モバイル事業の企画戦略を担当。2017年11月に9億人超が利用するビジネス特化型ネットワークのLinkedIn(リンクトイン)日本代表に就任。日本語版のプロダクト改善、利用者の増加や認知度向上に貢献し、2022年4月退任。株式会社ポピンズ及びランサーズ株式会社の社外取締役ほか複数のスタートアップの戦略・技術顧問も務める。主な著書に『転職2.0』『稼ぎ方2.0』(SBクリエイティブ)・『Notionで実現する新クリエイティブ仕事術』(インプレス)がある。
取材・執筆:小泉京花
編集:野風真雪
写真:梶 礼哉