高校卒業→アメリカ→日本→ロンドン。
自分の興味の赴くほうを選んでいたら、今につながった

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――複数の仕事を持つことはパラレルワークと呼ばれ、新しい働き方として興味を持つ人も増えてきました。山中さんは、元から複業的な働き方を想定されていたんですか?

山中:“流れ”に乗ったらここに辿り着いたという感覚ですが、実は将来の仕事については、おそらく人よりも早く考え始めたほうだったんですよ。たしか中学時代に、母に村上龍さんの『13歳のハローワーク』という本を買ってもらったのがきっかけだったと思います。

当時は映画好きだったから、「自分は将来、映画にまつわる仕事に就く!」と自然と思うようになりました。そのせいか、高校の大学進学のガイダンスが僕にはしっくりこなくて……。
「やりたいことの方へ向かっていきたい。それは必ずしも大学進学とは限らない」という気持ちのほうが大きかったです。

――その後、アメリカの大学に進学されていますが、それは映画を学ぶためですか?

山中:いえ、映画を学ぶ学校は金銭的に厳しくて、諦めざるをえませんでした。「それでもアメリカに行って何かを学びたい」という一心で、映画とは関係なくニューヨークの片田舎にある大学に行くことにしました。

そこが、山に囲まれていてピザ屋とビデオレンタルショップが一つずつ、みたいな、かなりへんぴな場所だったんですよ。

――のどかでいい雰囲気そうではありますが……。

山中:いまとなってはそれもいいなと思えますが、当時は20歳だし、もっといろいろな刺激が欲しいじゃないですか。

それと、僕は大学1年目から専門的なことを勉強したかったけど、実際は一般課程が中心で、想像していた大学生活と少し違いました。そのうち、授業に出るよりも片道1時間ほどのマンハッタンに行って、ブロードウェイを観たり、色々な人に会ったりするほうが楽しくなってきて。

そっちにすごくお金を使ってしまい、滞在資金が底をついて卒業できずに帰国することになったんですけどね(笑)

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――この先、どうしよう……とはなりませんでしたか?

山中:そうですね。帰国時に成田空港に迎えに来てくれた母から「仕事はしなさいよ」と言われたことは覚えています。

でも僕にとっては、アメリカでの経験はとても良い刺激になりました。食事中でも知らない人が話しかけてきたり、名刺を渡されたり、それでご縁が繋がったり、そんな環境がとても好きでしたし。結果的には、それが語学習得の最短ルートになったという気もします。

そもそもマンハッタンに行ったのも、飛行機で隣に座った日本人の方がマンハッタンに住んでいて、話しているうちに「遊びに来なよ」って誘ってくれたのがきっかけで。マンハッタンに行くときは泊まらせてもらって、MoMA(ニューヨーク近代美術館)も案内してもらったな。

思えば、本当にいろいろな人と出会い、お世話になった時期でした。その時間は人生における財産だなと感じます。

――その後、ロンドンの美術学校へも留学されていますね。

山中:帰国後、いくつかのアルバイトを掛け持ちして働きましたが、先が見えなくて……。お金を貯めて、もう一度海外に行こうと思い、ロンドンを選びました。アメリカに行ったから、次はヨーロッパ、でもフランス語やイタリア語はわからないし、今から習得するのも難しい……ならば英語圏のロンドンかなと。元々イラストを描くことが好きだったので美術学校に通うことにしました。

ロンドン滞在中に、現地の友人から“絵本を作らない?”と誘われたことがきっかけで絵本に興味が湧き、それがいまの絵本の仕事に繋がっています。

――お話を伺っていると、とにかく山中さんの決断力と行動力に驚きます。自分で動くからこそ、そこにコミュニケーションが生まれて、ご縁ができていく。

山中:それは、アメリカ滞在中に学んだことの一つかもしれません。誰かの気軽な誘いに乗ってみて、それが面白い話になれば新しい世界が広がっていく。

だから、僕は何事も「まず乗ってみよう」って決めていて、きっかけをくれる人がいたら、あまり悩まずに一歩目を踏み出すようにしています。

「自分から動き出さないと何も始まらない」と思っていますから。

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