都心を中心に36店舗(2025年7月現在)を展開する、カスタムサラダの専門店「クリスプサラダワークス」。代表取締役社長の宮野浩史さんは「テクノロジーと人の力をかけ合わせて、日本の外食産業をもっと魅力的にしていきたい」と語る。ところが、彼はもともと外食産業に強い関心があったわけではないという。
もっといえば、人生を変えたアメリカ留学も、初めての起業も、お世辞にも自分の意思を強くもってやってきたとはいえない。本人も「なりゆきまかせで」と頭をかく。興味の赴くままに行動し、気づけば遠くまでやってきた。
「マグロみたいにずっと泳ぎ続けていないとダメな自分がいるのなら、社会をよりよくするためにそのパワーを使いたい」と笑う宮野さんに、これまでの道のりと仕事に向き合うマインドを聞いた。
カリスマと一緒に過ごしたくて、甘栗の事業をスタート

宮野:じつはこれまで関わってきたすべてのビジネスが、ヒントになっているんです。
僕はアメリカの高校を卒業して、まず甘栗を売るビジネスを経験しました。栗は日本では結構メジャーだけどアメリカでは全然見かけなかったから、アメリカに住む日本人を中心にめちゃくちゃ売れて。そのあと、帰国して日本で立ち上げたのがブリトー&タコスを売る店です。これは反対に、アメリカではメジャーだけど日本では見かけない食べ物。またも、懐かしい味を求めていたアメリカ人のお客さまにものすごく喜ばれました。
一方で、ブリトーとタコスをよく知らない日本人にはなかなかウケなくて……つまり、知らないものや非日常のものを新しい顧客に提供するよりも、もともとそれがほしくて求めている人に売るビジネスのほうが、うまくいきやすいなと。
それで、アメリカではあらゆる場所で見かけたけれど日本では少なかったサラダのお店がいいんじゃないかと考えました。と、もっともらしく言っていますけど、基本は自己中心的なんです。興味のない人に押し売りするより、喜んでくれるお客さまに届けるほうが、単純に僕が楽しいだけだから。

▲クリスプサラダワークスで提供するサラダ。シーズンメニューも豊富なため飽きることがない
宮野:もちろんです! 僕は日本で生まれ育ったのですが、高校受験に失敗して第一志望に行けず、入学した学校の雰囲気になじめなくてその高校を中退しています。中退後、アルバイトをしていたときに親から突然すすめられたのが、アメリカ留学でした。
母の知人が現地にいて、ホームステイを受け入れてくれると言う。父が単身赴任していたカリフォルニアに遊びに行ったことがあって、アメリカには「なんとなく楽しそうな場所」っていうイメージを持っていました。だから、じゃあ高校卒業の要件を取りに行こうかな、くらいのノリだったんです。いま振り返れば、お金もかかるのにそんな選択肢を提示してくれた親がすごいなと思います。
宮野:最初は不満に思うことばかりでした。そもそも家族以外の人と暮らすのもストレスだったし、英語もまったく喋れない。でも、新学期が始まるまでの数か月で語学学校に通い、英語のアニメを字幕で何度も見て、半年くらい経つころには「全くわからない」の状況は脱していました。
高校はクリスチャン系の小さなプライベートスクールで、すごくよかったです。音楽ひとつとっても、流行りの曲を聴いていないだけで浮いてしまうような日本と違って、生徒一人ひとりが好きなジャンルの好きな時代の曲を聴いている。クラスメイトにもいわゆる人気者っぽい子がいれば、オタクっぽい子も、体育会系な子もいるけれど、それぞれのキャラクターに上下関係や優劣はない。みんな同じじゃなくていいし、みんなフラット……いま思えば、まさに多様性を受け入れる環境だったと思います。その空気が、僕にはすごくフィットしました。

宮野:それが、あまりちゃんと考えていなかったんですよね。日本と違って進路指導みたいなものもないし、考える機会がなかったともいえます。なんとなく「せっかくアメリカに来たんだから、日本に戻って英語の教師でもやろうかなぁ」くらい。ところが、ホストファミリーの父親から「ここで天津甘栗を売るビジネスをやらないか?」と誘われたんです。彼は起業家でさまざまな事業を手がけており、もともと甘栗を扱っていたのですが、ちょうどポストが空いたそうで。
「やるなら事業責任者で、僕と取り分は50:50だ。僕は作業は何もしないけど、経営に必要なことは教えてやる」と言ってくれたから、チャレンジすることにしました。
宮野:いえ、とくにありませんでした(笑)。でも、甘栗屋では週末にバイトしていたからなんとなく事業の雰囲気はわかっていたし、ほかにすることもなかったし……何より、ホストファミリーの父親はカリスマ的な人で、当時の僕からみたら「事業をたくさん手掛けているカッコいい大人」でした。とにかくこの人と一緒にいたいなと思ったんです。