「あの人と出会って人生が変わった」。そんな出会いを、私たちは人生の中で何度体験できるだろうか。今回のミモザなひと、株式会社Sworkers(スワーカーズ)代表・坡山里帆(はやまりほ)さんは、人生を変える“いい出会い”を創り出し続けている。

新卒で株式会社サイバーエージェントに入社した坡山さんは、立ち上げ期のAbemaTV開発局を経て、藤田晋社長が自ら投資の意思決定を行う「藤田ファンド」の専任担当に抜擢された。自身の愛称から名付けた交流会「はやまりナイト」は、藤田社長と若手起業家の出会いを生み出し、計20社の投資を経験。数々のスタートアップ企業の発展に貢献してきた。

そんな坡山さんは現在、自ら起業したスタートアップで女性起業家を増やすプロジェクト『Project:F』を主宰する。“いい出会い”を生み出すことに心を燃やすその人生には、どんな出会いがあったのだろう。坡山さんの人生を覗いた今日が、あなたの「人生を変えた日」になるかもしれない。



7歳から発揮していた決断力。「起業家」という夢に向かう中で出会った上司、そして藤田ファンド

画像1: 7歳から発揮していた決断力。「起業家」という夢に向かう中で出会った上司、そして藤田ファンド
――2023年に株式会社Sworkersを設立し、起業家としての道を進んでいる坡山さん。ぜひ「はやまりさん」と呼ばせてください。

坡山:どんなシーンでも「はやまり」と呼ばれて来たので、そのほうが嬉しいです(笑)。ありがとうございます!

――まずはファーストキャリアからお伺いします。就職活動では何を軸にされていましたか?

坡山:スポーツ選手に憧れるような感覚で、「起業家」という存在に憧れていました。その気持ちから「いつか自分も起業したい」という夢をずっと持っていましたが、就職活動で目指したのは人事職。当時は、まず人と企業の出会いを生むことにチャレンジしたかったんです。

私の人生のミッションは「人との出会いを最大化すること」。人と人が出会うと、人生が豊かになる。誰かの人生を変えるような“いい出会い”を生み出したい。私のキャリアや生き方は、すべてここに繋がっています。

――はっきりとした意志のもと、道を選んできたのですね。

坡山:そうですね、幼い頃から意志は強かったです。小学校1年生のときには自分から「チャレンジしたい!」と思って、塾通いと中学受験を決めました。今でもチャンスの匂いがすると、挑戦する方向に決断しています。

でも、すべてを迷いなく決めているわけではなくて、よく脳内で“自分会議”を開くんです。心配性で内心ビビっちゃう自分と、チャレンジする理由を客観的に探す自分が話し合う。基本的に、客観的な自分が「チャンスだ」とか「世の中にすごいインパクトを与えるぞ」と、ひたすら励ましてくれます(笑)。そしてビビりな自分が腹をくくるって感じです。

就職活動でも、最終的な決断をするときは悩みました。サイバーエージェントから人事としてオファーいただきましたが、「本当にいいのかな」と迷いがあって。そんな時、所属していたゼミの先生に言われたんです。「はやまりがやりたいのは、事業を作ることじゃないの?」って。たしかに起業の夢から逆算するなら、事業の立ち上げ方を知ったほうがいい。人事のオファーはお断りして、同社で当時立ち上げ段階だったAbemaTV開発局への配属で入社することになりました。

――ゼミの先生の後押しと“自分会議”を経て入社したサイバーエージェントのAbemaTV開発局。実際のお仕事はどんなことを?

坡山:「AbemaTV」というとコンテンツ作りをイメージされるかもしれませんが、私がいたのはユーザーの皆さんが触れるアプリの開発部署です。

担当になったのは、プッシュ通知などから視聴人数の増加を模索する、いわば事業の中の一部分にとことんこだわる仕事。正直、入社前に目的としていた「事業を作る」こととはギャップがありました。私がイメージしていたのは、売上を追いかけて試行錯誤するような、事業全体の動きに関わることだったからです。でも仕事をする中で、一部にこだわって本気で向き合うことも事業にとって必要不可欠だという認識に変わっていきました。当時の上司のおかげです。

――ここでも、いい出会いで変化があったのですね。どんな方でしたか?

坡山:長年活躍されてきた方で、仕事に対して常に本気。自分の仕事はもちろん、私たち部下とも真正面から向き合う人でした。

特に私の意識が変わったのは、あるタスクでその上司から十数回とリテイクを出されたときのこと。何回書き直しても「やり直し」しか言われなくて。「本気か」と問われ、「本気だ」と思いながらも必死で考え続けました。上司は何時間も付き合ってくれて、やっとOKが出たとき、自分でもはっきりわかるくらい最初よりいいものになっていた。「本気のつもり」で、自分で限界を作っていたことにその時気づきました。今でもよく「今、本気で仕事できてる?」と自分に問いかけています。

画像2: 7歳から発揮していた決断力。「起業家」という夢に向かう中で出会った上司、そして藤田ファンド
――熱く、密度の濃い時間だったことが伝わります。その後も同部署で活躍するのかと思いきや、異動されたそうですね。ご自身の希望ですか?

坡山:そうです。1年目の終わりに、自分の成長曲線の上がり具合が鈍化してきたと感じるようになって。これは環境を変える機運かも、と考えてみたんです。いずれ起業したい私。でも、今はそれに必要なヒト・モノ・カネをどう動かすべきなのかまったくイメージできていない。もっといろいろな事業を見て、経営者と話せたら、夢にぐっと近づけるはずだと気づきました。

そして思い至ったのが投資部署への異動。それが叶うはずだったのですが、ある事件が起こりました。

――異動の希望が叶わなくなってしまったのですか?

坡山:いえ、投資に関わるという希望自体は叶いましたが、告げられた異動先は「藤田ファンド」。藤田社長が投資先を決定する体制で、既存の投資部署とは別の組織です。休止していた藤田ファンドを復活させるから専任担当になってほしいと、突然指名されました。

「はやまり、異動先、異動になったぞ」と先輩に言われたときは「異動先、異動」という言葉がよくわからなくて。役員室に呼び出されて、内心クビを言い渡されるのかと……(笑)

――驚きの展開でしたね。成長を求めていたとはいえ、入社2年目で社長直下の投資担当という業務にプレッシャーを感じませんでしたか?

坡山:プレッシャーは大きかったですね。何をやればいいのか、何が成果になるのかわからない中、自分で考えて動かなければならず、日々焦っていました。

でも何もわからなかったのがよかったかもしれないです。「業界的にはこのくらいのペースで投資する」みたいな基準に捉われることがなかったからこそ、投資が生まれるいい出会いを作ることをひたすら考えられたと思います。藤田社長とスタートアップの経営者の皆さんをつなぐことで、今でも尊敬している経営者の方々との出会いを得られた場所でもありました。

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