東京で働いていた時の私は、雑誌編集やウェブディレクターという職業柄からか、「何でもこなせる」のが良いと思っていた。逆に言えば、何でもこなせないと、職業的に失格だとさえ思っていた。
今振り返って思うと、その考えが行き過ぎて、自分を捧げ過ぎてしまっていたかもしれない。
13年前に台湾に移住し、ローカル企業で働き始めてまず驚いたのは、同僚の台湾人たちの自己と他者の境界線『バウンダリー』がはっきりしているということだった。日本で主流の雇用形態がメンバーシップ型(=会社に合う人を採用し、その後職務内容を決定するシステム)であるのに対し、台湾はジョブ型(=職務内容に合う人を採用するシステム)であるという違いも関係しているのだろうが、新卒で入社してきた若い同僚でさえも、「それはそれ、これはこれ」という課題の分離ができている。
たとえクライアントや取引先、上司たちから無理な要求を突きつけられても、「それはあなたの問題であって、私の問題ではない」というニュアンスで線を引き、自分を守るということができている。それも、相手と対立することなく、かなりナチュラルに。それに実のところ、無茶を言っている相手側も「ダメもとでちょっとリクエストしてみただけ」という感じなのだ。
そんなわけで、大抵のことがこじれることなくスピーディに物事が動いていく台湾式の働き方に慣れるうち、私も『バウンダリー』を意識するようになっていった。
『バウンダリー』を意識し始めたことで大きく変わったのが、「誰かがほめられていると、自分が責められているように感じる」ことが全くなくなったという点だ。
過去の私は、同僚が上司からほめられていると、「それがうまくできていない自分はダメなんだ」などという気持ちになって、落ち込むようなことがよくあった。これを読んでくださっている方にも、こんな経験はおありだろうか。
『バウンダリー』を知った今の私の考え方は180度変わり、「その人にすごいところがあるように、自分にもきっと優れたところはある」と信じられるようになった。
「全部を自分ごとにして、苦しくなる必要なんてないんだ」
そう考えるようになったことで、仕事でもプライベートでも行き過ぎて自分の責任だと感じることが少なくなり、とても楽になった。
たとえば、日本から台湾に遊びに来た友人を食事やマッサージに連れて行く時。
これまでの私は「友人が楽しめているだろうか」ということにばかり気を取られ、一緒にマッサージを受けていても、友人のことばかりを気にして逆に疲れていた。
しかし、『バウンダリー』を知った今は、全く違う。
友人がその店のサービスを楽しめるかどうかは、友人と、その店の関係性の上で起こることで、私のことではないのだ。私が勝手に自分ごとにするのは違う。今の私は、自分が受けるサービスを存分に楽しんでいる。
最後に、私の人生に起こった『バウンダリー革命』の中で、最もインパクトを与えたことを紹介したい。それは家族との関係だ。
これまでの私は両親、特に母から言われたことにいちいち過剰に反応したり、反発してばかりいた。「心配だから」、あるいは「世間の常識的に」などという理由で母から投げかけられる言葉に苦しくなり、母を恨むようなことも正直あった。
それが『バウンダリー』を知った今は、違う対応ができるようになった。母が私を心配する気持ちは否定せず、感謝して受け入れながらも、「決めるのは自分だ」と線を引けるようになったのだ。母のことを否定せずに済むから、私自身も幸せを感じることができる。
「そうか。“相手から何を言われた”とか、“何をされた”は相手のことであって、すべては私の受け止め方次第だったんだ」
以前は何もかもに自分の責任を感じて窒息しそうになっていた私が、まるで森林で深呼吸をするように楽になった。子育てにおいても、子どもたちと自分を同化して捉えることなく、ほど良い距離感で接することができていると思う。
まだ修行中の身ではあるが、『バウンダリー』を引く練習を、今後も続けていきたい。そして、過去の私と同じような方がいたら、「一緒にどうですか」と手を差し出したい。
近藤弥生子(台湾在住ノンフィクションライター)
1980年生まれ。東京の出版社で雑誌やウェブ媒体の編集に携わったのち、2011年に台湾に移住。日本語・繁体字中国語でのコンテンツ制作会社を設立。オードリー・タンからカルチャー、SDGs界隈まで、生活者目線で取材し続ける。近著に『心を守りチーム力を高める EQリーダーシップ』(日経BP)、『台湾はおばちゃんで回ってる?!』(だいわ文庫)、『オードリー・タンの思考』(ブックマン社)など。