Z世代へのマーケティング・企画UXを専門とする「僕と私と株式会社」を創業し、CEOを務める今瀧健登さん。注目を集めるZ世代起業家の中でも、世代を代表するビジネスパーソンの一人だ。
ところが今瀧さんは、もともと起業家を目指していたわけではないという。学生時代は「自分が関わる人を幸せにしたい」という思いから教師を志したものの、現場の仕組みを変えるには民間から働きかけることが有効だと感じ、コンサルティング会社に就職。より早く、確実に教育業界の根幹に携われる自分になるため、そのかたわらで起業を果たした。
彼が追い求めるのは“自分を取り巻く幸せの総量”を増やすこと。そのマインドと、志を形にするための道のりをたどる。
教育を変えたいから、教師になることをやめた
今瀧:高校生のとき哲学に夢中になり、専門書やさまざまな名言集を読み漁っていた時期がありました。それで、あるとき「嫌いな人に『うざい』と言う暇があったら、好きな人に『好き』って言おう」という自分なりのモットーを掲げてみようと考えた。すると、物事のよい面に目を向けて、日々をより楽しめるようになってきて。きっと誰でも、自分が幸せになれる価値観に出会えたら心に余裕が生まれ、もっと生きやすくなるだろうなと感じました。
それで、自分の周りのできるだけ多くの人にそうした考え方を伝えるために、さまざまな子どもたちと出会い、Face to Faceで言葉を伝えられる教師になるのがよさそうだと思ったんです。
今瀧:まず、大学在学中から小学校の特別教員としてアルバイトをするうちに、教師の評価制度がうまくいっていないのではと疑問を感じるようになって。たとえば、いい授業をして感動を生んだとしてもプラスにはならないのに、学級運営がうまくいかないととたんにマイナス評価を受けてしまうことがあるように見えたんですね。それでは教育に対する教師のモチベーションが上がらないし、子どもたちの人生によい影響を与えるのも難しいでしょう。
でも、自分が教師として現場に入ったところで、すぐにその状況を変えられるような力は持てない。基本的には年功序列の現場ですから、その頂点にたどり着くまでにどれだけ時間がかかるかもわかりません。だったら、学校現場の仕組みに直接働きかけられるようなポジションを外から目指すほうが効率的だと考え、教育系コンサルティングの会社を志望しました。
今瀧:就活が終わってから卒業までの1年弱、どうしたら時間を有効に使えるかを考えて思いついたのが、自分の会社をつくってみることだったんです。それまで教育関係の勉強しかしてこなかったのに、春からはコンサルティングの仕事をすることになる。だったら経営や経済を学ぶべきだし、起業すればいやおうなしに経営も法律も営業も経理も体感できるだろう、と。だから、はじめは「この一年間で1円でも稼げればそれでOK」という軽い気持ちでした。
もともと僕はお花が好きで、花屋でアルバイトがしたいとまで思っていました。だから、「花×コンサル」の会社をつくり、お花にまつわる事業の営業代行やPRを請け負ってみようと。僕が名乗った「花クリエイター」の肩書きが珍しかったのか、徐々に仕事は増えていって。起業してから半年後には、大手レコード会社所属アーティストのMVでお花周りの監修をする……といった大きな仕事も任せてもらえるようになりました。
今瀧:僕自身にはそれほど特別なスキルはないけれど、「個性を掛け算してビジネスにつなげること」は得意なんだと思います。
たとえば「お花」単体だったら、僕より詳しい人は山ほどいます。でも、そこにDXや写真、映像といった自分のできることを少しずつ掛け合わせたら、僕だけの武器が生まれていく。臆せずさまざまなチャレンジをすることでコミュニティが生まれ、次はそのコミュニティ内にいる人のアイデンティティも活かして仕事ができるようになり……というように、自分や周りの得意を繋ぎ合わせて仕事をしていたら、いつの間にか輪が広がっていきました。経営や経済を学ぶという、起業した目的も充分に果たせたと思います。
今瀧:お金だけで見れば、自分の会社を続けていたほうがずっと稼げたのですが、会社員にもなってみないとどっちが面白いかわかりませんから。予想していたとおり、組織に入ったからこそ得られた経験は多かったです。自分の会社とは桁が違う規模のプロジェクトに携わったり、組織マネジメントのやり方を間近で見ることができました。
「教育に携わって幸せな人を増やしたい」「そのためにも教育現場を変えていきたい」といった思いも、就職してさらに強くなりましたね。クライアントとして行政や教育委員会とやりとりするなかで、現場の改革に時間がかかることをひしひしと感じてしまい……。やはり、業界の外から教育に働きかけられる立場にのぼり詰めて、どんどんテコ入れしていかないと、自分が現役のうちには結果が出せないと思いました。
ところが、そのうちに新型コロナウイルスが流行し、本業はスピードダウン。リモートワークで思いがけず自由になる時間が増えたため、ふたたび起こした会社が、いま代表を務めている「僕と私と株式会社」です。