家では、“だらしないお父さん”でいる

―がんと診断されてから、ご家族との過ごし方も変わった部分があるのでしょうか。

幡野:とくに息子の話になってしまいますが、僕ががんと診断されたのは息子が1歳半のとき。1歳半だと、まだまだ教育という言葉には早いかもしれないけど、そのとき、僕は残された時間を息子への教育に全振りしようと思ったんです。

―どんなことを意識して教育されていったんでしょうか。

幡野:「自分で選ばせる」というのが、やっぱりすごく大事だと思います。

「選ばせる」というのは、つまり好きなことをさせること。例えば、食べるもの。ご飯は好きなものを好きなだけ食べて、お菓子も好きなときにいつでも食べられる。

わが家では、お菓子も、ジュースも、アイスも、常にフリーな状態にしてあります。でも結果どうなるかというと、まったくお菓子を食べないし、ジュースも飲まない。それどころか、お菓子もジュースも友達に「どうぞ」ってあげられる子になりました。

―いつでも飲み食いできるから、余裕がある……?

幡野:そうです。同じように学校に着ていく服も、家族での旅行先も、全部好きに選ばせる。要は、「わがままにさせる」ことがすごく大事なんです。

自分の好きなことをしていると、人って満足するじゃないですか。そうすると人に優しくなれるんです。

―幡野さんのご病気については、息子さんはどんなふうに捉えていらっしゃると思いますか?

幡野:どうなんだろう。あんまり気にしてはいないんじゃないかな。

息子や妻の前では、あんまり弱った姿を見せないようにしているんです。きっと親が苦しそうにしていたら嫌だし、心配になると思うんですよ。心配は不安につながるし、不安があると人は間違ったことをしてしまいがちだから、僕は息子にも妻にも心配させるような姿は見せたくない。

だから、普通にソファに横になってスマホ見てますし、「カードゲームやろう!」って言われたら僕も説明書読んで勉強しながらバトルして。家では、「親戚にいたら楽しそうだけど、自分の親だったらどうだろう?」くらいの、“だらしないお父さん”をやっています(笑)

―結構、意外です(笑)

幡野:でも、あんまりだらしないだけだと説得力もなくなるので、たまに本屋さんに行ったりして、「これ、お父さんの本だよ」「この写真、お父さんが撮ったんだよ」とかいうと、やっぱり子どもからすると「あっ!」ってなりますよね。

そうそう、『うまいけどダメな写真とヘタだけどいい写真』という僕の本の表紙は、息子が大好きな絵本作家さんに描いていただいたんですよ。妻と息子の姿を。それを息子に伝えたら目を輝かせて「お父さん、知り合いなの?」って聞かれたので「友達なんだよ」と。

―かっこいい……! 子どもからしたら、ヒーローじゃないですか。

幡野:すごい人っぽい感じをたまに出しつつ、家ではだらっとだらしなく。「お父さん、漢字全然書けないぜ!」とか、「お菓子、好きなだけどうぞ」とか、一般的な感覚からするとわりとダメなことを言うお父さんですけど、それぐらいのほうがいいかなって。

「お父さん、病気で死んじゃうから」っていう感じを出してたら、子どもはショックじゃないですか。「多発性骨髄腫で……」という話もまだ理解するのは難しいと思うんです。でも、魚や肉を食べるときには“命をいただく”ことの意味を教えたり、「誰でもいつかは死が訪れるものなんだよ」ということは、たまに伝えるようにしています。

This article is a sponsored article by
''.