人生と言葉は自分で舵を取る。意志を持った一石を投じたい

画像: 人生と言葉は自分で舵を取る。意志を持った一石を投じたい
―社会って、一朝一夕で変わるものではないと思います。発信を続けながら心が折れそうになることはありませんか……?

辻:もちろんあります!確かに時間はかかるものだと思いますが、でもオセロの角をとった時みたいに一気に変わる瞬間もあると思うんです。

例えば、以前「保育園落ちた。日本死ね」と書かれたブログが話題になりましたよね。あのブログを書いた方はたぶん社会を動かそうという意気込みで書いたわけではなくて、自分の気持ちをぽろっとこぼした感覚だったと思います。けれど同じ思いの人がたくさんいて、存在していたけどみえていなかった痛みが繋がって、大きな声になった。それがメディアや国会の質疑でも取り上げられて……待機児童問題の改善に向けて社会が動きました。

そういう瞬間があることを信じて、焦らずいろんなところに布石を打ちたい。だから自分の中に生まれた違和感を見逃さず、発信を積み重ねています。

―違和感を言語化して伝える……簡単なようで難しいことだと感じます。言葉を紡ぐ際に気を付けていることはありますか?

辻:主語を自分に変換することです。特にメディア取材では「若者世代の代表として」という大きな主語のコメントを期待されることが多いのですが、若者世代と一言で言ってもひとりひとり違うし、それぞれの考え方がありますよね。決してひとりの視点で全てを語れるものではない。でもみんなが等しく共有している今の時代のことを、私を主語にして述べることはできるから、「世代ではなく、私はこう思います」と答えるようにしています。

メディアのみなさまの期待に応えたい気持ちはあるのですが、私自身が発した言葉に責任が持てないのは嫌だと思っているので。それに、コメントもしかり振舞いもしかり、与えられた役割や期待に応える自分でい続けると、ふとした瞬間に自分の人生に自分で責任を持てていない状態になることもありうると思うんです。

―期待に応えすぎると、自分の人生の責任が持てないと。

辻:例えば私は世間に物申す「強い女性像」を期待されることが多いように感じるのですが、実際の性格はむしろ穏やかというか、緩いところがあるような人間だと思うんです。何かを期待されたらもちろんうれしいですし、応えられるよう頑張りたい。でも本来の自分と一致していないのに、他者から期待されるキャラクターや役割に応え続けると、本当の自分と乖離したところに行き着いてしまう。“女性なんだからこうあらなきゃ”みたいな性別による役割や期待も同じだと思うんですよね。

期待って良くも悪くも相手をコントロールしうるものだと思うので、一旦冷静になって、「その期待されている像は、私と一致しているか?」の答え合わせを都度やっています。結果的に応えない選択をしたとしても、いい意味で期待を裏切ってそのぶん自分らしい形で何かをお返ししたいという気持ちは持ちつつ、です。

―自分自身を見失わずに、言葉を紡ぐ。ちゃんと辻さんの意志がこもっているからこそ誰かに届いている気がします。

辻:届いているといいなと思います。「news zero」でも、専門的な視点を持った先生方と一緒に番組を作る中で、自分だから届けられる言葉ってなんだろうと、ときに悩みながらずっと考えてきました。ひとりの生活者として、視聴者と同じ目線で一緒に言葉を紡ぎたいという思いで向き合ってきたんです。

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