お金があることではなく、感性を磨く環境に恵まれていた
Shouta.:恵まれているとは思っていました。ただ、裕福であることが恵まれていることとイコールだとは思っていないんです。いわゆる「お坊ちゃま・お嬢様幼稚園」に通っていたから、そこに通う子たちは裕福な家庭の子が多く、お金があること自体は珍しいことではない。
じゃあ何が恵まれているのかというと、両親の感性が豊かな点だったと思います。ふたりとも日常の生活のなかでの「美しさ」や、物事の「本質」を大事にするんです。
たとえば自宅のことで言うと、カレンダーや筆記具などを目に付くところに置くのはふつうのことだと思うんですけど、僕の両親は生活感がでてしまうことに違和感を覚える。日程を確認したかったら手帳を使えばいいし、手帳ならカバンにしまっておけるでしょう、と。ペンも同様で、使わないときはちゃんと引き出しにしまっておく。そういう細かな美意識の部分に影響を受けてきました。
Shouta.:そうですね。裕福な環境で育ったことに感謝していますが、それ以外の部分を重視しています。高価な食事は美味しい、ハイブランドは良いもの、という判断をするのではなくて、安くても美味しいもの、良いものはたくさんありますよね。だから「お金じゃなくて、自分にとって本質的に良いものとはなにかを考えなさい」。まさにこれこそが、両親が僕に教えたかったことみたいです。
Shouta.:また、事あるごとに「お前は偉くないんだぞ」と言われていました。父はいわゆる“ボンボン”が嫌いなタイプで、お金持ちの親を振りかざすような子どもに育てたくなかったらしいんです。だから、僕に対しても「俺たちは親としてのエゴで、お前の望みを叶えてやる。だからといって、お前が偉いわけじゃない」と言っていて。
でも、そう言い聞かされてきたのは良かったと思います。そのおかげで勘違いしなくなったし、「いつか自分の力を証明してやる」と燃えるようにもなりましたから。
Shouta.:学校の課題も、親には手伝ってもらいませんでした。だって彼らが手伝ったら、そこに彼らの感性が介入してしまって、僕だけの力で作った成果物にはならなくなりますから。自分の力でやって、評価してもらいたかったんです。この競争心みたいなものを両親に煽られたのも、結果的には良かったんだなと感じていますね。