厳しい環境だったインターナショナルスクール時代

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――そもそもなぜ「スポーツ通訳士」になったのかを振り返っていこうと思います。幼い頃から外国語への関心が強かったんでしょうか?

小谷野:きっかけは小学1年生の頃。家族でカナダにホームステイをしたのですが、そのときの滞在先がカナダに住む日本人のご家庭でした。同世代の子どもたちが、おうちのなかでは日本語で話すのに、外では英語でペラペラ喋っていて、その姿がものすごく格好良くて。それが私にとっての外国語との出合い。そこから「私も英語が話せるようになりたい」と強く思うようになりました。

さまざまな国の人たちが参加するサマーキャンプにも参加していましたね。そこはあらゆる言語が飛び交う環境なんです。とても刺激を受けました。中学校に上がるときには自然と「インターナショナルスクールに通いたい」という思いが芽生えていました。

――その結果、日本国内にある「コロンビアインターナショナルスクール」に進学されるわけですね。英語が日常に飛び交う環境、飛び込んでみていかがでしたか?

小谷野:実は「Monday Tuesday」も書けないような状態で入学したので、最初は非常に苦労しました。自己紹介だって簡単にしかできませんでしたし。それでも徐々に慣れていき、1年ほど経った頃にはかなりの英語力が身に付いていました。

その当時のインターナショナルスクールって、帰国子女か、両親のどちらかがネイティブスピーカーじゃないと入れないところばかりだったんです。でも私はそのどちらでもなかったので、入れるところがない。そうして見つけたのがコロンビアインターナショナルスクールでした。そこは少し特殊な学校で、将来的に留学したい日本人を対象としていたので、生徒の8割は日本人でした。

ただし、先生はみんな外国人で、授業はすべて英語で行われます。休み時間などに生徒同士で日本語を使って会話することはありましたけど、基本的には英語。中高の6年間、もう必死で食らいつきました。

とはいえ、インターナショナルスクールって、入ること自体はそこまで難しくないんです。でも、卒業するのが難しい。途中で離脱して転校する子もいましたし、通信に切り替える子もいました。決して甘い環境ではありませんでした。

父親の影響で、「英語×スポーツ」の道へ

画像: 父親の影響で、「英語×スポーツ」の道へ
――ある意味、スパルタ的な環境でもあったんですね。でも小谷野さんは必死に勉強して、英語力を身に付けた。その後の進路としてはやはり「留学」が自然と見えてきたんでしょうか?

小谷野:そもそも私は、小学校の卒業文集に「将来は外国で働きたい」と書いていて。だから、留学は「夢」みたいなことではなく、自分の人生計画の一部として当然のことだと考えていました。

無事、インターナショナルスクールを卒業することが決まったので、大学はカナダにあるCamosun Collegeを選択したんです。そこで「スポーツマネージメント」を学ぼうと思って。

高校2年生になって、留学先をどこにしようか真剣に考え始めたんです。そのときに浮かんだのが「スポーツ」に関わることでした。

――どうして「スポーツに関わりたい」と思われたのですか?

小谷野:父の影響が大きいと思います。

父は40歳くらいからカーリングを始めるような人で、その前にもスキーや卓球などをしていましたし、テレビで流れるスポーツ番組はすべてチェックするような勢いのスポーツ好き。だから私も自然とスポーツに興味を持つようになって、テレビを見ながら父とよく話していました。

画像: ▲スポーツに関わるきっかけをくれたお父さまと(ご本人提供)

▲スポーツに関わるきっかけをくれたお父さまと(ご本人提供)

小谷野:なかでも忘れられないのが、2000年に開催されたシドニー五輪です。サッカーの試合で、ゴールキーパーの楢﨑正剛選手が顔面骨折のうえ鼻血を出しながらPK戦に挑み、そして最後は中田英寿選手がゴールを外して敗北した試合。勝ったわけではないのですが、その光景を見て、心に衝撃が走ったんです。「これがスポーツなのか」と幼いながらに最上級の瞬間に立ち会った気分でした。その瞬間はまさに私がスポーツ好きになったきっかけです。

先程「私はスポーツが好きだけど、得意ではない」と言った通り、私はとても運動音痴で、コンプレックスを持つほどスポーツが得意ではないんですね。だからこそ、そのサッカーの試合を見たときに非常に感動して、翌日、クラスの男子にサッカーについてあれこれ訊くくらい興奮していました。その後の2002 FIFAワールドカップも盛り上がりました。当時はインターナショナルスクールに通っていた頃ですが、授業を休止してクラスのみんなでサッカー観戦をしたんです。みんなが試合に夢中になっていて、そのとき、「スポーツの力」を強く感じたんですよね。そして、華やかな舞台でマックスのパフォーマンスを発揮するアスリートたちに憧れを感じて。

それから運動音痴ではあるものの、自分でもカーリングをするようになりました。そうしたらとても面白くてハマってしまって、月曜日から金曜日は学校で英語を学んで、土日はカーリングをするという生活が始まったんです。いま思うと、それが英語とスポーツを結びつける原体験だったかもしれません。

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