人生を「登山」にたとえてみよう。楽しく穏やかに進んでいけるときもある一方で、険しい道や高い壁が続くと、心が折れそうになる瞬間もある。そんなとき、一体どうしたらいいのだろう?

今回の「ミモザなひと」こと渡邊直子さんは、「登山家」。ヒマラヤにそびえる8,000m級の険しい山々に挑み、いくつもの記録を打ち立ててきた人だ。渡邊さんの目の前には、文字通り、何度も高い「壁」が立ちはだかってきた。それをどのように乗り越えてきたのか――答えは意外なものだった。

「無理してまで乗り越えようとはしません。でもそれでいいんです」

渡邊さんの生き方から、人生という山に挑むための心構えを学んでみたい。



山でなら自分を発揮できる。居場所を見つけられた気がした

画像1: 山でなら自分を発揮できる。居場所を見つけられた気がした
――3歳の頃からサバイバルキャンプなどに参加し、大自然のなかに身を投じる体験をされていたと聞きました。

渡邊:厳密に言うと、1歳の頃からかな。母は看護師で、障害児のための養育施設で働いていたのですが、そこの園長先生が毎年、森の中で過ごすキャンプを企画していました。私も母に連れられて参加していましたね。3歳からはひとりで参加するようになって、川で遊んだり、藁に包まれた納豆を作ったり、五右衛門風呂に入ったり、山に登ったりと、いろいろな経験をさせてもらいました。小学校に上がってからはアジアの子どもたちと一緒に野外体験をするようになり、中国の無人島で過ごしたり、内モンゴル自治区の草原縦走に参加したり……。そういう冒険のなかのひとつが、山登りでした。

――では、それが登山家としての原体験だったのでしょうか?

渡邊:そうかも。でも、明確に「山登りって楽しい!」と感じたわけではなくて、気がついたら登山が日常の一部になっていたという感覚ですね。パキスタンでの高所登山や、冬山登山に参加していたんですが、常に先頭を歩く大人のすぐ後ろをついていくような子どもでした。学校では背の高さも運動も一番じゃなかったけど、山のなかでそんなのは関係なくて。「山では自分の力を発揮できる」と感じられたことが、“好き”につながったのかなと思います。自分の居場所を見つけられた、というのに近いかもしれないです。

画像2: 山でなら自分を発揮できる。居場所を見つけられた気がした
――そういった体験をしていたから、自然と「登山家になりたい」と思うようになったんですか?

渡邊:いやいや、それはないです! 登山のためにスポンサーを集めるという発想もなかったですし、登山家になろうなんて考えもしませんでしたよ。

――それで選んだ仕事が、看護師。

渡邊:山とは全然関係ない仕事に。でも実は、もともと看護師を目指していたわけでもなくて。大学も水産学部でしたし。ただ、大学生のときに6,000m級の山に挑んだ際、たまたま登山チームの保健係になったんです。登山中、看護師のようなことをする役割ですね。私には慈悲の心がないから(笑)、向いていないと思っていたけど、意外にもそうでもなくて、看護師っていいなと思うようになって。それから看護大学に入り直して、看護師免許を取得しました。

看護師になったら、長期の登山はできないって思ってました。でも看護師として働いてお金を貯めれば、自分のお金で山に登るという生活ができると気づいて。途中から、企業から支援をいただいたり、クラウドファンディングで個人の方々に応援してもらったりするようになりましたが、今でも看護師の仕事は続けています。

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