その扉を開けると、静寂の中で時計の針が動く音がする。ここは今回のミモザなひと、独立時計師の菊野昌宏(きくのまさひろ)さんの自宅兼工房。部屋の中には色も形もさまざまな時計が置かれ、それぞれに意味を持つテンポで時を刻む。
部品・工程ごとに分業制で生産されるのが一般的な時計作りにおいて、独立時計師はそのすべてをひとりで担う。現役の職人は世界でたった40人ほど。そのうち、日本で初めてその職に就いたのが菊野さんだ。
こだわりは、ねじ、ばね1つとっても手で作りあげること。時計1本の製作にかかる時間は数年単位で、完成までのプロセスは果てしない。しかし、菊野さんはそのプロセスこそ愛おしいと語る。人生と時計作り、そのどちらにも重なるような菊野さんの哲学に迫ってみよう。
全部自分で作りたい。時計と出会って思い出した、幼い頃の情熱

▲菊野さんの作品の一部。これらはすべて試作品だという
菊野:そうです。設計からはじまり、部品の製作・組み立て・磨き上げまで僕ひとりで行いました。作り手である僕と、買い手であるお客さまの理想を織り交ぜて出来上がった一点ものです。まぁ、これらは試作品なので、完成品はすでにお客さまの手元にあるのですが……。
菊野:実物を見る機会はなかなかないですよね。当たり前ですが量産はできませんし、完成したらすぐにお客さまの手に渡る。時計好きの中でもディープな世界だと思います。
僕も他の独立時計師の作品に出会うと、毎回新鮮で感動しますよ。僕の場合は、感動の後に「欲しい」より「作りたい」の気持ちが湧き上がってくるので、そこはやっぱり根っから作り手なんだなと思います。
菊野:物心つく前から興味を持っていたみたいですね。お気に入りのおもちゃは、積み木やレゴブロック。説明書の手順通りに作って遊ぶのも好きでしたが、僕はその手順を見ずに、完成形をみて自分のやり方で再現する遊び方が特に好きでした。手順をみて作るだけだと満足できなくて。
菊野:そうですね。でも、高校生になって進路を考え始めたくらいから心境に変化がありました。大人のものづくりの広大さ、複雑さを知ったんです。自動車も、身の回りの機械も……分業や機械化が進んでいて、全部を自分では作れない。でも、それじゃあおもしろくない。ものづくりへの気持ちがしぼんでいく感覚がありました。
自分がやりたいことが見つからない……そんなとき、友人が自衛隊の説明会に誘ってくれて、自衛隊の中には整備の仕事もあると知りました。それは興味があるなと。だらだら過ごしている自覚があったので、厳しい環境に身を置いてみるのはいいかもしれないとも思いました。渡りに船のような思いで入隊を決め、その後は厳しい訓練を受けながら銃などの武器整備をする毎日を送りました。

菊野:ある日、上司が「かっこいいだろ!」と新しい腕時計を見せてくれたことがきっかけでした。その時計の値段はなんと30万円。当時、自衛隊の売店で売っている1000円のデジタル時計をしていた僕にとっては、雷が落ちるような高級時計でした。「僕の時計と上司の時計は何がそんなに違うんだろう」と気になって、時計雑誌を買って読み、小さい盤の中で複雑に歯車がかみ合って動く、いわゆる「機械式時計」というものを初めて知って。時計は電池で動くものと思っていたので、驚きました。
そして雑誌を購読するうちに、「独立時計師」の特集に出会いました。複雑で精巧な腕時計を、たったひとりで作る職人です。「なんだ、その仕事!そんなことができたら絶対に面白い」と衝撃を受けて。一方で、5年ほど続けていた武器整備の仕事には、物足りなさを感じていました。ある程度訓練した人なら誰でも整備できないといけないので、マニュアル化されていて、個人の技術に頼った調整はよしとされていなかったからです。
菊野:あの頃の気持ちが再燃しましたね。自分で工夫して、何かをまるごと作ってみたい。その欲求に背を押され、自衛隊を辞めて時計作りの道を一から歩もうと決意しました。ただ残念なことに、国内には時計の作り方を教えている場所がなかったので、まずは今学べることから学ぼうと、時計修理の専門学校へ入りました。