「私を一言で表すのなら、有言実行。掲げた目標は絶対に叶えないと気が済まないんです」

今回の主人公、プルデンシャル生命でセールスマネージャーを務める福地美穂さんは、凛とした表情で自己分析する。ともすれば慢心にも聞こえてしまう発言だが、そこに行動が伴ったとき、周りの目線は尊敬に変わる。

出版社、広告代理店で培ったスキルをフル稼働させつつ、挨拶やレスポンス、相手への気遣いといった基本的な行動を大切にしてきた福地さん。苦境にあっても自分を信じる気持ちを原動力にして夢を叶え、着実に歩みを進める彼女のこれまでの人生を辿ってみたい。

プロフィール 福地美穂(ふくち・みほ)

東京都渋谷区生まれ。大学在学中に、人気女性ファッション誌の編集部でアルバイトを始め、学生ライターとして活動する。卒業後も同編集部に約4年間在籍。最大手の広告代理店を経て、2017年にプルデンシャルに入社。2022年から夫の転勤に伴って札幌に転居し、同社のセールスマネージャーに就任。




人生初の苦い経験が、その後の人生を変えてくれた。

画像1: 人生初の苦い経験が、その後の人生を変えてくれた。

「両親は、習い事や学業、進路についてほとんど口を出さず、自由に育ててくれた」と振り返る福地さん。小さいころからなにをやってもうまくこなせる優等生だったが、人生における始めての苦境は、大学受験で訪れた。高校3年生という大切な時期に、家庭環境の変化で受験勉強に集中できず、第一志望の大学への合格が叶わなかったのだ。

「勉強はできる方だったんですが……。ふさぎ込んでいた時期に家族から勧められ、受験が間に合う女子大の文芸メディア学部への進学を決めました。正直、どこの大学でも同じだなって」

しかし、挫折とも感じていたこの進路変更が、後の人生を劇的に変えることになる。

進学した女子大の校舎の隣には、当時全盛期だった女性ファッション誌Xを発行する出版社の自社ビルがあった。カルチャーの発信地である渋谷で生まれ育った福地さんが、ファッションやメイクに興味を持つのはごく自然なこと。X誌も高校生のときから愛読していたという。

「大学1年生の春、X誌の編集部が学生アルバイトを募集していることを知り、すぐに応募しました。幸運にも何百人もの応募者の中から選ばれて、編集部でアルバイトを始めたんです」

画像2: 人生初の苦い経験が、その後の人生を変えてくれた。

半年後には学生ライターに抜擢され、企画から取材、ライティングまで一任された。大学の授業には必ず出席し、授業の合間や放課後などの空き時間は編集部で過ごす。1日フル稼働で学び、働く日々が続いた。

「憧れの雑誌に携われることが本当にうれしくて……もう夢中で働いていました。その反面、サークル活動や友人たちと遊んだ記憶がまったくないんですよね(笑)」


大学卒業後も、そのままX誌編集部に所属。美容担当として、化粧品のページを任された。充実感を味わう一方で、仕事に追われ続ける毎日だった。徹夜は当たり前、自宅に帰れるのは週に2・3日、編集部に寝袋を持ち込んで仕事をする日々。それでも福地さんはその環境を前向きに捉えていた。

「読者に商品の魅力を届ける企画を立て、コンテンツを制作する過程で、『人に何かを提案する』という喜びを知りました。あれほど仕事漬けの日々は人生で二度と訪れないと思うほどの激務で……。だからこそ今でも、『あの過酷な日々を乗り越えた私ならなんだってやれる』と思えるんです」

多忙であってもミスをしない、締め切りを守る、決してクオリティを落とさない。

仕事に対する責任感や目標の持ち方、それに向かって努力する姿勢は、この編集部時代に培われ、社会人としての礎になっていった。


「いつか必ず……」。胸に誓っていた広告代理店へのリベンジ。

画像1: 「いつか必ず……」。胸に誓っていた広告代理店へのリベンジ。

X誌編集部で4年ほど働いた頃、福地さんは次のステップを考え始める。女性誌の編集は憧れの職ではあったが、大学時代に経験した悔しい思いがずっと胸に引っかかっていた。

「大学時代の就職活動で、広告業界最大手のY社を志望しましたが、3次面接で落とされたんです。Y社の面接時の名札は、名前と同じくらい大きく“大学名”が記載されていて、実力よりも学歴なのかと悔しくて……。社会人になってから、必ずリベンジすると決めていました」

中途採用で再びY社の門を叩いた福地さん。雑誌編集部時代の経験を買われ、興味を持ってもらうと、面接の場で「大手化粧品会社Zの担当にしてほしい」と直訴した。

「ファッションやメイクも大好きですが、昔からそれらの広告も同じぐらい好きで。小学生のころに流れていた化粧品ブランドのCMをいくつも覚えているし、『このCMはどうやって作るんだろう?』と、クリエイティブにも興味津々でした」

せっかく広告代理店に転職するなら大好きな化粧品業界に携わりたい。
今の私ならそれができる――。

「だから面接では、『担当できなければ、入社する意味がない』と伝えました」

画像2: 「いつか必ず……」。胸に誓っていた広告代理店へのリベンジ。

Y社入社後は、熱望した化粧品ブランドの専属営業担当となった。プレッシャーのかかるポジションだったが、福地さんは細やかな気配りと提案力で信頼を獲得していく。

資料につける付箋一枚の貼り方や書き方までこだわり、クライアント側にもその丁寧な仕事ぶりを評価された。先方の担当者の多くがワーキングマザーと気づけば、時間的な負担を減らそうと、端的なコミュニケーションを心掛け、業務のカバーも積極的に行った。

そんな地道な努力で信頼関係を構築し、本来は営業職の担当外である制作業務も一部任されるようになったそうだ。

「タイアップ記事や広告の最終チェック、書籍の発刊まで任せていただいて、クリエイティブ側の仕事も経験できました。就職活動では悔しい思いをしましたが、今思えば出版社で女性誌の経験を積んだからこそ、『広告制作に携わりたい』という幼い頃からの夢が叶ったんです」


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