誰もが「ちがう」想いや悩みを持って⽣きています。でも、もしかしたら誰かが導き出した答えが、あなたの答えにもなるかもしれません。「根ほり花ほり10アンケート」では、さまざまな業界で活躍する“あの人”に、10の質問を投げかけます。今回は、医療記者・オンラインメディアの編集長をされながら、イタリアンレストランでアルバイトもされている岩永直子さんが登場。きっと、「みんなちがって、みんなおんなじ」。たくさんの花のタネを、あなたの心にも蒔いてみてくださいね。


画像1: 岩永直子さん(医療記者・Addiction Report編集長)の「根ほり花ほり10アンケート」

岩永直子

東京大学文学部卒業後、1998年4月読売新聞社入社。社会部で事件担当や厚労省担当、医療部記者を経て2015年に読売新聞の医療サイト「yomiDr.ヨミドクター」編集長。2017年5月、BuzzFeed Japan入社、BuzzFeed JapanMedicalを創設し、医療記事を執筆。2023年7月よりフリーになり、「医療記者、岩永直子のニュースレター」など複数の媒体で医療記事を配信している。2024年1月、国内初の依存症専門のオンラインメディア「Addiction Report」を創設し、編集長に就任した。イタリアンレストランでもアルバイト中。2024年日本ソムリエ協会ワインエキスパート取得。著書に『言葉はいのちを救えるか? 生と死、ケアの現場から』(晶文社)、『今日もレストランの灯りに』(イースト・プレス)。


①今の仕事に就いた経緯は?仕事のやりがいや楽しみは?

大学時代に父が重いがんになったことがきっかけで、死に強い恐怖を感じるようになり、死を目の前にした人が何を感じているのか知りたくてホスピスでボランティアをしました。そこで忘れられない出会いがあり(著書『言葉はいのちを救えるか』の前書きに書いています)、生死の現場を自分の目で見聞きする職に就きたいと医療記者を志すようになりました。

読売新聞に入って最初は事件ばかり担当し、11年目にやっと医療取材の部門へ。HPVワクチンの報道を巡ってワクチンに反対する人の意見を尊重した会社と折り合わず、オンラインメディア、BuzzFeed Japanへ転職しました。そこで医療部門を設立し、しばらくは自由に記事が書けていたのですが、経営方針の変更でニュースチームが解散せざるを得なくなり、独立しました。そのタイミングで国内初の依存症オンラインメディアを創ろうと声をかけられ、2024年2月にAddiction Reportを立ち上げて今に至ります。

記事を書いていて嬉しいのは、読者から「記事を読んで励まされました」「この記事を読んでワクチンをうとうと決めました」などと、記事が何らかの力になったと伝えてもらった時。自分が拾い集めて発信した言葉が、誰かの心を動かしたのだなと実感すると、また頑張ろうと思えます。


②これまでの自分の人生にキャッチコピーをつけるなら?

画像2: 岩永直子さん(医療記者・Addiction Report編集長)の「根ほり花ほり10アンケート」

「喧嘩上等」。

良くも悪くも頑固者で喧嘩っ早い。そのせいで色々な人に嫌われ、自分の仕事の可能性も狭めてきたと自覚はしています。それでも、こんな生き方しかできないと開き直っているところがあります。

医療報道は人の命や健康がかかっているので、重い責任があります。記事をめぐる判断でたびたび上司や取材先と対立してきましたが、「科学的根拠に基づく」「読者に対して嘘はつかない」など、記者として大事に思う価値観は絶対に曲げない方針で記事を書いてきました。

また、私は「ゴングが鳴る」と呼んでいるのですが、障害や病がある人が差別される案件や、誰かがずるいことをして真面目に生きている人を馬鹿にしたような案件があると、戦うスイッチが入ります。正義感というよりも、とにかく威張って、みみっちく権力を振りかざしている人間が気に食わない。ペンの力で戦ってやると気合が入ります。

この「喧嘩上等」な性格のせいでこれまで、会社から処分を食らったり、医療部門から外されそうになったり、殺害予告や誹謗中傷を受けたりしてきました。一方で、自分が好きな人たちはそんな私を応援もしてくれるので、悪いことばかりでもありません。きっとこのままの性格で記者人生を全うするのだと思います。


③今までに人生の分かれ道に立ったとき、どう考えてどう決断してきた?

自分がどうしても我慢できないことを強要されそうになったり、自分の人生の主導権を他者に奪われそうになったりしたら、そこから立ち去るようにしています。

医療の取材をしているので、治らない病になる人、若くして亡くなる人にたくさん出会ってきました。限りある人生、どうしても逃げられない運命はあるのだから、逃げられる理不尽さからは逃げてしまえと思っています。自分を曲げてまで我慢はしない。それができる自分でいられるように、自分の人生の拠り所を複数持つことを意識しています。


④休日明けの朝、仕事に行きたくないと感じることが多いです。そんなときどうしますか?

学生時代から、サボるのが得意です。子どもの頃は体温計をこすって熱を上げるテクニックを磨いて学校に行くのをサボり、サラリーマン記者時代はどうしても仕事に行きたくない時は、家で寝ていることもありました。一人で外を回る仕事が多い記者という職業だからできたことかもしれません。だいたい気分が乗らない時に出勤しても、あまり大した仕事はできません。心身を甘やかせと自分の中の野生がサインを送っているのだと、都合よく解釈してきました。

今はフリーランスになって時間を自由に使えるので、いつでもサボれるのですが、そうなるとあまりサボる気がしなくなったのが不思議です。組織で働くのが向いていなかったんだなと、改めて気づきました。頻繁に「仕事に行きたくない」と感じるならば、転職したり、会社を辞めてしまったりするのもひとつの手かもしれません。


⑤仕事において、やりたいことや目標がみつかりません。そんな自分はダメでしょうか?

私の場合、やりたいことや目標は、毎日淡々と目の前の仕事をこなしているうちに、なんとなく降ってきたものばかりです。先に「やりたいこと」や「目標」があったわけではないのですよね。

現在の依存症専門のオンラインメディア編集長という職も、取材しているテーマの一つに依存症があり、その記事を読んでくれていた人が一緒にやらないかと声をかけてくれてきたものでした。イタリアンレストランでのバイトの日々を『今日もレストランの灯りに』という本にできたのも、慣れないバイトに真剣に取り組み、変わり者のシェフやバイト仲間、常連さんとぶつかり合った日々をブログに書いていたら「本にしませんか?」と編集者から声をかけてもらったんです。ワインエキスパートの資格を取るという目標も、レストランでの接客のバイトに真剣に取り組んでいるうちに、もっとプロの仕事をしたいと考えるようになって生まれた目標です。その目標を達成する過程で、もっとワインの勉強をしたいという欲が生まれ、さらにソムリエのいるもう一つのレストランでも働くことになりました。

画像3: 岩永直子さん(医療記者・Addiction Report編集長)の「根ほり花ほり10アンケート」

持論ですが、目の前の小さなことに手を抜かずに取り組んでいると、単調に見えたその仕事の中に面白さを見出せるようになります。そして、その積み重ねが次のステージに自分を連れて行ってくれる気がしています。自分が意識していなくても、そんな姿を見てくれている人がどこかにいて、その人が新しい扉を開いてくれることもあります。

やりたいことや目標がなければ、まずは目の前の一見つまらないように見える日常に愚直に取り組んでみるのはどうかなと思います。


⑥将来に対して漠然とした不安を感じてしまいます。どんなマインドを持てばいいのでしょうか?

フリーランスになって安定する収入もなく、貯金も少ないし、喧嘩っ早くて人間関係がうまく築けない性格です。不安といえば不安だらけ。それでも、本業の記者の仕事以外に、飲食店で接客のアルバイトを始めて、「野垂れ死ぬことだけはないんじゃないか」と思うようになりました。

記者の仕事で行き詰まっても、副業のレストランでの人間関係で救われ、レストランでシェフと喧嘩すれば、本業の仕事で読者に感想をもらうことで救われ、どちらの仕事もうまくいかない時は、行きつけの居酒屋で店主や顔見知りの常連さんと話して気分転換をすることもあります。ワインエキスパートの資格の勉強で親しくなった仲間に仕事や人間関係の愚痴を聴いてもらって、憂さを晴らすこともあります。

私の場合、将来に対する不安は、経済的な不安定さや親しい人たちがいなくなって孤独になることへの不安です。収入源も人間関係も複数の場所を持つことで、なんとなくどうにかなるという自信が芽生えてきました。

「自立とは、依存先をたくさん持つこと」という、医師の熊谷晋一郎先生の有名な言葉があります。バイトでも趣味の場でも頼れる場所や人間関係を広げていく。関係を深めていく。それが漠然とした不安に対し、根拠のない安心を生む一歩ではないかと思います。


⑦時間とお金の使い方のこだわりを教えてください!

画像4: 岩永直子さん(医療記者・Addiction Report編集長)の「根ほり花ほり10アンケート」

私は時間の使い方が非常に下手くそで、締め切りギリギリにならないと原稿を書く気が起こらないし、休みの日はダラダラと寝たまま夕方になってしまったこともよくあります。やっちまったなと思いますが、心身は休めたしなと、後悔することはあまりありません。

ただ、30代後半の時、がんが再発して死を覚悟した同年代の女性を取材すると、不本意な人間関係を続け自分の生きたいように生きられなかったことを後悔していると打ち明けてくれたことがあり、それがとても心に刺さりました。それ以降、「やりたくないことに時間を使わない。合わない人とは無理して一緒に時間を過ごさない」ことを徹底するようになりました。そうし始めてから、人に自分の時間を奪われたように感じることは少なくなったと思います。

お金はあればあるだけ使ってしまう浪費家です。特によく使うのは本と飲み食い。

亡くなった父は「本は安いものだ。いくらでも買って読め」と本屋さんに連れて行ってくれては欲しい本を何でも買ってくれる人でした。そのおかげで私も本にお金は惜しまなくなり、読書が生涯の友になりました。

料理を作ることも、行きつけの居酒屋を飲み歩くことも大好きです。お金に余裕があるわけではないのですが、親しい人を自宅に招いたり、行き付けの居酒屋に連れていったりして、ご飯を一緒に食べながら語り合うことは人生の喜びの一つです。


⑧過去の自分にメッセージを送るなら?

「仕事なんて後からどうにでもなるから、会いたい時に会いたい人と会うことをためらうな。明日、その人はいなくなるかもしれないし、二度と会えなくなるかもしれないのだから、今すぐに会うことが大事だよ」

クヨクヨしながらも後悔することはあまりないのですが、親しい人が自死したことだけは、ずっと引きずり続けています。あの時、会いにいっていれば、あの時、何か言葉をかけていればと、「もしもあの時何かできていたら」をずっと考え続けてしまう。仕事でもなんでも放り投げて、会いに行っていたらよかったと、死ぬまで思い続けるのだと思います。


⑨将来どんな暮らし、生き方がしたい?

海の見える街で暮らしたくて、安いアパート探しを続けているものの、まだ実現できていません。ただ行きつけの居酒屋には一生通うつもりなので、東京で暮らすこともやめたくない。二拠点生活ができたらいいなと夢見ています。

一生、書く仕事を続けたいけれど、大好きな飲食業にももっと時間を割きたい。50歳前から飲食店に関わり始めて、ますますこの世界が好きになりました。ワイン仲間と、一緒にワインを気軽に飲める店を開きたいねと妄想しています。飲食業の厳しさは日々痛感していますので、夢のまた夢ですが。


⑩岩永さんにとって、「自分らしく働く」とは?

「自分らしく」ってどういうことなのか、この歳になってもよくわかりません。自分が何者かなんて、一人で考えていてもわからない。人と出会い、ぶつかっていくうちに、自分はこんなことに感動するのだな、こんなことが我慢ならないんだなと、自分の輪郭のようなものがおぼろげに見えてくる気がします。そしてそれは固定するわけでもなく、どんどん変わっていくものではないかと思うし、変わっていきたいとも思っています。

自分が一緒にいて居心地がいい人たち、なんだかわからないけど腹が立つ人たち、刺激を受ける人たち、高みにいてどこまで行っても追いつけない人たち、喧嘩してもなぜか気になる人たちなど、自分の人生に驚きや彩りを与えてくれる人とたくさん出会い、自分もどんどん新しい自分に出会える仕事がしたい。それが理想の「自分らしく働く」ではないかと今は考えています。



画像5: 岩永直子さん(医療記者・Addiction Report編集長)の「根ほり花ほり10アンケート」

キャッチコピーの「喧嘩上等」。岩永さんの芯の強さを感じます。医療記者を目指し、実際に記者になられた一方で、アルバイトもワインエキスパートの資格にも挑戦されている。「岩永さんはやりたいことや目標をはっきりとお持ちになってこられたんだろうな」と感じました。ところが、そうではなかったと⑤でご回答されています。意外に思ったと同時に「目の前の小さなことに手を抜かずに取り組み続けることで、新たなステージへ行ける」ことを教えていただきました。私もその姿勢で、チャレンジしたいことを見つけたいと勇気づけられました。岩永さん、素敵なご回答をありがとうございます!

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