女の人って“あほ”とはかなり距離がある。選んだのは「白」の師匠

画像1: 女の人って“あほ”とはかなり距離がある。選んだのは「白」の師匠
―― 落語家になることは心に決めていたと。しかし、大学卒業後は1年間企業勤めをされていますね。

二葉:弟子入りするのにお金はいらんけど、3年の修業期間の生活費は用意しとかなあかんと思って。親にもはよ家を出なさいって言われてたし、ひとまず就職してお金を貯めようと考えました。あとは、肝心な「誰に弟子入りするか」をまだ決められていなかったんです。だから働きながらいろんな人の落語を観に行って、師匠を探す期間でもありました。

―― コツコツと入門後の生活費を貯め、満を持して桂米二(かつらよねじ)師匠に弟子入り。「米二師匠に教わりたい」と思った決め手はなんでしょうか?

二葉:うちの師匠の落語って……ちょっと地味なんですよ。落語を初めて聞いた人にはあんまりインパクトがないかもしれません(笑)。でもそのくらい、自然なんです。ほんで、うまい!!

師匠探しでたくさん落語を聞く中で「女の人が落語やるの難しいんやろうな」と思って。子どもの時感じてたみたいに、やっぱり女の人って“あほ”とはかなり距離がある。なんとなく無理してる感じとか不自然さがあって、それがあほをやるにあたって最大の敵やと。だからうちの師匠の自然な落語に惹かれました。うちの師匠の落語は、色で言うと「白」って感じ。自分の言葉でしゃべってはって、でも自然で、聞けば聞くほどいい。観客として好きな師匠は他にもおるけど、自分がやると考えた時に、この人に教わりたいと思いました。

でも最初は「女の子は弟子に取られへん」と断られて。師匠も、まさか自分に女性の弟子が来るなんて思ってもなかったやろうし、当時の私はアフロヘアやったから余計にびっくりしはったと思います。でも弟子にしてくれて、面倒見てくれはった。周りのお師匠さん方からは「お前何であんなやつ取ったんや」って結構言われはったみたい。そんな状況でも受け入れてくれた心の広い師匠にめっちゃ感謝しています。

――念願叶っての弟子入り。修業の日々について伺いたいです。

二葉:3年間毎日師匠のところに通いました。朝コンビニでバイトして、お昼は定食屋で働いて師匠の家へ。仕事や落語会があったらついていかせてもらって、それがなければお掃除とかごはんの用意とか頼まれたことをやって、2週間にいっぺんぐらいお稽古付けてもらっていました。だいたい夕方くらいに「家帰り」って言われるけど、その後もひとりで鴨川行って大きい声出すお稽古して……ほとんど休みのない3年間でした。

―― 過酷な修業期間……!お稽古はどのようにつけてもらうのですか?

二葉:うちの師匠は、「三遍稽古(さんべんげいこ)」で教えてくれはりました。1つの話を1分くらいに区切って、師匠がまず3回やってみせてくれる。弟子はそれを聞いたとおりに覚えてその場で
やる、そういうお稽古です。メモも録音も禁止。

―― 完全に耳と頭だけで覚えるのですね。3回聞いて再現できるものですか……?
画像2: 女の人って“あほ”とはかなり距離がある。選んだのは「白」の師匠

二葉:無理無理!「やってみ」と言われても最初の「こんにちは~」しか出てけえへん。三遍では覚えられへんから、師匠も四遍、五遍とやってくれはるけど……聞き慣れない言葉がどんどん出てきて難しいし、目の前の師匠に緊張してるから余計に頭に入らへん。私は覚えがほんま悪くて、15分の話を覚えるのに半年かかりました。

三遍稽古は効率が悪いから、今は録音したものを渡して「覚えてこい」というお稽古スタイルが多いけど、今でもその形でお稽古つけてくれはる師匠は珍しいかも。でも大師匠の桂米朝師匠がそのスタイルやったからうちはそのまま。苦しい稽古やけど、何とか覚えようと食らいつく精神的な修業の側面もあったかもしれません。

覚えられへん自分が情けなくて、途中で泣くことはたくさんありました。「泣くな」と言われるけど止まらへん。ほんなら師匠が「もう今日は終わりや」って切り上げてくれて。「これは、泣いたらはよ稽古終わるんちゃうか?」と味をしめて、しばらく早めに泣き出すようにしていた時期があります(笑)

―― 苦しいお稽古を乗り切る技を手に入れたと(笑)

二葉:でもしばらくしたら師匠が「泣いても終わらへんぞ!」って。くーっ!(笑)

お稽古は嫌いやったけど、私、結構根性あるから心は折れなかったです。全然覚えられへんかったけど、落語を覚えること自体は楽しかったし、「絶対いける!」と信じる気持ちが常に心のどこかにあった。2021年に NHK新人落語大賞で優勝した時も、それに近い自信がありました。

This article is a sponsored article by
''.