アジア諸国から伝わり、日本独自のエッセンスを加えて平安時代に完成した雅楽。その伝統を受け継ぎながら、想像を超えた新しい音楽を次々に生み出す人がいる。雅楽師で音楽家の東儀秀樹(とうぎ ひでき)さんだ。
1300年にわたり雅楽を継承する東儀家に生まれたが、幼いころから雅楽師を目指していたわけではない。目標やなりたい像を定めず、心のままワクワクするほうへ突き進んだ結果だった。最期を迎える瞬間に「この人生でよかった!」と思えるように、ワクワクすることは全部やりたいという東儀さん。そして大切な息子さんにもそうあってほしいと願っている。
「一番ワクワクするのはどんなときですか?」と問うと、「いつも自然とワクワクしているから、今はこのインタビューだね」と笑う。雅楽も、子育ても、この瞬間も、彼にとっては夢中なことのひとつなのだ。そんな人生の先輩がこの日見せてくれたのは、今を生きる情熱と、家族のつながりを想うあたたかな涙だった。
ただ楽しかったから雅楽の道を選んだ。息子とその先の世代へ、「雅楽の心」を伝えたい。
東儀:自分でも特に「雅楽師になろう」とは思っていなかったね。物心ついた時から、音楽の感覚が備わっている自覚はありましたよ。両親からは、ハーモニカやピアノといった楽器のおもちゃを渡すと、すぐに音階を理解してメロディを奏でていたと聞いています。これは自分が特別に持って生まれたものだと感じていたし、「音楽に関することなら何だって大丈夫さ」という自信もあった。でも「運動が得意だから体操選手やプロゴルファーもいいな」「絵が好きだからイラストレーターや漫画家にもなりたいな」といろいろな道を思い浮かべていてね。
雅楽を始めたのは、高校を卒業してから。当時はロックやジャズに夢中だったけど、「そんなに音楽が好きなら雅楽もいいんじゃない」と、そこで初めて両親に言われて。確かにまずは雅楽を知ってから好きな音楽をやるのもいいなと思って、宮内庁の楽部に入りました。
東儀:自分の音楽をそうやって面白がってくれる方がどんどん増えたことは、大きな自信につながっています。雅楽の「敷居が高そうなイメージ」を超えられたのかなと。
僕が神経質そうだというイメージもどうやらあるみたいですね。本番前は誰も寄せ付けず、楽屋でお香を焚いて瞑想にふけっている……初めてご一緒するスタッフの方はそんな東儀秀樹像を想像していることが多くてね。落ち度があっちゃいけないとみんなピリピリしている。けれど実際の僕は、楽屋に閉じこもっているとつまらないから、「誰かいないかなあ、からかって遊びたいんだけどなあ」と本番直前までフラフラ出歩いているので、とても驚かれますよ。
そうやって遊んでいる感じのまま本番に突入します。僕は努力が大嫌いで練習をしないので、オーバーに言えば楽器のケースを開けるのはほとんど本番当日だけ。本番を終えたら、再び楽器と出会うのは次の公演のときっていうくらい。
東儀:主催側から曲の希望をもらうことはあるけれど、僕としては本番の舞台上で曲を決めるのがベスト。ある程度演奏リストを用意しておいて幕が開いた瞬間に客席を見て、「お、今日はこういう年齢層で男女比はこうか。じゃあこの曲でいこう」と、自分がその時感じる新鮮な気持ちをのせて演奏したい。その方が面白いから。期待されている道筋と違う方に行ってびっくりされるのを楽しんでいるところがあるんですよ。
トークも同じ。お客さんが想像しているであろう東儀秀樹は “歴史ある雅楽の人”で、どんな真面目な話をするのだろうと背筋を伸ばして待っているかもしれない。そんな中、僕は出て行ってまず冗談を言います。「雅楽をやっている人の公演のわりには、みんなずいぶん適当な格好で来ているなあ」とかね。そうすると「なんだ、こんな自由な人だったの」とお客さんの気持ちがほぐれる。その日その場所だから生まれる空気の中で、一番いい音楽を作りたい。僕はとことん“ライブ”の人間なんです。
東儀:小さい頃から公演には必ず連れて行っていたから、ステージ上でも裏でもゲラゲラ笑って楽しんでいる僕の姿を見て「音楽の世界は楽しいな」と思ってくれたんでしょうか。そしてちっちも音楽が好きだったから、いつの間にか一緒にやるようになりました。
東儀:自ら好きで継いでくれるなら嬉しいけど無理に継いでくれとは思わないですね。つないできた雅楽の歴史を継承する価値は感じています。でもそれは「息子にも雅楽師になってほしい」ということではありません。
僕は、必ずしも雅楽師になることだけが雅楽を継承することではないと思っています。ちっちは今高校生だけど、今後音楽とは関係のない職に就いたとしても、僕から聞いた雅楽の歴史や東儀家の価値観は、彼の中に継承されている。そして将来もし彼に子どもができたら、語り聞かせると思うんです。「君のおじいさんは雅楽というものを大事にしていたよ」と。大事なのは心や魂を継承すること。どんなに雅楽が上手くたって心がなければ響かないし、伝える意味がないからね。
東儀:もちろん、ちっちが楽しいならやったらいいと思うよ。そうでなくても、心が伝わっていれば、何代か先で「雅楽をやってみようかな」という子が現れると信じています。
僕は、雅楽の歴史の中では点にすぎない。そうして大きい流れで物事を考えると焦らなくて済みます。「自分が生きている間に息子が継承するのを見届けなければ」だなんてまったく思わないですね。そんな
ちいせえ男じゃないよ、ってね(笑)。僕は僕で悔いなく今の瞬間を楽しむ。ちっちにも、今の自分が好きなことをやってほしいと思っています。