かつて「日本のウォール街」とも呼ばれていた日本橋・兜町。東京証券取引所株券売買の立会場の閉鎖後は、街から活気が失われていた。しかしいま、その兜町がオシャレな街として生まれ変わり注目を集めている。ランドマークとなる施設が建てられ、個性的なショップが軒を連ねるなど、瞬く間に変貌をとげた兜町には「再生の立役者」といわれる人物がいる。パティスリー「ease(イーズ)」のシェフパティシエ、大山恵介さんだ。
お菓子作りにかける情熱は人一倍。しかし、経営者としての目線も忘れない。その卓越したバランス感覚によって、近年は、パティシエの枠を越えた活躍ぶりが評価を集めている。
お菓子業界の異端児ともいえる大山さんは、いま、なにを思うのか。その横顔に迫る。
「食べていたのはスナック菓子ばかり」。スイーツと無縁だった少年時代
大山:それが実は、いわゆるスナック菓子などは食べていたものの、いま自分が作っているようなスイーツ・洋菓子はほとんど食べませんでした。そもそも家庭内で出ることも珍しくて、誕生日に親がケーキを買ってきてくれるくらい。
大山:考えたこともなかったです。ただ、料理をするのは好きでした。お腹が空いたら適当に炒飯を作って食べたりして。単純に、自分の手でなにかを生み出すという作業が好きだったのだと思います。だから家庭科の実習は楽しかったですし、それ以外だと美術や技術の授業も積極的に受けていました。
その延長で、当時は映画関係の仕事に就きたいと思っていたんです。なにかを作る人になれたらいいな、と。
大山:映画業界に対する憧れはありましたけど、それも漠然としたものだったので、進路について考えながらなんとなく専門学校について調べていたんです。そうしたらお菓子の専門学校があることを知って、「お菓子にも学校があるんだ!」とすごく驚きました。そこで興味を持って見学に行ってみたところ、とても職人気質な世界であることを知り、もしかしたら自分に向いているかもしれない、と。
親からは「手先も器用だし、良いんじゃない?」って言われましたね。幼い頃から、なにかにハマると没頭して延々とやっているような子どもだったので、親としてもパティシエのような職人の世界が向いていると思っていたのかもしれません。そんな感じで、ふわっとこの業界に足を踏み入れました。
大山:「向いているんじゃないか」という予想通り、どっぷりハマりました。学校の授業が終わってもずっと練習していましたし、休日にはお菓子ばかり食べるようになって。でも、努力している感覚はありませんでした。ただお菓子作りが面白くて、好きでやっているというだけで。