何歳になっても新しい環境に身を置き、チャレンジを続ける。それは、まだ見ぬ自分自身を知るという行為だ。しかし実際はどれだけの人が自分と向き合えるだろうか。自分を知るのは怖いし、ときには痛みだって伴うから――。

それでも、ひたむきにそれをやり続けてきた人がいる。彼女の名は、平野綾。子役としてキャリアをスタートさせ、アニメ『涼宮ハルヒの憂鬱』涼宮ハルヒ役で声優として大ブレイク。それは、彼女が幼いころに描いた夢への始まりだった。

順風満帆に見える人生にあったのは、いくつもの転機とチャレンジ。そこには挫折しそうになる瞬間も多々あったという。それでも彼女が夢を諦めずにいられたのは、なぜだろうか。その強さの源に迫ったとき見えてきたものは、とてもシンプルで真っ直ぐな思いだった。


10歳で「舞台の世界で生きていく」と覚悟を決めた

画像1: 10歳で「舞台の世界で生きていく」と覚悟を決めた
――平野さんのキャリアは「子役」時代からスタートしていますね。これはご自身の意思と伺っています。

平野:子どもの頃ニューヨークに住んでいて、ブロードウェイのミュージカルに連れて行ってもらったんです。とても感動的で、舞台の世界へのあこがれを抱きました。そして、10歳の頃に「児童劇団に入りたい」と親に相談しました。

歌やダンスを習い、アマチュアとしてミュージカルの公演にも出演していましたが、さらにステップアップするためにはどうしたらいいんだろうと考えて。その結果、児童劇団に入ろうと思ったんです。当時、「子役ブーム」も到来していたので、劇団に入れば活動の幅を広げられるかなと。

でも、両親からは心配されましたね。ふたりともマスコミ関係の仕事をしていて、芸能界の厳しさを知っていたからです。だから私には、あまり芸能界には進んでほしくないと思っていたみたいで。最終的に「勉強を疎かにせず、芸能を一生の仕事だと思って取り組むのならいいよ」と認めてもらいました。それからすぐに劇団に入りましたが、親との約束があったので、「これが私の人生になるんだ!」と強く決意していたのを覚えています。

――10歳で将来を見据えた決断ができるなんて……!

平野:私、一度決めたことは絶対に曲げない性格なんですけど、きっと子どもの頃からすでにそういう部分が形成されていたのだと思います。

ただ、そうやって意気込んで子役の仕事をスタートさせたものの、当初はそんなに売れたわけではなくて。だから勉強にも打ち込めましたし、学校では規則正しい生徒でいることも心がけていました。

芸能の仕事をしているとどうしても目立っちゃうし、周囲からいじめられたり目をつけられたりすることだってあるじゃないですか。私に浮ついた部分があると、芸能の仕事自体が「浮ついた世界なんだ」と見られてしまう可能性だってある。だから校則は守り、勉強もちゃんとしていました。スカートは長いまま、三つ編みにメガネ、というとても真面目な印象の生徒だったと思います。

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――平野さんといえば、声のお仕事でも知られています。

平野:そのきっかけのひとつに、小学6年生の頃に出会った三池崇史監督がいらっしゃいます。当時の私はとても童顔なのに声だけが大人っぽく、周囲の人たちからよく「顔と芝居が合っていない」と指摘されていました。自分でもどうしたらいいのかわからず悩んでいて……。そのとき、三池監督から「声が面白い」と語りの多い役をいただき、それを見た当時のマネージャーから「それなら声の仕事をやってみたら?面白いと思うよ」と言われ、アニメのオーディションを受けてみたら合格したんです。そこから声優としてのキャリアがスタートしました。

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