日本を代表する書家のひとり、中塚翠涛(なかつか・すいとう)さん。NHK大河ドラマ『麒麟がくる』の力強い題字が記憶に残っている人も多いだろう。そして中塚さんは、国内にとどまらず、フランスをはじめ諸外国でさまざまな「書」にまつわる作品を発表してきた。そのインスピレーションの源は、旅だという。

「軽やかな書を目指したい」という言葉のとおり、彼女の活動はさまざまな領域を超えてゆく。書とともに歩んできた人生を振り返り、旅と書、そして自身の生き方の関係についてもふれながら、彼女のまなざしを聞いた。



「書」って、じつはすごく奥が深いのかもしれない

画像1: 「書」って、じつはすごく奥が深いのかもしれない
――お兄さんの書道教室に同行したことをきっかけに、4歳から書道をはじめたそうですね。

中塚:最初は、筆の弾力や穂先の感触が楽しくて、遊んで書いていただけだったんですよ。それを先生が「上手だね」と褒めてくださったから、その気になっちゃって。でも、いざ習い始めてみたらとても厳しい道でしたね。

私たちの年代は書道がさかんだったから、上手なお友達と朝から晩まで切磋琢磨していました。大きな展覧会があれば、そのために何時間も練習するのは当たり前。お手本どおりに美しく書けないとすごく悔しくて……低学年のころはよく泣いていたらしいです。私は覚えていないんですが、当時の先生は、いまも教室で教え子たちにその話をしているそうです(笑)

――「あの中塚翠涛は、小さいころから泣くほど真剣にやっていたんだ」と(笑)。そのころから、将来は書家になろうと思っていたんですか?

中塚:いいえ。書家がどんな職業なのか、あまりわかっていませんでした。先生が丸付けをするときに使う朱墨(赤い墨)がかっこよく見えて、おばあちゃんになったら書道の先生ができたらいいな、とぼんやり思っていたくらいのものです。しかも、あまりにも根詰めて書道をやってきたから、途中で息切れしちゃったんですよ。

書から離れるためにスポーツをはじめようと、学生時代は楽そうにみえたバドミントン部に入りました。ところが、バドミントンってめちゃくちゃハードで。だから、それはそれで大変でしたが、瞬発力と忍耐力は鍛えられました。そして書に必要な体幹も養えた気がします。

一枚の紙にとことん集中して一本の線を引く書の世界は、意外とアスリート的な部分があって……スポーツに打ち込んだ経験は、あとになって書にも役立ったなと思います。母から「せっかく頑張ってきたんだから、休み休みでも続けてみたら?」と言われ、部活をしながらもゆるりと書は続けていました。

――本格的に書を再開したのは、いつだったんでしょうか。

中塚:大学の中国文学科に進んでからですね。本当は大学も学部もまったく違うところに行く予定でしたが、進路も決まっていたあとに、担任の先生から専門的に書を学ぶ大学があると聞き、ためしに見学に行ってみたのがきっかけでした。そこでさまざまな書を見て、衝撃を受けたんです。

ずっと自分は書が得意だと思っていたし、地元の岡山でも全国大会でも、さまざまな賞をいただいてきた。でも、私がやってきたのはお手本をきれいに真似るだけの「お習字」で、「書」とはもっと奥深いものなのかもしれない。じつは私は書のことをなんにも知らなかったんだ……と感じ、本格的に学ぶことを決めたんです。

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――本格的に学んで、書の楽しみは変わりましたか?

中塚:奥が深すぎて、追いかけても追いかけても本当のところはわかりませんでした。専門的に学ぶようになってからのほうが、かえって距離ができちゃったというか。それもあって、卒業後はご縁あって、スポーツマネジメントの会社のお手伝いをしていました。

でも、そこでNIKEの「アスリートの言魂」という企画に声をかけていただき、書で題字を担当したのが大きな転機でした。選手たちが胸に掲げる言葉を書いていくには、ただ上手な字では伝えられない。その方の想いや背景までを知る必要がある、と感じました。

そうしたアプローチを考えたとき、私にはまだまだ想いを具現化する力がないと痛感して……。もっと真剣に向き合いたくなり、書を仕事にするためにスポーツマネジメントの会社を辞めました。

――思い切った決断ですね!その後どうやって仕事を広げていこうと考えていたんですか?

中塚:じつは、具体的なことは何も考えていませんでした。担当の方に「あの、書を極めていきたいから辞めます」と伝えたら「えっ、書道で世界に行こうとか考えてるわけ?(笑)」と笑われました。

――厳しいお言葉……。

中塚:いや、でもそう言ってくださったのがすごくよかったんです。「なるほど、世界に行くって方法もあるんだな」「それもアリかも」って思えた。もともと楽観的な性格なんですが、その言葉であらためて書の可能性を感じたんです。

そうなったら、本当に書で世界に行けるように行動していくだけ。細々とお仕事をいただくようになって考えたのは、「さらに引き出しを増やすためには、自分に何が足りないのか?」ということ。技術はもちろん磨き続けるとして、まだ私は“世界”を見ていないな、と。さまざまな巨匠たちが作品を作り出した土地や時代の空気感を肌で感じなくてはと思いました。


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