現在、日本で作られるチョコレートの原材料のうち、約80%のカカオがガーナ由来だという。さぞかしガーナは“チョコレート大国”なのかと思いきや、実態はそうではないそうだ。

「ガーナのカカオ農家の多くは、『チョコレート』という食べ物を知らないんです」

そう話してくれたのは、Z世代の社会起業家、田口愛さん。彼女はチョコレートに全く馴染みがない国・ガーナで、2021年に現地の人々とともに「MAAHA CHOCOLATE」というチョコレートブランドを立ち上げ、現在も日本とガーナを行き来しながらカカオビジネスに邁進している。「MAAHA CHOCOLATE」の商品は、オンラインストアでもソールドアウトが続出。「買いたくても買えないチョコレート」と称されるほどの人気ぶりだ。

なぜ、彼女はチョコレートとガーナに惹かれ、現地で起業するまでに至ったのだろうか。そこには “優等生としての劣等感”と、彼女の人生を変えるほどのガーナの人々の心の豊かさがあった。


「人生終わった」とまで考えた受験失敗。何者でもない自分を求め、ガーナへ

画像1: 「人生終わった」とまで考えた受験失敗。何者でもない自分を求め、ガーナへ
―数日後にはガーナへ……という忙しい日程の中で、インタビューをお引き受けいただきありがとうございます! 本当に日本とガーナを頻繁に行き来されているのですね。

田口:そうなんです。来週から2か月ほどガーナへ帰る予定です!ガーナはちょうど雨季を迎えていて、暑い日々が続いているはずです。……とはいえ、じつはガーナの最高気温は日本のそれと比べて10度ほど低くて。結構過ごしやすい気候なんですよね。

―日本の夏の方が過酷だったとは……!ガーナへ“帰る”と表現された通り、ガーナに第二の祖国のような愛着を持たれているのだと感じました。まずは田口さんとチョコレート、そしてガーナとの出会いを教えていただけますか?

田口:私は、昔からチョコレートが大好きな子どもでした。勉強の合間のおやつに選ぶお菓子も、必ずチョコレート。チョコレートを食べると、「よし、もうちょっと頑張ろうかな」とギアが入るような、私にとってのガソリンになるようなお菓子だったんです。

人生の転機が訪れたのは、大学受験のとき。私は見事に受験に失敗しまして、そこで「人生終わった」とまで思いました。

滑り止めとして受けていた大学に入学しましたが、そこで出会った学部の友人たちはみな「こんなことに興味がある」「こんなことを今後学んでいきたい」と、自分の関心事を言葉にして話していた。その姿がとてもキラキラと輝いて見えて。

私はそれまで、「進学校でいい成績を取って、両親が喜ぶことをしよう」と思って生きてきました。偏差値の高い大学に入り、ゆくゆくは医者や弁護士になったら、両親からも褒めてもらえるかなって。だから、大学に入学して友人たちが話している内容に衝撃を受けたんです。「みんな、自分の関心事があって生きているんだ……」って。

―その関心事が、田口さんにとってはチョコレートだったということでしょうか……?

田口:はい。自分は何が好きなんだっけ……とそれまでの人生を振り返ると、昔からずっと変わらず好きなのはチョコレートだと気づいたんです。

私が育った岡山県には、野菜やくだものなど生産者の顔が見える食材がたくさんあるんですよね。でも私の大好きな“チョコレート”って一体誰が作っているんだろう……と思って。調べてみると、日本におけるカカオ輸入はほとんどをガーナに頼っていることを知りました。そして同時に、ガーナでは貧困や児童労働が問題になっていることも学んだんです。

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―大学受験の失敗とご友人の姿が、ガーナに強く興味を持ったきっかけになったんですね。

田口:でも今振り返ると、私はそういう理由をこじつけて、どこか遠くへ逃げたかったのかもしれません。

当時は、地元に帰れば近所中から“受験に失敗した優等生の愛ちゃん”という目で見られ、高校の先生とも疎遠になっていました。両親への期待に100%応えられなかったという劣等感も感じていて、「遠いどこか、私のことを知っている人がいない場所へ行って、何者でもない自分になりたい」と思っていたんです。

そして大学1年生の秋、単身ガーナへ向かう決心をしました。両親には反対されるとわかっていたから、成田空港で飛行機が出発する5分前に電話したんです。

「ガーナに行ってくるから」って。さすがの両親ももう止められず、「ひとまず生きて帰ってきなさい」と送り出してくれましたね(笑)


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