そこに情熱があれば、バッシングされても乗り越えられる

画像1: そこに情熱があれば、バッシングされても乗り越えられる
――みんなにも創作活動をしてもらいたい、と願っている。その理由は何でしょう?

藤原:自分らしくいる、自分らしさを手に入れるためには、作品をつくるしかないと思っているからです。ものづくりを続けていくと、そこに作家性が表れてきて、「自分ってこういう人間なんだな」とわかってくる。それがみんなに必要なことだと思っていて。

――それはものづくりとは無縁の職業の人にもですか……?

藤原:そうです。むしろ、私からしたらみんな創作活動をやらなすぎる。企業に勤める人だとしても、ものづくりをしてみたほうがいいと思います。こういう話をすると、「でも私は不器用だからできないんです」なんて言われるんですが、そんなこと関係ない。写真を撮ったり文章を書いたりするのでもいいし、ダンボールとガムテープを使って思いついたものを形にするのでも構わない。

「時間がないんです」と言われることもあります。平日に8時間働いて、せっかくの土日を創作活動に当てるのってつらいかもしれない。でも創作活動をしたほうが自分を理解できるし、気持ちいいんです。だから私は、ひとりでも多くの人に創作活動をしてほしいと思っています。

――手先が不器用でどんなものがつくれるかは関係なくて、創作活動自体に「自分を知る」という意味があるんですね。

藤原:そうなんです。しかも1個じゃ何もわからない。5個くらいつくってみて初めて、その人らしさが見えてくる気がします。ハードルが高いのであれば日記だっていいんです。毎日、日記を付けてみて、ある程度溜まった段階で読み比べてみると、「この日の日記が一番自分らしいな」ってわかってくる。そうやって自分を知ることがとても大切だと思います。

画像2: そこに情熱があれば、バッシングされても乗り越えられる
――そうして「自分らしさ」に気付いたら、仕事にも活かせるかもしれません。ただ一方で、自分らしさを貫くのは容易なことではないですよね。ときにはそれを否定されたり、偏見をぶつけられたりするリスクもあります。

藤原:私は過去にバッシングされたことがあるんです。以前、ラジオに出演していたときのことなんですけど、喋るのが苦手なのにラジオに出ていたこともあって、たくさん意見されてしまって。それが精神的ダメージになって、体調を崩してしまったんです。

また、「無駄づくり」でもバッシングされることはあります。「SDGsの時代にこんなことをするな」とか、「つまらない」「キモい」なんて言われたりもして。だけど、「無駄づくり」でいくらバッシングされても、まったくダメージを受けないんです。

――まったく……?それはどうしてでしょうか?

藤原:そこに情熱があるかどうか、だと思います。たとえば、普段の私はシンプルな格好をしていますけど、たまにロリータの服を着てみたいなと思うことがあるんです。でも、もう30歳になるし、世間の目が気になってどうしても着られない。ただ、心の底からロリータファッションを愛していたら、年齢や人の目なんて関係なく、好きなだけ着ると思います。つまり、ロリータファッションに対する私の情熱はその程度だということです。

一方、「無駄づくり」には相当の情熱を注いでいるので、何を言われても気になりません。それでも人の目を意識してしまうことはあるんですけど、でも情熱があるから耐えられるというか。

――創作活動を通じて見つけた「自分らしさ」に情熱があれば、周囲の声が気にならなくなるということですね。もうひとつ教えていただきたいんですが、「自分らしさ」と「キャリア」どちらを優先させるべきか。ときにその二つは相反することにもなり得るのかな、と。

藤原:私の例で言うと、ラジオのお仕事を続けていたら素敵な自分になれる予感があったんです。それくらいスタッフさんにも恵まれていたし、魅力的な番組だったので。一方、「無駄づくり」の先に何があるのかはわからない。賞をいただいたり何かの理事に就いたりしても、私のキャリアにつながるかはわからないし、そもそもいつ受賞できるのか、いつ地位をもらえるのかもわかりませんよね。でも私は「無駄づくり」を選びました。私にとってそれは、自分らしく生きるということだったのかなと思います。

でも、じゃあそれだけが正しいことかというとそうではなくて、キャリアを優先させて生きる自分が好きという人もいるはず。「自分らしさ」と「キャリア」を比べてみると前者のほうが良さそうに見えるけれど、キャリアを大切にしてどんどん出世していく道が好きなら、それだって幸せの形だと思います。


This article is a sponsored article by
''.