もう一度「マウンドに上がる」—— 再び“打ち込める”場所へ

2012年、齊藤さんはプロ野球選手を引退した。「興行の裏側を知りたい」という探求心から、中日ドラゴンズの球団職員となることを志願し、法人向けのシーズンシートの営業を担当することになった。
「選手としては満足のいく結果を残せませんでしたが、球団職員になり、プロ野球という興行ビジネスの仕組みを理解することができて、やっと納得した上で野球界から卒業できる気がしました」
30代に突入し、将来のキャリアを考えていた時、プルデンシャルで働く大学野球部の同期に再会。「人が変わったようにめちゃくちゃイキイキしていた」姿に衝撃を受けた。
運命が動いたのは、営業先として訪れたプルデンシャルで、ある支社長と出会った時だった。同期に紹介され、シーズンシートのチケットを売りに行ったはずが、逆に自分の悩みを全て聞いてもらい、キャリアについて熱心に説かれた。
「支社長は、仕事の能力云々よりも、その人の価値観や個性、考え方、どんな努力をしてきたかを重視する方でした。相手の努力に対して真摯に向き合う姿勢を見て、『ああ、自分の居場所はここだ』と思いました。落合監督の教え方と似ているなと、インスピレーションを感じたんです」
球団職員として働く中で、居心地は良いものの、全てを捧げて打ち込む感覚を失い、どこかはがゆい思いをしていた。
「再び全力で打ち込める場所を見つけたという感覚がありました。ここでもう1回、マウンドに上がるんだという気持ちで、気がつけば転職を決めていましたね」
表彰台で感じた「虚しさ」という名の転機

プルデンシャル入社後、齊藤さんは豊富な人脈を活かして圧倒的な成績をたたき出し、入社初年度に、新人の登竜門ともいえる社内コンテストで全国1位を獲得した。しかし、表彰式の壇上に立った齊藤さんは、達成感ではなく、強烈な「虚しさ」に襲われていた。
「壇上から見た光景は、ナゴヤドームのマウンドから見る観客席の景色には勝てませんでした」
ナゴヤドームのマウンド——そこは、それまでの人生の全てをかけて辿り着いた場所だった。しかし、表彰台の上にいる今の自分は、たった1年しか努力していない。しかも、その結果を出せた理由は、過去の人生で築いた“人脈”によるもので、「売れるべくして、売れた」のではないか。努力の末に掴み取ったものだとは思えなかった。だからこそ、全てを捧げたからこそ見ることができたマウンドからの景色には、到底敵わなかった。
「僕はプロ野球選手としては思うように成績を残すことができなかった。だからそれを取り返したいという一心でやってきたはずだったのに、ライフプランナーという仕事の本質は成績を残すことではないのだと気付き、愕然としました」