駅構内の掲示板やインターネット、SNSでは、毎日のように「里親募集」と書かれた保護犬・保護猫譲渡会の案内が更新されている。全国の自治体で保護される犬・猫の数は年々減少傾向にあるものの、今も年間1万匹を超える小さな命が殺処分で失われている日本。今この瞬間も、多くの動物たちが新しい家族の迎えを待っている。

そんな動物たちの命をつなぎ、愛情たっぷりに接する姿を発信し続ける人がいる。今回のミモザなひと、大日方久美子(おびなた くみこ)さんだ。アパレル販売員を経て、個人にスタイリングを提案するパーソナルスタイリストとして独立。その傍らで自らが犬猫の里親となるほか、一時預かりや動物保護施設への支援活動を続けてきた。

しかし最近、彼女のSNSでは「保護活動をセーブする」という発信が。大日方さんは、今どんな変化に直面しているのだろうか。その答えは、彼女の「左手」にあった。


“ベビたち”との運命的な出会い。「この子を助けたい」と、見知らぬ土地を歩いた

画像: “ベビたち”との運命的な出会い。「この子を助けたい」と、見知らぬ土地を歩いた
――たくさんの動物たちと暮らす大日方さん。今はどんな家族構成になっていますか?

大日方:夫と私、そして犬3匹と猫3匹がうちの子として暮らしていて、そこに一時預かりの犬1匹と猫2匹が仲間に加わっています。

ずっと犬だけだったところに、2022年から猫が仲間入りしました。猫は自由気ままで懐かないイメージがありましたが、うちの子たちは帰宅したら犬たちと一緒になって出迎えてくれたり、膝の上を取り合ったりと甘えん坊な性格。私も夫もメロメロです(笑)。一時預かりの子も含めて、私の大事な“べビたち”です。

    ▲ご本人提供:“仲間入り”した猫ちゃんたち

――たまらない可愛さですね!ねこちゃんは最近とのことですが、わんちゃんとの生活はいつからですか?

大日方:私が生まれた時からずっとそばにいました。警察犬を目指してダメだった子、捨てられた子……様々な理由で行き場がなくなった子たちを実家で受け入れていたんです。

両親は「保護活動をしている」というより、「助けが必要な子がいるから助ける」という感じ。そんな環境で育ったので、実家を出た後に自分で犬を飼おうとなった時も、ペットショップで買うのではなく保護する方向に自然と進んでいきました。

ペットショップで売る子犬を産ませるための繁殖犬だった子、保護団体から譲り受けた子など、どの子も運命的な出会いを経てうちの子になっています。私が選んだというより、出会ったという感覚ですね。

――特に印象的だった「出会い」について教えてください。

大日方:ある年の春、たまたま京都での予定が夫と重なった日がありました。翌日はふたりとも休み。休日が合うのは数ヵ月ぶりで、桜でも見に行こうかと話していた時、SNSである写真つきの投稿が流れてきたんです。

「明日の朝までに引き取り手が見つからなかったら、この子は殺処分になります」――。

山口県の保健所にいる子でした。自宅のある東京からは距離があるけれど、今日はたまたま普段よりかなり近い京都にいる。しかも夫が一緒にいて、明日はフリー。条件が揃っていました。「誰もいないなら、迎えにいってあげよう」と、急遽引き取りに向かいました。

翌日、道中でキャリーケースを調達して山口県へ。保健所についたら、SNSで見かけた子はちょうど他の人が連れて帰るところだったんです。あの子が殺処分にならなくてよかった……とホッとして。「でもせっかくここまで来たから、他に殺処分になる子がいるなら連れて帰ろう」と。
そうして出会ったのが、野犬の子犬・ロウでした。

画像: ▲ご本人提供:山口県で出会った、ロウくん。

▲ご本人提供:山口県で出会った、ロウくん。

――京都から山口へ!?普段より近いと言っても、相当な距離です……。「助けられる子がいるなら助けたい」という大日方さんの行動力がすごい!

大日方:大変ではありましたね(笑)。連れて帰るにあたって、問題も出てきて。人間を怖がって激しく暴れるし、自宅の他の子たちにうつる皮膚病の可能性があることもわかったんです。保健所から外に一歩出れば、引き返せない。この子の命に責任を持てるのか、保健所を出る扉の前で、一度立ち止まって夫と真剣に考えました。

それでも「連れて帰る」とふたりで決心して、まずは山口県内で病気を診てもらうことに。でも野犬の子犬ということで院内感染のリスクが高く、何件電話しても診察を断られてしまう。やっと診てもらえるところを見つけたものの、タクシーが拾えない場所だったから、自分たちのスーツケースをガラガラ引きながら、キャリーケースに入った犬を抱えて必死で歩きました。そうして病院で診察してもらい、無事うちの子として迎えることができたんです。

――どうして、そこまで一生懸命に尽くせるのでしょうか?

大日方:どうしてでしょう。よく聞かれるのですが……例えば目の前で誰かが倒れていたら、思わず駆け寄りませんか?それと同じで、私にとっては、とても自然なことなんです。助けを求めている存在に対してできることがあるならば、やりたい。だから、自分ができる範囲のことを続けてきただけなんです。

真剣だけれど、無理をしているわけじゃない。例えるなら、「左手でできること」を続けてきた感覚です。

――「左手でできること」。詳しく教えてください。

大日方:私の利き手は右手。右手では自分が必ずするべきことをします。仕事をして夫との生活を守るとか、今のうちの子たちを大切にするとか。それをした上で左手が空いているなら、左手でできることをやる。片手でいい加減にという意味ではなくて、大切なものを犠牲にしないという意味です。

左手でやっていたことに両手が必要になって、やるべきことができなくなってしまうのは、私は違うと思うんです。保護活動は特に、自分のすべてを投じてしまい余白がなくなったら続けるのが辛くなってしまう。実際に、気持ちやお金に余裕がなくなって、活動から離れざるを得なかった方の話も聞きます。

「自分のすべてをかけて」ではなくて、「できる時に、できることを、できる人が」。常にベースにはその感覚がありますが、この数年、それを改めて痛感しています。

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