瀬戸内寂聴さん。その名前を聞いて、法衣姿のかわいらしい笑顔を思い浮かべる人は多いはずだ。僧侶として、作家として、多くの人に言葉を届けてきた寂聴さんは、2021年11月に99歳で生涯を終えた。その最晩年の10年を秘書として一番近くで支えたのが、今回のミモザなひと・瀬尾まなほさんだ。

大学卒業後、22歳から寂聴さんのもとで働き始め、29歳でエッセイストとしてデビュー。秘書業の傍ら、寂聴さんとの愉快な日々をつづってきた。66歳という年の差を感じさせないふたりの軽快なやりとりは、読む人を自然と笑顔にする。

「書く人生は、先生がひらいてくれた道」。想像もしなかった世界へと可能性を広げてくれたのが、寂聴さんとの出会いだった。別れの悲しみを経て、今、瀬尾さんが紡ぐ言葉とは。


寂聴さんを知らなかった22歳の冬。一番近くで支えると決めた25歳の春

画像: ▲出会って5年たったころの瀬戸内寂聴さんと瀬尾さん(ご本人提供)

▲出会って5年たったころの瀬戸内寂聴さんと瀬尾さん(ご本人提供)

――瀬戸内寂聴さんのたったひとりの秘書として、晩年の10年間を共にされた瀬尾さん。まずは、寂聴さんとの出会いについて教えてください。

瀬尾:京都の大学に通っていた4年生の夏、祇園のお茶屋でアルバイトをしていた友人から突然の誘いがあったんです。「アルバイト先のお客さまが新しいスタッフを探していて、女将さんから誰かいない?と聞かれていて。まなほに合いそうだから面接を受けてみない?」と。そのお客さまが、瀬戸内寂聴先生でした。

当時、先生のことは名前しか知らず、著作も読んだことがありませんでした。でも、就職活動に連敗中でまだ進路が決まっていなかった私は、またとないチャンスだ!と面接を受けてみることに。正直に言うと、「有名人のもとで働けるのは面白そう!」みたいなちょっとミーハーな好奇心もありました……(笑)

結果は合格。先生に詳しくないのがかえって印象がよかったみたいです。先生が開いたお寺・寂庵で働くことになりました。就活中は「ご縁がありませんでした」という言葉をいただくたびに「ご縁ってなんなのだろう」と思っていましたが、寂聴先生と過ごした日々を経た今はそれがわかるような気がします。

――寂聴さんの面接を受ける前はどんな軸で就職活動をしていたのですか?

瀬尾:うーん……軸という軸はなかったです。大学卒業後に叶えたい夢も、なりたい自分像もなかった。どこかの会社に就職して、恋愛をして、結婚、出産……というふうに漠然とした未来を想像していました。周りの友人がどんどん内定をもらっていく中で、自分も最終的にはどうにかなるだろうと思いながらも、少し焦っていましたね。

――運命的な出会いから10年。長い時を共にされましたね。

瀬尾:働き始めた時、先生は88歳。人生も終盤に差し掛かっているお歳です。そこから10年間、最期までそばにいられたことは奇跡だなと思います。秘書として最期までこんなに近い立場で、こんなに長い時間を過ごせるとは想像していませんでした。

画像: 寂聴さんを知らなかった22歳の冬。一番近くで支えると決めた25歳の春
――瀬尾さんは、入社当初は秘書ではない立場で働き始めたと伺いました。

瀬尾:最初は出版関係の事務を任されていたんです。私が入社したときは長年働いていたベテランスタッフの方がいました。私は先生と話す機会すらあまりなかったんです。

ところが働き始めて3年目の春、通称、「寂庵・春の革命」が起こりました。ベテランスタッフの皆さんが「自分たちを雇うために先生が無理して働くことがないように」と話し合って一斉に辞められたんです。この時から、私がひとりで先生のことを担うことになりました。

寂庵で働く中で、先生の知名度や影響力を身に染みて感じるようになっていたので、自分ひとりになるとわかった時は不安でしたね。まだ25歳。これまでベテランの皆さんが支えてきた先生を、こんな若いのがひとりで支えられるだろうか。自分が未熟なせいで、先生に恥をかかせてしまうんじゃないか。

――とんでもなく大きなプレッシャーですよね……。

瀬尾:お風呂でこっそり涙したくらい、不安で頭がいっぱいでした。でもその気持ちを素直に父に伝えてみたら、こんな答えが返ってきたんです。

「寂聴さんは、まなほに完璧を求めていると思う?きっとそうじゃない。だからやってごらん」

それを聞いて、私自身が勝手に完璧を求めていたことに気づきました。先生はきっと、私が“完璧な秘書”でなくても責めない。私にできることを期待してくれている。不安はあるけれど、先生と一緒に進んでみたい。父の言葉に背中を押されて、覚悟を決めました。

とはいえ、「やろう!」と決めてからもかなり肩に力が入っていましたね。もう頼れる先輩方はいない。粗相がないようにしなきゃ、先生を守らなきゃと、緊張や力みが続く時期でした。

――その緊張は、どう変化していきましたか?

瀬尾:先生と一緒に過ごして距離が縮まるにつれ、緊張より先生のことを好きな気持ちがどんどん深まっていって、少しずつほどけていきました。先生は若々しくて、元気で、よく笑う天真爛漫な少女のような人。良いことも悪いことも、思ったことを正直に口に出しちゃう。そういうところが私はすごく好きで、そばにいて気持ちが楽でした。人の悪口も言うし、文句も言うし、でも先生のそんな人間臭いところが私には良かったんです。先生がもし“清廉潔白”な人だったら、自分と先生を比較して辛くなってしまっていたと思う。

――瀬尾さんの著作を読んでいても、寂聴先生のことが心から好きな気持ちが伝わってきます。おふたりのやりとりは漫才みたいに軽快だったことも著作から伺えます。

瀬尾:冗談もよく言い合ったし、私は先生を驚かせたり、笑わせたりするのが大好きでした。ありのままの自分でぶつかっては受け止めてもらっていましたね。距離が近いからこそ、笑いと同じくらい、ケンカもありました。先生に忖度なしにあれこれ言う人なんて他にいないでしょうから、よく「若いくせに偉そうに!」と怒られましたよ(笑)。でも思ったことをそのままぶつけ合っても深刻にはならなかった。周りからも、忖度ない態度が先生にとっても新鮮だったのではないかと言われました。

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