書くことは偲びであり恩返し。寂聴さんがいない悲しみをこえて

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――寂聴さんのご逝去から3年の月日が経ちました。この3年は、瀬尾さんにとってどのような日々でしたか。

瀬尾:しばらくは、先生の名前を書いたり口に出したりするだけで涙がぼろぼろ出てくる状態で。いつかはいなくなってしまう、私より先に逝ってしまうと頭ではわかっていたけれど、これまでは入院しても元気に戻ってきてくれていたし、同じようにまた一緒に寂庵に帰れると思っていました。でも2021年の9月末に入院したのを最後に、先生は帰ってこなかった。私は物心ついてから身近な人の死を経験するのが初めてでしたし、その相手は私の20代を捧げたと言っても過言ではないくらい、私のすべてだった人。すごく苦しかったです。

正直、亡くなった直後はいろいろな対応に追われて、悲しみにちゃんと向き合える時間がありませんでした。秘書として、変わらず先生のために頑張ろうと走り回る日々。気持ちに蓋をしてやるべきことをやって……無我夢中でした。本当はものすごく悲しいはずなのに。もっと悲しみたかった、もっと泣いて泣いて何日も引きこもりたかった。ちゃんと悲しみきれていなかったから、先生のことを話したり書いたりするたびに涙がこぼれる時間が続いたのかもしれないです。

――大きな悲しみを抱えながら、奔走していたのですね……。

瀬尾:いなくなってしまった事実に心が追いつかず、自分の存在意義も価値も見失ってしまいました。「何のために頑張ればいいの?誰を一生懸命笑わせたらいいの?」って。知らない世界に急に放り出されて、誰にも守ってもらえない感覚。私は先生がいたから無敵な気持ちで何でも挑戦できたし、頑張れたんだと痛感しました。

そんな中で、先生が亡くなった3か月後に次男が生まれてきてくれたことは、希望の光でした。亡くなってしまった命があるけれど、新たに生まれた命もある。2人の息子の成長を夫と喜べたことが、心の支えでした。

――寂聴さんは生前、瀬尾さんのご長男の成長を心から楽しみに見守られていたとお聞きしました。今もきっと喜んでいらっしゃるのではないでしょうか。

瀬尾:そうだと思います。先生は毎日「チビ(長男)はどうしてる?」と気にかけてくれて、言葉でコミュニケーションがとれる日を楽しみにしていました。先生が息子たちと会話することは叶いませんでしたが、話すだけじゃなくてもっといろんなことができるようになったよと伝えたいです。

先生は、子どものことも、子育てをする私のことも守ってくれる大きな存在でした。先生と私って、周りからはよく「親子みたいだね」とか「姉妹みたいだね」と言われていたのですが、私たち自身はどれもしっくりきていなくて。「先生と私」という本当に唯一無二の関係だったなと思います。だからこそ悲しみは果てしなく大きかった。でも、3回忌を迎え亡くなった後の対応が落ち着き始めて、そこから少しずつ自分の感覚が変わり始めました。思い出を慈しむことができるようになってきた。

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――大きな変化ですね。

瀬尾:はい。先生を大切に思う方々からいただいた言葉が後押しになりました。3回忌まで私は、秘書になりたての頃と同じくらい、役目を全うすることに対する責任を感じて気を張っていたんです。何をするにも「先生が生きていたらこうするに違いない」と決めつけて、それ通りにしないといけないと思っていた。でも先生の兄弟子の方に言われました。「もうこの世にいないんだから、寂聴さんだったらこうするだろうと思っても、実際はわからない。みんなそれぞれのやり方で供養したらいいんだよ。もっと楽に考えなさい」と。

――大切にする想いのあまり、瀬尾さんの中での寂聴さんが生き続けたからこそ、響く言葉のように思います。

瀬尾:先生と親交があった方からも「もっと楽にね」とメッセージをいただいていました。そして「落ち着いたら、寂聴さんの思い出話をいろんな人にしてあげてください。それがきっと寂聴さんへの供養になるでしょう」とも言ってくださった。そういう言葉が、自分の中にすっと入ってきて。先生との日々を宝物にして自分なりに生きていこうと思えるようになってきました。

先生は亡くなってしまった。でも私が先生のことを話して書き続けることで、皆さんに思い出してもらえる。皆さんの中で生き続けられる。瀬戸内寂聴という素敵な女性がいたことを、ずっと忘れないでいてほしいから、私は言葉にし続けたい。今でも先生を想うとまだ涙が出ることも多いですが、今はそれが、先生に対しての私の偲び方だと思っています。

――瀬尾さんだからこそできる偲び方ですね。

瀬尾:文筆家としての私は、先生が見出して持ち上げてくれたから存在しています。ただの秘書として自分の影に隠すのではなくて、ぐっと前に出して「何でもやってごらん」と背中を押してくれた。先生はたぶん、自分がいなくなっても私が生きていけるようにそうしてくれたんだと思う。だから先生亡き後も私が書き続けることは、偲びであり恩返しのようなもの。「私、頑張ってるよ」って先生に届くように、強く生きていきたいです。

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