わかりあいたくて送った手紙が、作家への道をひらいた
瀬尾:何でも言い合える関係ではあったのですが、先生は耳が遠かったこともあり、話している内容が伝わらず誤解されたり、私の話の途中で自分の話を始めちゃったりということがよくありまして。私は伝わらなかった時にそのまま諦めるのが嫌で、手紙にして渡すようにしていました。わかってもらえるまで話すことも考えたけれど、話しているうちに感情が高ぶって、また意図しないやりとりになってしまう気がして。
感謝の気持ちを伝えるときも手紙にしていました。普段はお互いふざけ合っているから、改まって「ありがとう」を伝えるのはなんだか照れくさくて。私、文章だったら思ったことがすらすら出てくるんですよね。そんな手紙の一通を、先生が『死に支度』という小説の中に登場させたことで、編集者の方の目に留まって書く仕事をさせていただけるようになりました。手紙をしたためていた時には想像もしていなかった展開です。
瀬尾:中学生の頃からですかね。実はクラスの中で、みんなに無視された時期があって。耐えがたいほどつらくて苦しい日々だったんですが、恥ずかしくて誰にも、一番近くにいる家族にすら言えなかったんです。家族の中で私は明るくておちゃらけた子だったので、無視されて思いつめている、いつもの私と違う私を知られたくないと思っていました。だからそのどこにも行き場がない気持ちを、ノートにぶつけていました。それは苦しさや辛さを唯一吐き出せる方法でしたし、手紙に関しても「先生に伝えたい!」という自己満足のためだったので、その手紙に対して「まなほの文章は素直でいい」と褒められて驚きました。
でも文章が上手いとは思ったことがないので、今も「私、書けるかな!?」と心配になることは多々ありますね。先日も由緒あるホテルのお客さまが読む、会員制マガジンのコラムを依頼いただきました。京都特集で、寂聴さんが愛した京都について書いてほしいというご依頼。媒体の大きさもあって、私はつい弱気になってしまって……「私が書いていいのかな」と妹に相談しました。良き理解者の妹は、「きっと上手い文章じゃなくて、お姉ちゃんらしい文章を求めてるんやと思うよ」と言ってくれました。
瀬尾:実際に読者の方からもお褒めの言葉をいただけて、少しずつ自信を持てるようになってきたところです。自分が書いたもので誰かの感情が揺れ動いたり、共感してもらえたり……そんな瞬間が生まれると、書いてよかったなとやりがいを感じます。私と先生の物語で、読んだ人がその人の大切な人を思い浮かべてくれる。書く人生は先生がひらいてくれた道ですし、先生のことを書き続けることが、私なりの偲びにもなっています。