「知っていたなら教えてほしかった」。取材現場で感じたメディアの責任

画像: 「知っていたなら教えてほしかった」。取材現場で感じたメディアの責任
――自分に正直に、柔軟に。簡単なようで、とても難しいことのように感じます。堀さんは、どんなことを手がかりに自分の気持ちを捉え、言葉にしていますか?

堀:見て、触れて、感じる。そんな「手触り感のある体験」がヒントになっています。

今は何でも手間暇かけずに手に入る便利な時代になって、情報が身近に溢れていますよね。流れてきた情報をもとに考えるのは悪いことではないけれど、気づかずに何かの加害に加担している……なんて状況も増えてきたなと感じています。だからできる限り、自分で見て、触れて、感じたものをもとに考えて言葉にしたいというか。

かといって、全部を体験して知ることは難しい。だからこそ、メディアには真実を伝える責任があります。どんな人も、真実を知って自分の意志決定をしていけるように。誰かの都合で知らされないことがあってはいけない――、今はそんな思いで報道を続けています。

――真実を知っていたら、もっと違う選択ができたかもしれない。知らされずに決めたことで悔いが残るのは苦しいですよね……。

堀:まさにその思いを実感した出来事がありました。東日本大震災の後、福島での原発事故取材中に現地の方に言われた言葉です。

「メディアの皆さんが知ってることがあったなら、教えてほしかった」

当時、事故があった原発の周辺に暮らす方々は、放射能の危険性に関する正確な情報を知らされない中で選択を迫られたし、その選択に対する辛い思いや、後悔の念をずっと持ち続けている方がいる。正確な情報を伝えられなかった僕たちメディアの責任はとても重い。

――情報を知らされないまま苦渋の決断をした人の苦しみを、取材の中で実感したと。

堀:そうですね。「自分で決められること」って、人間の尊厳じゃないですか。同じ結論だとしても、事実を知っていて自分で決めるのと、知らずに決めさせられるのでは全然違います。だから僕たちは情報を切り取らずにリアルを伝えなきゃいけない。

他方で、原発の件だけではなくて、事実を知らされないことも、選べる状況にない現実もたくさんある。そんな中で何かを決断をした人たちを僕はリスペクトするし、その決断に至った気持ちを深く知りたいと思います。なぜ決められたのか。なんのために決めたのか。どんな人の決断でも、まずは耳を傾けたいと思っています。

――どんな人の決断でもリスペクトして聞く。すごくフラットですね。

堀:現実をカテゴライズせずに向き合うようにしているかもしれないですね。例えば社会問題って、貧困、格差、教育、国際……のように分けられることがありますが、現実ではそんなくくりは存在しない。そこには「誰かが今困っている」という事実があるだけです。だから僕は、「何にお困りなんですか?一緒に考えます」というアプローチで聞きます。

カテゴライズすることで分断されるものってありますよね。ニュースもそう。決まった分類の上でまとめるコンテンツは理解しやすいけれど、深いところのつながりまで理解されないまま消費されてしまう。その上、テレビ番組は限られた時間で伝えるという制約があるから、取捨選択して「そぎ落とされるもの」が生まれてしまう。伝えるべきものが伝えられない。このジレンマが、NHKを出ようと思った一番の理由でした。

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