今度は、私たちが“本気”になる番

画像1: 今度は、私たちが“本気”になる番
―北村さんは、ねぶた祭りの大型ねぶた以外にも、松屋銀座や星野リゾートなどの企業とのコラボレーション作品にも積極的に挑戦されています。それはなぜでしょうか?

北村:ありがたいことに企業からお声がけいただいて、施設で展示する小型のねぶたを制作させていただくこともあります。

東北地方を出ると、ねぶたはあまり「身近」な存在ではないですよね。でも、松屋銀座さんでの展示作品を見て、「ねぶた祭りに行ってみたい!」と思ってくださった方がたくさんいらっしゃったという話も耳にして。しかも、特に女性が興味を持ってくださったと。

単に展示場所への集客だけでなく、青森のねぶたにとってもいい影響があったんだと思うと、やってみて良かったなと思います。どんな伝統工芸にもいえますが、やっぱり時代に合わせて変化させていくことも必要だと感じました。

―ねぶた師として、伝統を継承する責任感や重圧を感じることはないですか?

北村:ないと言えばウソになるかもしれませんが、おそらく師匠である父は、「責任があるから死に物狂いで作ってきた」わけではないんですよ。純粋にねぶた作りが好きで、観客に喜んでほしいからずっと続けてこられた。

祭りに参加する人も同じです。代々、親が子に「伝統だから」と伝えてきたんじゃなくて、親が子どもと一緒になって祭りを本気で楽しむから、熱量や面白さが伝わって何百年もの間、ねぶたは青森に根付いてきた。

そう考えたら、今は私たちが本気になる番ですよね。ねぶた作りを本気で面白がって、死に物狂いで作り続けてたら、その姿を「かっこいい」と思って、将来ねぶた師を目指してくれる子がいるかもしれない。そうやって、続いていくんだと思います。

私も、自分の子どもや若い世代に背中を見せていく、「ねぶた師」になりたい。

画像: 提供:北村麻子 撮影:成田恭平

提供:北村麻子 撮影:成田恭平

 

―何よりも、本気でねぶたを楽しむことが大事だと。北村さんはいま、どんなときに幸せを実感しますか?

北村:私、とにかくねぶた作りが大好きなんですよ。でもね、一人で作るのは嫌いなんです。寂しいし。

私がすごく大事にしているのは、スタッフみんなと、楽しみながら作ること。私と同じねぶた好きが集まって、一緒になって楽しみながら、喜びながらねぶたを作っている瞬間です。賞を狙うのももちろん大切だけど、きっとそれだけだと殺伐としてしまう。

私にとっては、作っている過程も含めて“ねぶた祭り”なんです。

―そう考えると青森の方々はみんなねぶたが大好きだけど、一年中「ねぶた祭り」をとことん楽しんでいるのは、北村さんなのかもしれないですね。

北村:たしかに!そうかもしれないですね(笑)

―北村さんにとって「自分らしく働き、生きる」とはどんなことですか?

北村:私、ねぶたを作っているときは、「自分が正しいことしてる」と思えるんです。天から与えられた自分の役割を全うしてるなって。そしてその役割を楽しみながらやることが、私にとって自分らしい働き方、生き方なんだと思います。

お金をたくさん稼ぐことが目的ではなくて、仕事そのものを楽しいと思えるかどうか。人生のほとんどが働いている時間とするならば、働いている時間を楽しくしたほうがいいじゃないですか。それが自分らしく、楽しく生きるコツなのかなと思います。

画像2: 今度は、私たちが“本気”になる番
画像: ねぶた師・北村麻子さんの使命を全うする生き方とは。
「父の背中を通して学び、青森の伝統を受け継いでゆきたい」

北村麻子(きたむらあさこ)

1982年生まれ、史上初の女性ねぶた師。父であり、数々の功績を残すねぶた師の第一人者である六代目ねぶた名人の北村隆に師事。2007年、父親の制作した大型ねぶた「聖人聖徳太子(ねぶた大賞受賞)」に感銘を受け、ねぶた師を志す。2012年、デビュー作「琢鹿(たくろく)の戦い」が優秀制作者賞を受賞し注目される。2017年、「紅葉狩り」でその年、最も優れたねぶたに贈られる賞であるねぶた大賞を受賞。2021年、2年連続の中止となった青森ねぶた祭の代替事業「心に灯せねぶた魂」にて「雷光と電母」で自身2度目となる最高賞、金賞を受賞。近年はねぶたの技法を用いた造形作品の制作にも取り組み、新しいねぶたの魅力を広める活動にも注力する。

取材・執筆:郡司しう
編集:山口真央
写真:梶 礼哉


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