このエッセイを今、岡山県・玉野市の自宅で書いている。大きな窓からは申し訳程度に遠くに見える瀬戸内海と、そこを行き交う大きな船がちらちらと見え隠れする。ゆっくり書き物をしたり、なにかじっくり考え事をしたい時、私はこの、大好きな家具に囲まれた場所になるべく戻ってくることにしている。

多拠点生活をはじめて数年目。現在わたしは岡山県・玉野市と、タイ・チェンマイ、そしてこの2月からは夫が暮らす岩手県の3つの場所を行き来しながら生きている。

仕事は書き物やスナップ撮影、オンラインショップ運営が主なので、比較的場所に縛られない。移動のタイミングは、その時の気分で決めることが多い。(ちなみに仕事の結果こうなったのではなく「移動しながらでもできる仕事を追い求めた結果今の職業に落ち着いた」がしっくりくる)

どの地域の家も全て賃貸で契約をしていて、自分がいないタイミングは誰かに貸したり、荷物を置くことを条件に家賃を折半させてもらったり。何とか回っている状況だ。

そんな私を「それって交通費とか家賃が勿体なく感じませんか?」とか「いちいち人に貸すの手間じゃないんですか?」と心配してくれる人も少なくない。

正直多拠点生活は、予想以上に出費がかさむし、誰かと部屋の交渉をするのも骨が折れる。けれどどの地域にも、間違いなく居心地のよい自宅があること。そしてその日着たい服に袖を通すように、自分が呼吸する場所を選べることは、自分の人生の幸福度をぐんと上げてくれる。何より「自分が好きなあの場所に、わたしの家があるのだ!」と思うと、足を運べない日が続いても、元気をもらえたりもする。

数年前、それこそ今よりも各国、各地域を飛び回りながら仕事や暮らしを実践していた頃、とあるイベント登壇時に「その生き方って、親の介護が必要になったり出産や結婚のタイミングがきたらどうするんですか?」と問いをもらったことがある。

当時、26歳独身。十分な貯金も結婚の予定もなかった私は、予想外の方向からの質問に面食らってしまって、何も言えなくなってしまった。

同時に反射的に「この人はなんて意地悪な質問をするのだろう!」と感じた記憶もある。つまり私自身も「親の介護や出産、結婚をしたらこんな生活できるわけないのに!」と心のどこかで思っていたのだろう。

けれどそのイベントから8年経った今、親の介護や結婚を経てもなお、私は変わらず多拠点生活を続けている。この先、出産のタイミングが訪れて移動の足が止まったとしても、その後きっとまた移動を始めるだろう。自分はそのための最善を尽くすだけなのだろうな、と諦めている。

現在35歳になった私をとりまくキーワードは「健康・美容・子育て・仕事」が目立つ。加えて、複数の地域に顔を出していると10代〜50代くらいまで幅広い世代の人々と話す機会が自然と増える。その中で最近どの世代からも上がるキーワードに「この先やりたい事の話」が多い。

私自身が側から見ると自由気ままに見えることもあってか「好きな事を仕事にしたいけど、好きな事がいまいちわからない」とか「今の仕事が本当にやりたいことなのかがわからない」とか、そんな仕事迷子な話を、聞く機会が多々ある。

昔は1つの家庭に子供が沢山いて、子育てに割く時間がとっても多かった。けれど近年は一家庭の子供の人数も少なくなって、子供が手離れしてからの自由な時間が増えた。更に健康寿命も伸びたことで、「果たして、自分のやりたい事はなんだろう?」とゆっくり立ち止まって考える時間を持てる人が多くなったことが要因なのかな、と感じている。

あとは世間的な「好きを仕事にする!」の流れも大きいと思う。

でも私は正直「特別にやりたい事なんてなくて良い」と思っている側の人間だ。”とびきり好きな事”を仕事にするよりも、自分が毎日続けられる事、周りに求められている事を、コツコツできる仕事の方が、結果満足度も上がる気がしている。

その代わり、「自分の人生がどう在りたいか」はきちんと舵を握っておく。人生を終えて棺桶に入る時「あ〜いい人生だったな」で締めくくるためには、どこで、どんな人と、どう生きるのか。何時に起きて、何時に眠り、お金はどれくらい欲しいのか。何を趣味として、どんなものを食べ、どんな家に暮らすのか。

そこに仕事がどう寄り添うのかを言語化して持っておくことの方が正直、「何を仕事にするのか」を考えるよりも自分を守ってくれる。

もちろん人生すべて理想100%、100点満点を出す事はむずかしい。

けれど何が自分の理想で、何を手にしていたいのか、知らないまま「何か自分の人生を満たしてくれるもの」を求めて暗闇を歩くよりきっとずっと安心して前へ進むことができる。

生き方も働き方も多様化の時代。

みんな不安で、自分だけが間違った道を歩いている気持ちになることがよくある。

だけどどんなに「その生き方は正しいよ」と誰かに支えて欲しくても、誰もその答えは持ち合わせていない。

だからこそ自分にとって、どんな人生が100点満点なのかを知り「正しさ」の基準を自分自身で作っていくこと。それをお守りのように持っていれば、きっと道に迷いにくくなる。

あの時「親の介護が必要になったり出産や結婚のタイミングがきたら多拠点生活はどうするのか」と聞いてくれたあの人に、多分今ならはっきり答えられると思う。

「未来のことは誰にもわからない。でも自分が死ぬときに”あの選択をしてよかったなあ”と思えるように胸を張って人生を選択していきたい」と。


画像: みんなただ「その選択は正しいよ」と誰かに言ってほしい
古性のち<第一回>

古性のち

1989年横浜生まれ、タイ・チェンマイ在住。短い書き出しから物語を広げていくショートショートや、何気ない日常をドラマチックに綴る文章が得意。現在はSNSを中心に「写真と美しい日本語」を組み合わせたシリーズ作品を展開中。2022年単著「雨夜の星をさがして 美しい日本の四季とことばの辞典」発売。尊敬する作家は吉本ばななさん・原田マハさん。

This article is a sponsored article by
''.