社会構造によって諦めさせられてしまう人が減ればいい

画像1: 社会構造によって諦めさせられてしまう人が減ればいい
——例えば、出産を目前に富永さんと同じような悩みを抱える女性がいたら、その方が前向きになるためにどんな言葉をかけますか?

富永:私がパイセンたちの言葉を呪縛にしてしまったので、あまり「これしとけ、あれしとけ」というのは言わないほうがいいのかなと思うんです。

でも一方で、秘匿を公表した直後に、いろいろなメディアで出産前後の不安や恐怖心のことをお話しましたけれども、いまでも2年前のその記事を読んで共感してくださる読者の方がいらっしゃいます。

そう考えると、あの頃に悩んでいたことに対してもそうですし、今こうやって出産を経ても「変わらず仕事を続けられる人もいる」という事例の一つとして見ていただくのがいいのかなと。

——同じ悩みをもつ方のロールモデルになる、ということですね。

富永:自分自身のことをロールモデルというのはおこがましいかもしれませんが、そういうことだと思います。毎週友達とパーティーをしたり、泊まりの仕事もたくさんしているので、「そんなのお前だけだよ」と突っ込まれるかもしれない。だけど、そういう自分みたいなやつが姿を見せなければ、「時短勤務で迷惑かな」と考えてしまう「ママとしての働き方」が何も変わっていかないとも思います。

先ほどお話した『わがまま入門』を出版したり、私がメディアに出始めたりした頃に、女性研究者の先輩が「これからもメディアに出て発信してね。それが後の女性たちのためになるから」と言って声をかけてくれたんですよ。

その時は、その意味がどういうことなのかわからなかった。「なんで私がメディアに出ることが、後の女性たちのためになるんだろう」くらいに思っていました。でも、最近になってようやくその言葉の真意がわかってきたような気がします。

画像: ▲いつも持ち歩いているノートには気づいたことなどを書き留め、ご自身の連載に活用されているそう。

▲いつも持ち歩いているノートには気づいたことなどを書き留め、ご自身の連載に活用されているそう。

——「後の女性たちのため」という言葉の真意とは、どんなことなのでしょう?

富永:一つ、例えばの話をすると、今ではもう何人かの議員さんがいらっしゃいますが、ひと昔前には性的マイノリティであることを公表している政治家がいないという時代がありました。そうすると「自分は頑張っても政治家にはなれないんだ」と性的マイノリティの人びとが思い込んでしまうかもしれませんよね。一人や二人でもまだ思えないかもしれない。ただ、三人、四人と出てくれば、誰か一人を見て「この人っぽいやり方なら私もできるかも」と思える。

だから、マイノリティにとってロールモデルという存在ができるのは、じつはすごく貴重で大事なことなのかなあと。

そして、日本ではやっぱり、社会に出て思い通りに生きる女性のロールモデルがまだまだ少ない。仕事で活躍し、プライベートも充実させる女性が増えれば、見ている側の思い描く将来の選択肢が増える。そういう意味で、きっとその先輩も「いい例にしろ、わるい例にしろ、後続の同じ属性を持った女性たちに可能性を見せる存在になってほしい」と言いたかったんだと思うんです。

実際、私自身も今考えてみると女性として「あれって諦めさせられてたのかなあ」と思うことって結構あって。例えば、私は第一志望とは言えない地元の大学に通ったわけだけど、それだって、女子が自宅通学できる大学を勧められやすかったり、男子と比べて浪人を勧められない実態と関連があったのかもしれない。

——社会構造によって、諦めさせられてしまうことがある、と。

富永:女性でなくても、何かしらマイノリティに属する人であればあり得ることだと思うんです。で、諦めさせられていることに気づくには、誰かに問題を可視化してもらう必要があります。でないと、「諦めさせられた」という事実にすら気付けないことだってある。そのために社会運動があるとも思いますし、誰かの小さな「わがまま」をきっかけに、その社会構造が見えてくることもあるだろうと思います。

そして仕事のチャンスにせよ、就活や受験にせよ、もし何かを諦めたり、諦めさせられてしまったりしても、「1度きりのチャンスだったのに……」とは思わなくていいとも思います。とくに若いときは「これを逃したら終わり」と思いがちですが、じつは全然そんなことはなくて社会って意外と気長だと思うんです。

——そんなに焦って色々やらなくてもいい、と思える言葉ですね。

富永:私の場合、出産前後にもっと自分を信じていればあんなに恐怖を感じることもなかったのかもしれませんが、あのとき一つレギュラー番組ができなくなったとしても、1本論文が出せなくなったとしても、きっと次の機会はめぐってきたんだと思います。

1回縁がなかっただけ、1回できなかっただけで全てを諦める必要はない。小さくとも歩みを進めていれば、けっして職業人としての人生が終わるなんてことはないはずです。

その時にできなくても「またできる」こともあるし、そもそも「できなくてもいい」ことなのかもしれない。人生は長いし、社会もそれに付き合ってくれるぐらいには気が長い。

これは、私がアカデミックの世界にいるから感じることでもありますが、私が2020年に論文を書こうが、2023年に論文を書こうが、100年後の人からしたらどっちでもいいじゃないですか(笑)。出産前は2ヶ月仕事から離れることも怖がっていた私ですが、今ではそんなふうに感じるんです。

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画像: 「若い頃が最強」は幻想。社会学者 富永京子さんに学ぶ「社会の気長さ」

富永京子(とみながきょうこ)

1986年生まれ。
立命館大学産業社会学部准教授、シノドス国際社会動向研究所理事。専攻は社会運動論。東京大学大学院人文社会系研究科修士課程・博士課程修了後、日本学術振興会特別研究員(PD)を経て、2015年より現職。著書に『社会運動と若者』『社会運動のサブカルチャー化』『みんなの「わがまま」入門』など

取材・執筆:郡司 しう
編集:山口 真央
写真:梶 礼哉

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