一本道ではなかったこれまで。没頭できる表現方法は“書くこと”

画像: 一本道ではなかったこれまで。没頭できる表現方法は“書くこと”
―常に新しいことに挑戦してきたからこそ、肩書きをたくさん持っている藤岡さん。あえて伺いますが、現在、お仕事での肩書きっていくつくらいお持ちなのでしょうか……?

藤岡:ええっ……いくつだろう。文筆家とラジオパーソナリティは肩書きを求められたときに最初にきますね。ほかには『タイムトラベル専門書店utouto』の店主、ドキュメンタリー映画プロデューサー、クリエイエィブディレクター、企画プランナー、編集者、タイムトラベラー……作詞や歌唱もやったりします。自分でも把握しきれてないですね、これ(笑)

―過去にはタレント業もされていましたよね。そこが藤岡さんのキャリアのスタート地点なのでしょうか?

藤岡:そうですね。最初は演劇のお仕事でした。8歳の頃、漫画の『ガラスの仮面』や『こどものおもちゃ』に影響を受けてお芝居をやってみたくなり、児童劇団に所属したのが始まりです。そこからオーディションの話をもらって子役のお仕事をするようにもなりました。

ありがたいことにドラマやCMなどのお仕事もいただきましたが、私はお仕事のために学校を休むことがあまり好きじゃなくて。中学生になって芸能界のお仕事は一旦辞めました。休みがちだった反動でとにかく学校での活動に集中したかったので、高校ではチアリーディングの強豪校である学校に進学しました。猛練習して全国準優勝まで行けたから、完全燃焼できたんですよね。で、大学ではもう運動したくないぞと(笑)

そこで取り組んだのが、文章を書くことだったんです。当時はブログ全盛期。今のSNSにはない独特の雰囲気がそこにはあって、のめりこんでいきました。幼い頃から詩を書いたり作文も好きだったりしたんですが、ブログ文化は「誰かに発信する」ということが前提の世界だったので、そのスタンスがのちの文筆業にもつながりやすかったのかもしれないです。

―それほどまでにのめりこんだ「書く」ということと並行し、大学生のころには芸能活動にも復帰されています。そのきっかけはなんだったのでしょうか?

藤岡:学生のための出版コンテストに応募し、挫折したこともきっかけのひとつかもしれないです。

いいところまでは行ったものの、落選しました。高校の部活での経験を綴ったのですが、講評には「経験が足りない」というようなことが書いてあって。部活の経験は尊いものだし、大学生の頃には旅をしたり、ボランティアをしたり、いろいろやってきたと思っていたけれど、あくまでそれは“つもり”だったんだなと。

じゃあどうすれば経験を増やせるんだろうと考えたとき、「レポーターのような仕事をすれば、もっといろんな世界に触れられるんじゃないか」とひらめいたんです。「だったら、芸能界に戻ってみようか」って。書くための経験を増やしたいと思いました。

―その後はレポーターやMCを中心にタレント業をこなし、バラエティ番組にも出演されるようになった藤岡さん。それでも、最後は「書く」仕事を選ばれましたね。

藤岡:はい。当時“ミステリーハンター”に挑戦したり、ご縁があって北海道のローカル番組にも8年ほど出演させていただいたりして。自分からは決して行かないような、というか見つけられないような場所にたくさん行くことができました。やりがいを感じていましたし、あの時間と経験はかけがえのないものです。

その他のバラエティのお仕事も、経験できて良かったと思います。でも一方で、テレビにおけるわかりやすさとか、「テロップに使われる部分だけ切り取られる世界」に自分が疲れ始めてしまっていることに気づきました。そんなときに救いになったのが、やはり文章の仕事だったんです。

テレビでは瞬発力を求められるのでいつもアワアワしていましたが、文章を書いているときは心が休まるし、整理されていく気がした。どちらがいいとかではないですが、映像と文章では伝えるスピードや深度も違います。自分に向いている、すり減らさず心地よく打ち込めるのは書くことだと改めてわかりました。

最終的には事務所を辞め、芸能のお仕事から一歩身を引くことを決めました。たくさんの肩書きがある今、タレントという肩書きは数少ない「おろした肩書き」なんです。

なにかを辞めることも、始めることと同じくらい尊い挑戦だと思います。なにが苦手なのかとかなにをしたくないのかを知ることも、新しいことに挑戦することによって得られる収穫ですね。


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