恋愛リアリティ番組『バチェラー・ジャパン』シリーズの男女逆転版『バチェロレッテ・ジャパン』が配信されたのは2020年のこと。その初代バチェロレッテに選ばれた女性こそ、今回のミモザなひと・福田萌子さんだ。

知性と経済力を兼ね備え、さらに人目を惹きつける美しいスタイルを持っている。そして番組で見せた、相手に対して真っ直ぐに向き合う姿勢。そんな彼女の姿を見ていると、憧れの気持ちと同時に、「これまで苦労などしたことがないのではないか」……そんな嫉妬にも似た考えがふと頭をよぎる。

率直にその意見をぶつけると、彼女は少し考えて「そういう面もあるかもしれない」と答えた。しかし、幼少期に “カテゴライズ” されて苦しんだ経験が、今も彼女の考えや生き方に影響を与えていると話はじめてくれた――。


沖縄生まれ沖縄育ち、けれど「沖縄人」として扱われなかった幼少期

画像: 沖縄生まれ沖縄育ち、けれど「沖縄人」として扱われなかった幼少期
―福田さんのご出身は沖縄県。福田さんにとって思い入れが深い場所なのではないかと思います。幼少期はどのようなお子さんだったのでしょうか?

福田:生まれてから高校2年生までの約17年間を沖縄で過ごしました。沖縄という故郷がすごく好きだし、私にとって大切な場所です。

ただ、私は両親ともに沖縄の人ではなくて、苗字も「福田」。だから「うちなーんちゅ(=沖縄人)」じゃないんです。当時、学校の友人たちからは「ないちゃー(=内地人。沖縄県外の出身者を指す)」だって、ちょっと違う扱いを受けていたような気がしますし、その影響ですごく人の視線を気にする子どもでした。

たしかに私はうちなーぐち(沖縄言葉)は話せるけれど、私の身体を流れる血は沖縄由来じゃない。その事実によって「萌子はないちゃーだ」というカテゴライズをされていたんですよね。

その一方で、例えばハワイで生まれ育った「沖縄2・3世」は、うちなーんちゅと呼ばれるんです。実際にそのような知人から、「萌子はうちなーんちゅじゃないよね」と言われたことがあります。その方はハワイ生まれでハワイ育ち、私は沖縄生まれで沖縄育ちなのにです。

―「ないちゃー」としてカテゴライズされることを、どのように捉えていたのでしょうか?

福田:子どもながらに色々とかみ砕いて「私はないちゃーなんだ」と理解できたのは高校生くらいのことでしょうか。そうか血なんだ、ルーツってそういうことだ、って。

でも、小さい頃からみんなと同じうちなーぐちを話しているのに「あなたはないちゃーだね」っておじい・おばあたちに言われたり、友人たちから「内地の人だから言ってもわからないね」という態度をとられることもあって……。

相手に悪気がないことは分かっていても、自分に対して違う視線が向けられていたことはわかっていました。だから、「どうやったらこういう視線を持つ人たちと共存できるんだろう」とずっと考えているような、人の考えていることを気にするような子どもだったと思います。

―人の考えを気にしていた幼少時代……。今の福田さんからはあまり想像がつきません。

福田:他にも、学校ではあまり自分の話をしないようにしていましたね。「家庭環境の違い」も関係していたのかもしれないと思います。

私は不自由なく育ててもらったので、小さい頃からたくさんの習い事をさせてもらっていたけれど、周りにはそういう友達はあまりいなかった。だから、習い事は隠していました。

自分の話ではなくて、話題のテレビ番組の話をしていたほうがいい……って。余計なことを話したら、また“カテゴライズ”されてしまうかもしれないと怖かったんです。

―そうだったのですね……。とはいえ、福田さんはとてもオープンにご自身のお話をしてくださる方だなと感じています。なにか意識の変化があったのでしょうか?

福田:うーん、小さい頃からオープンではあると思うな。けれど、そういった小さい頃の経験から オープンにする自分の“部分”を見極めていたんだと思います。

私は嘘をつきたくないし、いつでも本音で話しています。自分をよく見せようともあまり思わない。中学生のころも、「習い事はしていない」と嘘を言うのではなく、ただ口にしなかっただけなんです。言わなければそれは嘘にはならないから。


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