「暗黒の中等科時代」 心の支えは深夜ラジオ

画像: 「暗黒の中等科時代」 心の支えは深夜ラジオ
—成長するに連れて、小島さんの中での悩みはどう変わっていきましたか?

小島:小学校高学年ぐらいからかな……、だんだんと自分のことを客観的に見て、ダメ出しをするようになりました。後に子育てをしたときには、「それは脳が順調に成長している証拠だよね」とわかったんですが、当時は辛かった。

もうずーっと「お前はダメだ」とか、「そんなこと言ってどうせ」とか、頑張っている自分を、もう一人の自分がけなして笑って、失敗したことをあげつらっては、いじめているんですから……。やがて自己嫌悪がどんどん強くなっていきました。

—そうしたなかで中学、高校は公立校ではなく、私立の学習院女子に進学されました。周囲の環境の変化があったと思いますが……。

小島:母に感謝していることのひとつですが「この子は比較的学力が高いから、私立の学校が向いているかもしれない」と考えて、当時はまだ珍しかった中学受験をさせてくれたんです。それで、第一志望だった学習院女子に通うことになり、勉強をするのが圧倒的に面白くなりました。

ただ同時に人間関係では結構難しいことが多く、私は「暗黒の中等科3年間」と呼んでいます(笑)

—どんな暗黒時代だったんでしょうか?

小島:周りにうまくなじめなかったんです。せっかく地元から離れて、白紙の状態で人間関係が作れる環境にいたのに、それに失敗したことでまた自分を責めました。友人との関係がうまくいかなかったことには、大きく言って二つの理由があったと思っています。

一つは、無神経な発言や軽率な行動で起きるトラブル。相変わらず、楽しくなっちゃうとつい失礼な発言をして相手を怒らせたり、度を越した悪ふざけをして傷つけたり、誤解を招いたり……私は一緒に楽しく遊んでいるつもりでも言動が一方的なので、相手は嫌がらせと受け取ることも。思春期で多感な時期ですから、トラブルになりがちでした。

もう一つは、恵まれた環境の中での「格差」でしょうか。学習院は幼稚園から大学までの一貫校。幼稚園から通っている子の中には「ご先祖様が教科書に載っている」「車6台に別荘4つ」とか、そんな子がたくさんいたんですよ。当時はバブル期でしたしね。

かたや私は不自由なく暮らせていたとはいえ、父が東京郊外に建てた家のローンをコツコツと返済しながら家族を養う、勤め人家庭の娘。学年の半分はそういう一般的な家庭の子ども達だったのですが、やっぱり見たことのない世界の方に目が行きますよね。

「一生懸命勉強して第一志望に合格した!すごいぞ私!」と誇らしい気持ちで入学したのに、いわゆる富裕層や名家に生まれたクラスメイトを目の当たりにして、こんなの、三代前から生まれ直さないと追いつけないよ!理不尽だ!とねたんだりしましたね。

—自分としてはイケイケで中学校に入ったつもりが、“住んでる世界が違う”ような同級生がたくさんいたと。

小島:この世には、家庭が裕福で、性格が良くて、勉強のできる子もいる。「努力すればどうにかなるって、嘘じゃん。世の中不公平過ぎる」と恨んで、環境にうまくなじめませんでした。

学校も嫌だし、帰れば母と毎日喧嘩だから家も嫌、自分も嫌。ある時は、友人、先生、家族、自分……「全部消えてしまえばいい」とすら思っていました。

—どこにも行き場がないと感じていた中で、何か心の支えになるようなものはあったのでしょうか?

小島:中学入学時に、ラジカセを買ってもらってAMラジオを毎晩聴いていて、それが心の支えでした。「22時以降はテレビ禁止」という家庭だったので、22時には部屋に戻って毎晩、夜中の2時までずっとラジオを聴く。寝ている間の放送も録音して、それを翌朝の通学電車で聴く。

深夜番組ですから、くだらない話が多いですよ。ゲラゲラ笑いながら聴いているとね、今こうして深夜ラジオを聴いて腹を抱えて笑っている人も世の中にはたくさんいる、「姿は見えないけれど、どうやらそこに私の仲間がいる」という気持ちになってくるんです。そう思えるだけで、当時の私にとっては、大きな救いになりました。

—入学したのは中高一貫校。中等科の同級生と一緒に高校に進学するわけですが、その苦しさは、高校まで続いたんでしょうか?

小島:それがね、人間、ねたむことにも飽きてくるもので(笑)。そこから解放されたいなと思って考えごとをしていたら、あるとき「世の中は不公平だけど、あの子の幸せと私の不幸には因果関係がない」ということに気づいたんです。そこから、妬む時間よりも「他者や自分を好きになるためには何をすればいいんだろう」と視点ががらっと変わりました。

ただ、相変わらず不用意な発言でのトラブルは多かったので「そこは直したい」と。それで、コミュニケーションの“型”を覚えることにしたんです。つまり、トラブルを起こさずに良好な友人関係を築いてる同級生たちのコミュニケーションをじっくり観察するの。観察学習(笑)。それで“型”をどんどん覚えていって、ちょうど高等科に上がるタイミングで「生まれ変わろう」って決めて、実践しました。

そうしたら、中等科3年間「慶子ちゃんって、問題児だよね」と思っていたであろう子が、たった1ヶ月で「慶子ちゃんって、大人しいよね」とか言うんですよ。「え?そんなもん?上書き、カンタン〜」って思って(笑)。これはいいぞと、そこからいろいろな“型”を実践すると、いつの間にか型なんて意識しなくても素のままの自分で友達とうまく付き合えるようになっていて、高等科の2〜3年は、おかげで愉快な学園生活になりました。まあ、先生方はご苦労されたかもしれませんが・・・。


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