登場人物が英語で話していることも忘れ、ただ物語に惹き込まれる――そんな洋画体験を最前線で作り続けている、映画字幕翻訳者の戸田奈津子さん。エンドロールで余韻に浸るひとときに、「字幕:戸田奈津子」の文字を目にした人も多いだろう。『E.T.』『ミッション:インポッシブル』をはじめとする数々の大ヒット作の翻訳を手がけ、87歳の今も現役で活躍する映画字幕界のレジェンドだ。

字幕翻訳者としてのブレイクは43歳。高校生で夢見てから20年以上もの間、チャンスを待ち続けた。夢のために、手放したものもある。「すべてを手に入れることは難しい。本当に好きなことを極めるためには、何かを捨てる覚悟も必要よ」。戸田さんのまなざしは揺らぎなく、私たち後輩を奮い立たせる。“好き”を貫くことに迷わない先輩に、続きたい。

違う人生を生きられる、字幕翻訳の仕事

画像: 違う人生を生きられる、字幕翻訳の仕事
――映画や小説に魅了された幼少期だったとお聞きしました。字幕翻訳者を志したのはいつ頃からでしたか?

戸田:終戦と共に洋画が日本に入ってきてね。衝撃だった。それまで本を読んで想像するだけだった外国の美しさを初めて目にしたの。

転機は高校生の頃、『第三の男』という映画にハマったこと。「I shouldn’t drink it. It makes me acid.」というセリフがあって。直訳すると「これ(酒)を飲んではいけない。これは私を不機嫌にするから」。それを「今夜の酒は荒れそうだ」と訳すセンスに感動して、字幕翻訳の仕事を意識するようになりました。

――大学生の頃には、字幕翻訳者の清水俊二さんに「字幕がやりたい」とお手紙を出されたのですよね。勇気が必要だったのでは……?

戸田:そうするしかなかったのよ。今と違ってインターネットで検索もできないし、どこで誰に聞けばいいかもわからない。その頃観た洋画のエンドロールにはいつも「字幕:清水俊二」の文字があって、もうこの人に聞くしかないと。でもね、手紙を送る前にはさんざん迷いましたよ。見ず知らずの子から「字幕がやりたい」と手紙をもらっても、迷惑だろうし困るでしょ。でも、字幕への道を開きたかった。本当に、「清水の舞台から飛び降りる」という言葉そのままの気持ちで手紙を出しました。

ありがたいことにお会いする機会をいただけたのだけど、困った顔で「難しい世界だよ」とおっしゃった。でもその後も年賀状や暑中見舞いでご挨拶をさせていただいて、その熱意が届いたのか、字幕の基本を教えてくださるようになりました。もちろんそこからすぐに翻訳を任せてもらえる……なんて甘い世界ではないわよ。大学卒業から10年ほどして、映画配給会社から「映画を買い付けるかの判断用にあらすじを翻訳してほしい」という仕事がもらえて、やっと洋画界の入口にたどり着いた。そして思いがけず通訳を任されるようになったり、通訳がきっかけで字幕翻訳のチャンスをいただいたり……。紆余曲折を経て字幕翻訳者としてもお仕事ができるようになったの。

――そんな時期を経て、今では戸田さんが字幕翻訳の第一人者です。これまで1500本以上の映画を翻訳されていますが、絶え間なく新しい映画に触れ続ける毎日に疲れてしまうことはありませんか?

戸田:全然!それが最高に楽しいのよ、この仕事は。忙しいときは週に1本を仕上げるスケジュール。今週は宇宙を旅して、次の週は過去にタイムトリップ。フィクションの世界で生きていると、毎週全然違う世界に行けるわけよ。それも客観的に観ているんじゃない。翻訳するとき、私は映画の中の登場人物になりきって、頭の中でお芝居するの。まるまる一本ひとりで訳しますから、登場人物全員になる必要がある。実際には机の前でキーボードに向かっていても、頭の中ではいろんな世界を旅して、いろんな人の人生を生きる。こんな面白い仕事はないわ。

――「想像力」が生きたセリフを生み出すんですね。

戸田:そう。映画の翻訳って、ただ横文字の英語を縦書きの日本語にしてるんじゃないのよ。例えば女性が「I love you」って言ったとしてね。この人が言う「I love you」は日本語ならどうなるかをこの胸で感じなきゃいけない。「愛してるわ」、「好きよ」……いろんなチョイスがあるじゃない。特に語尾はとても重要。語尾の変化は日本語特有のものでしょ。「こういう性格の人は、相手との過去の関係を考えて、この瞬間こういう言い方を選ぶだろうな」とか、いろいろ考えるわけです。英語の理解はスタートラインで、この仕事の8割は絶妙な日本語の微妙なニュアンスの違いをどう表現するかにかかっています。しかも短く的確に、字幕翻訳に必要なたくさんの条件をクリアしてね。

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