夢を見ながら、叶わないことも覚悟した20年
戸田:それまでは年に1本仕事があるかないか。洋画は狭い世界ですから、私が字幕をやりたいことは、映画会社の人はみんな知っていたの。洋画界は一見派手に見えるけど、国内で華々しくヒットする映画はごくわずか。社運を賭けて何億円で買ってきた映画を、新人の字幕でつぶすわけにいかない。私もそれを理解していたから、すぐに道が開けるとは思わなかったわ。
『地獄の黙示録』で名前が知れた時も、うれしかったけれど「やっとチャンスが来たかな」くらいの気持ちでしたよ。実力の世界だから、常に「次の1本が良くなければすぐに仕事は来なくなる」という大きな緊張感がありました。やりたい人はいっぱいいるんだから、1本ヒットしても将来が保証されるわけではない。でも仕事って甘いもんじゃないでしょ。
戸田:ないわね。当時、女性が前に出ることが難しい業界はたくさんあったはずです。でも字幕翻訳は実力主義ですから、ちゃんと仕事をした時は認めてくれていたと思います。
女性だからというよりも、そもそも字幕翻訳の世界は入口が開かれていないことに難しさを感じていた。簡単に入れる世界じゃないことはわかっていたけど、10年経っても道が見えない。あと何年待てば見えるのかもわからない。そんな状況が続いたから。
結果的に仕事が安定するまで20年かかったけれど、常に夢が破れる可能性を意識しながら生きていました。バラ色の世界ばかりを夢見ていたら、叶わなかった時に大変でしょ? 叶わない時も現実を生きていけるかを自分に問いかけて、心の準備をしていたわ。
戸田:不安ですよ、そりゃ。夢が叶うか叶わないか、20年のあいだわからないんだから。でもくよくよしたってプラスになることなんてないでしょ? 自分を前向きにしようって気持ちは忘れなかったし、その歳月はその時々でちゃんと楽しんでました。だって自分じゃどうにもならない状況だし、誰のせいにもできないんだから、開き直って、決めたのは自分なんだから、自分で覚悟していればいいと思っていました。
戸田:ありませんね。生きていくためのパン代は稼がないといけなかったから、会社には申し訳ないけれど、最初から“腰掛け”のつもりだったの。実際、1年半だけ働いて辞めました。ブレイクするまでいろいろ仕事はしましたよ。でもゴールは絶対に変わらなかった。諦めようと思ったことは一度もないの。だって私には字幕しかなかったから。
30代はほとんどが通訳の仕事でしたけど、これも私にとっては本業ではなくて、字幕のための道のりだったのよ。でも映画会社から通訳のオファーがあってね。「断ったら肝心の字幕ができなくなるかも」って心配もあるでしょ。だから受けたの。でも通訳経験のない私が、初めて記者会見に連れていかれて、上手くできると思う? あまりに下手で、もう仕事は来ないだろうと思った。けれどそれが字幕に繋がって、そのあとも通訳は続きました。
今考えれば、通訳の仕事はリフレッシュできる時間だったのかもしれない。字幕は机の前でずーっと集中する仕事ですから、いろんな人と外で会ってカメラに囲まれて……非日常を過ごせるのはいい気分転換でした。とはいえ、私も80歳をとっくに過ぎているし、通訳は柔らかい頭脳が求められる仕事です。だから昨年、「通訳を引退する」と決めたんだけど、「なぜ辞めるのか」ってあまりにも多くの反響があって驚きました。でも逆に質問をしたいわ。「80歳の通訳者が他にいますか?」って(笑)