最近、転職を考えているという友人たちが、わりと高い確率でこんなことを言う。

「今の会社にとくべつ不満があるわけじゃないんだけど」

仕事もそれなりにこなせている。人間関係はおおむね良好。繁忙期はあってもずっと忙しいわけではない。決して十分とは言えないまでも、給料がよそに比べて顕著に低いとかいうこともない。本当に、とくべつな不満はない。それでも、転職を考えている。

来月どうやって生きていこうと頻繁に頭を抱えるしがないフリーランスの私としては、彼らの真意がいまいち解せない。一見まったくもってストレスフリーな職場に、一体なんの問題が? それでよくよく話を聞いていると、どうもこれしか考えられないという彼らの本音が次第に立ち上ってくる。簡単に言えば「つまらない」のだ。日々の仕事も、同僚たちとの何気ないやりとりも、不満はないけれど、面白くもない。予測し得ることばかり起きる毎日が、つまらない。さらに先々、つまらなくない未来が訪れそうな気配もない。

彼らのつまらなさっていうのはきっと、一度すっかり解き終わった数独パズルを、その後も毎日繰り返し解かされるようなことなのだと思う。もちろん、仕事は数独よりもう少しなまものだから、よくよく目を凝らして見れば日々、ちょっとずつ違っていたりするんだろう。それでも勤勉な私たちは日を追うごとに、そんな小さな違いの中にさえ、律儀にパターンや攻略法を見出してしまう。そうやって、未知をつぎつぎと既知に変えてしまう。既知のものばかりに囲まれていると、最初のうち安心できても、だんだんつまらなくなる。

会社なんて星の数ほどあるわけで、ここにいても先がない、右にも左にも余白がないと思えば、潔く別の場所に移ったらいいのだ。……そう頭ではわかっていても、一部には何年も「転職を考えている」と、ひたすら考え続けるばかりの人もいたりする。マッチョなビジネス系インフルエンサーに見つかればすかさず激詰めされそうな、あまりにも長きにわたる逡巡。だけど私にはその気持ち、決してわからなくない。「結局よそに行っても同じなんじゃないか」って、つまらない日常のさらに外側の世界に、やっぱりさらに大きなつまらない世界を、想像してしまうんじゃないか?

本当は広いはずの世界が、ものすごく小さく、窮屈に感じられ、もうこれ以上あたらしい冒険の余地なんてどこにもなさそう。どうしてもそんなふうに考えてしまうことが、ここ数年、コロナ禍の鬱屈も合間って、私自身にもときどきあった。


そんな中、今年8月。いろいろと都合がついたので、娘の推し活に付きそって韓国まで行ってきた。海外とはいえ、羽田から2時間半の隣国。さらにグローバリズム進むこの現代、観光客がたった数日間で目にする表面的な風景に、日本とどれほど大きな違いがあるかといえば、正直そんなにない。ソウルの都市部には高層ビルが密集し、隙間を縫うようにスマホを手にした大勢の人が早足で歩いている。至る所にスターバックスがあり、至る所にセブンイレブンがある。片やすこし車を走らせると、軒先のタオルが干されたまま何年も忘れられている時間の止まった家屋や、すっかり朽ちて放置された工場の立ち並ぶ、さびれた郊外に出る。行く先々に、既視感がある。

ただそれでも、普段とは決定的に違うものがあって、何かっていうとそれは、ほかでもない私自身だ。初めての国に赴いた私はそこで、ただバスに乗ることにさえ苦労する不慣れな観光客で、理解できる数少ない韓国語をなんとか拾い上げようと、目の前の人から発せられる一言一句に最大の注意を払っている。目に入るすべての風景を、これはあれに似ている、これはあれと違う、とひとつひとつ捉えていく。無意識に、いつもとは違う私になっている。

そんな五日間を経て帰国すると、日常に不思議なことがおきた。もう20年も暮らして、すっかり見知ったつもりでいた東京の街が、急にそれまでとは違うものに見えたのだ。「見えた」というのは比喩ではなく、見慣れた建物が、本当に初めて出会う建物のように「見えた」。もちろんこれは一時的なもので、2、3日もするとすっかり元に戻った。それでもこの、一瞬でも見える世界が変わるという体験は、それだけで私にとって大発見だった。たとえ見えている世界から逃れられなかったとしても、世界を見る自分の目を変えることは、どうやら意外と、できるらしい。

そんなことを思って以来、窮屈だと思っていた身の回りの世界が少しだけ広がった。すっかり解いてしまったと思っていた日常のパズルにも、もしかしたらその先があるかもしれない。その可能性を、前よりも多少、信じられるようになった。だから今、日常がどうしようもなくつまらない人は、思い切って一度、外国に行ってみたらいいと思う。右も左もわからない観光客として数日過ごして、帰ってきたらいいと思う。格安航空も、案外悪くないですよ。

画像: 遠くを旅して、身近な日常を拡張する 紫原明子<第二回>

紫原明子(しはらあきこ)

エッセイスト。1982年福岡県生まれ。著書に『大人だって、泣いたらいいよ 紫原さんのお悩み相談室』(朝日出版社)、『家族無計画』(朝日出版社)、『りこんのこども』(マガジンハウス)等。「話して、聞いて、書いて、自分を掘り出す”もぐら会”」主宰。「WEラブ赤ちゃん泣いてもいいよステッカー」発起人、エキサイト株式会社と共同で普及に努める

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