日本の立位テニスを引っ張るのは、自分たちしかいない

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――障がい者立位テニスとは、どんな競技ですか?

柴谷:その名のとおり、障がいのある方が「立ってする」テニスで、競技対象者は肢体障がい者。英語では「アダプティブ・スタンディング・テニス」などと呼ばれ、1バウンド返球といった基本ルールは通常のテニスと変わりません。障がいの度合いによってカテゴリーを分け、カテゴリーごとにコートを小さくしたり、弾みにくいボールを使ったりと、選手にルールを適応させています。まだまだ発展途上のスポーツなので、世界大会が開催されるごとに、カテゴリーやルールのブラッシュアップが続いているところです。

――公平な競技を実現するためのルールが、いままさに整えられていっているのですね。

柴谷:はい。車いすテニスはそうした環境がすでに整備されていますが、すべての障がい者が、車いすでテニスをプレイできるわけではありません。片腕がなかったり、半身麻痺だったりすると、ラケットを持ったら車いすを動かすことができないからです。

でも、立位テニスなら僕のように義足でも、片腕がなくても大丈夫。僕は、普段穿いている義足のままでプレイしています。ちなみに、パラリンピック陸上などで使われている疾走用のバネ板義足は、まっすぐ走るにはバネが効いていいのですが、テニスのように横移動のあるスポーツには向かないんですね。

――立位テニスと出会い、ふたたびアスリートとしてテニスを追求できるようになった柴谷さん。海外大会にも参加をされていると伺いました。

柴谷:立位テニスは2013年ごろから、世界中でさまざまな大会が開催されるようになっていました。各地の国際大会から、僕宛に出場依頼が来ることも。残念ながら渡航費などの経済的理由で何度かお断りをしていたものの、2016年のUSAオープン(テキサス州ヒューストン)には、日本代表として参加させていただきました。

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このころには、自分も「日本で立位テニスの大会を開きたい!」という想いが芽生えており、競技ルールの整備や大会運営の方法を学ぶつもりで渡米したんです。でも、日本にはまだ立位テニス選手の受け皿となる団体すらなかった。なので、帰国後に同志を5人集め「日本障がい者立位テニス協会JASTA」を設立しました。2017年3月のことです。

――みずから旗振り役となり、普及・発展のために団体を立ち上げるというのがすごいです。

柴谷:最初は、テニスに関わるさまざまな団体に相談したんですよ。でも、どこに行っても「いいですね」とは言ってもらえるものの、「ぜひやりましょう」とは言ってもらえませんでした。そこで、妻と一緒に「これは自分たちでやるしかない」と決意したんです。当事者だから状況も気持ちもわかる、課題もわかる。やらない手はありませんでした。

――JASTAでは、まずどのような取り組みから手をつけたのでしょうか?

柴谷:国内の練習会や大会を充実させるため、文部科学省のスポーツ庁や日本障がい者スポーツ協会を訪問しました。ただ、みなさん応援はしてくださるものの、任意団体であることがネックになって、ほしいサポートがなかなか得られなかった。「じゃあ法人格を取ればいいんだ」と、すぐに勉強して手続きを進め、その夏には一般社団法人を立ち上げました。

翌年5月には、国内で初めての障がい者立位テニス大会を開催。大会コンセプトやデザインを考えるのも、日々の広報や当日の運営も、すべてが手弁当です。実績がゼロの状態から大会を開くのは大変でしたね。自分が各地の大会で残した実績を整理したり、海外での実施例をまとめたりしながら企画書をつくって、スポンサーを集めていきました。

――果てしない作業に感じられます……!

柴谷:さまざまなタスクを進めていくにあたっては、社会人としての経験も役立ったように思います。会社を辞めてフリーランスになってはいたけれど、ずっと建築の仕事をしてきて、空間づくりやデザインの知識はあった。大会運営の組織をつくって動かすことも、建物をつくるときに設計・施工でタスクを分担し、相談しながらプロジェクトを進めることと似ています。また、障がい者テニスの業界ではめずらしい動画つきフルカラーのプレゼン資料を持参したときは、スポンサー企業の方に驚かれましたね。

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