あきらめていたスポーツを再開。「立位テニス」と出会う

画像: あきらめていたスポーツを再開。「立位テニス」と出会う
――義足のことをオープンにし、いまはテニスも楽しんでいる柴谷さん。足の切断以降 遠ざかっていたテニスと、どのように再会したのでしょうか。

柴谷:妻と毎年旅行していたハワイ島で、天気が悪くて海で遊べなかったとき、滞在していたホテルのテニスコートが目に入ったんです。そこで、ひさしぶりに羽つき程度のテニスをしていたら、たまたま居合わせた現地のコーチ・MinoruOTAさんに「左足が不自由なら、上体をひねって打てばいいんだ」と言われ……目からうろこでした。

昔は、右利きなら左足を踏み込んで打つのが当たり前。義足のために踏み込めない自分には無理だと決めつけて、テニスの情報を遮断して生きていました。でも、その間にテニスのフォームそのものが進化して、「上体ひねり(オープンスタンス)」という新しい技術が生まれていたんです。確かに、そのフォームなら左大腿が義足でも問題ない。もしかして、27年ぶりにまたテニスができるようになるんじゃないか? と、光が見えました。

それで日本に帰ってから、通えるテニススクールを探したんです。でも、やっぱり僕は障がい者だから、健常のスクール生と一緒にレッスンを受けたら迷惑をかけてしまうんじゃないかというためらいもありましたね。だけど、そこでも素敵なコーチ・中川勝就さんに出会い「脚があろうがなかろうが私についてきなさい」と言っていただいて、本格的にテニスを再開しました。

画像: ▲日本でのコーチ、中川勝就さんとの1枚(ご本人提供)

▲日本でのコーチ、中川勝就さんとの1枚(ご本人提供)

――ハワイでも日本でも、素敵なコーチに出会われましたね。

柴谷:本当にありがたいことです。しかも、どちらのコーチも、障がい者テニスを専門に教えているわけではありません。たまたま「健常/障がい」の線引きがないコーチに出会えたのは幸運だったなと思います。

教わるやり方も、特別なことはありません。病気になる前に基礎は身に着けてあったから、一般的なテクニックをあらためて教わったのち、自分の体でできるかたちに適応させて練習します。で、自分なりの動作を見てもらってまた練習する……の繰り返し。ほかのスクール生に対する心配も取り越し苦労で、レッスンが終わったあとにようやく「えっ、義足だったんですか?」と驚かれたこともありました。

――練習だけでなく、試合にも参加するようになったのはどんな経緯だったのでしょうか。

柴谷:ある日、スクール近くの公園を通りかかったら、両足義足の方が試合をしていたんです。関東障がい者テニス協会が主催する「ニューミックスダブルス」という大会でした。健常者と障がい者がペアを組み、テニスを通じて交流する福祉領域の競技です。これなら私も試合に出られると思い、大会の共催団体だった王子グリーンテニスクラブに入会して、年に何度か夫婦で出場するようになりました。

でも、レクリエーション目的のニューミックスダブルスでは、選手たちの障がいやテニスの技量がまちまち。こちらは片足義足の僕と初心者の妻なのに、相手ペアにはテニスのコーチがいたりするんです。そして、もっとスポーツ領域でテニスに打ち込みたい人は、車いすテニスを選ぶのが主流でした。でも、僕は義足だけど立って動けるのだから、車いすには乗らず、立ったままテニスがしたかった。そこで見つけたのが「障がい者立位テニス」だったんです。

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