育児は周りのためではなく、子どものために行われるべき
レニック:不安な気持ちは特になかったですね。当時はまだ医学生だったんですが、妻も自分も子どもは欲しいなとずっと思っていました。
学生で親になったことで、もちろん大変なことはたくさんあったんですが、今になって振り返ってみると、医者のキャリアってどのタイミングでも結局忙しいんですよ。逆に学生時代の方が時間が余ってたくらいで。正直、親としての自覚を持ったとか、子どもが欲しいと思うようになったきっかけみたいなのが明確にあったわけではないんですが、あの時親になってよかったなと思っています。
ただ、実際に親になってみると「育児ってこんなに大変なんだ」ってびっくりしましたね。オムツとか、お腹すいたとか、お風呂嫌だとか、想像していたよりも子どもにはたくさんのニーズがあって(笑)。それにひとつひとつ応えていかなきゃいけない。
そのうえで、3人目の子どもが生まれてからは一段と大変になりました。「子どもが3人」とはどういうことかというと、親よりも子どもの数が多い状況なんです。子どもが2人の時は「上の子は見てるから下の子はお願い」と夫婦で分担できていたんですが、3人になると、2人の子どもを同時に見ないといけない場面がたくさん出てきて。とにかく毎日大変でした。
だから反対に仕事に行くのは休みに行くくらいの感覚でした。いくら仕事が忙しくなっても、いきなりドアを開けて「お腹すいた!!」って言いにくる人は病院にはいないので(笑)
レニック:これは子育てに限った話ではないと思うんですが、日本は自分以外の人のことを強く意識しているなと。常に周りの人のことを意識することで、無意識のうちにその人のことを評価してしまっている気がします。
なので、育児をしている親自身も「自分の育児はどうなのか」と周りから評価されている気分になってしまって。外出している時はそれを強く感じますね。子どもの声とか行動を通して、親である自分が評価されているなと。
特にこの評価はお母さんに向けられる傾向があると思います。お父さんは割とフリーパーソンというか。子どもが電車ではしゃいでいると「お母さん何してるの?子ども騒いで周りが迷惑してるよ」みたいな、漠然としたプレッシャーがお母さんにかけられていると感じます。
「電車に乗ったとき、ベビーカーはたたむべきか」なんてことが議論になっていた時は、本当に驚きましたよ。これも結局「周りに迷惑がかかる」という意見が議論の発端になっていて。でも、子どもがベビーカーに乗るのは当たり前のことですよね。
オーストラリアだと、子どもが周りに迷惑をかけるのは「子どもなんだから当然」という認識です。もちろん日本の周りのことを考えて気を遣う文化は素晴らしいんですが、子どもに対してはもう少し寛容になってもいい。社会全体で子どもを育てるという意識を持てると、育児をしている人たちの気持ちが楽になるんじゃないかなと思います。
レニック:オーストラリアだとそこまで「常識」ってあまり言わないんですよ。子どもも他人に迷惑をかけてはいけないことが常識、この年齢になったらみんなこれができるべき、という線引きは日本特有かもしれません。
マナーについて言えば、大人しく座れるようになるのが3歳の子もいれば、5歳になってもまだ苦手な子もいる。個体差はあって当然ですし、「みんなバラバラなのが当たり前」という考え方が一般的です。
オーストラリアでは「他人が迷惑に思うか」ではなく「子ども本人が困っているか」が判断基準になります。なので、子どもが元気すぎたり大人しく座っていることが苦手だったりしても、本人が困っていないのであれば「周りが迷惑に感じるからそれをどうにかするべきだ」と周りの人間が何かを押し付けることはありません。
レニック:そうですね。でも、日本は子どもが成長していくにはとてもいい国だということは間違いありません。大人だけではなく子どもにとっても、日本には選択肢が溢れています。だって、週末に家族で気軽にディズニーランドに行けるんですよ!オーストラリアに住んでいると、最寄りの遊園地は車で数時間先。ディズニーランドは本当に「夢の国」というか、一生で一度行けるか行けないかという場所です。
もちろんアクティビティだけじゃなくて、塾や習い事、進学先なんかも。日本の子どもはいろんなことを選んで経験して、成長できるんです。そういった意味では、日本が夢のような国なのかもしれません。
日本ならではの周りを気遣う文化や子どもが持てる選択肢の数、そしてオーストラリアのような子どもに対する寛容な社会。それぞれのいいとこ取りをしたような社会が実現できれば、日本は親にとっても子どもにとっても、子育ての環境が整った最高の国になるんじゃないかなと思います。