ウクライナの国立大学を卒業後、空手を習っていた縁から日本に留学してきたクレシェンコ・アンナさん。京都大学法学部で学ぶうち、起業を志すようになりました。
在学中に「バイアス・偏見・タブーから女性の心と体を解放し、データを通じて個人をエンパワーメントする」というビジョンを掲げ、株式会社Floraを創業。女性の心身にまつわる悩みのビッグデータを構築し、月経・妊活アプリの開発や、企業の女性活躍・健康経営のコンサルティングを手掛けています。
「女性が抱える問題は、データによって解決できるものがたくさんある」と話すアンナさんに、データドリブンによって広がる可能性をうかがいました。
個人差が大きい悩みだからこそ、データで可視化する意義がある
アンナ:昔からずっと、いろんな国を見てみたかったんです。だから、いずれ留学などで別の国に行くことは決めていました。日本を選んだのは、幼いころから空手をやっていて、馴染みがあったから。中学3年時にはヨーロッパ3位の成績も残して、本気で東京オリンピックを目指していたんです。その後トップ10の出場者枠を勝ち取れず、現役を引退したんですが……。でも、日本に留学すれば大阪には有名な道場もあるし、オリンピックに出ていた憧れの清水希容選手と一緒に練習できたりするかも……といったミーハー心がありました(笑)。もちろん、日本は教育水準が高いから、よい環境で勉強ができる、というのも大きな理由です。
アンナ:京都大学法学部に入学したものの、じつは法律の勉強が苦手で……(笑)。このまま法律だけをやっていたら、大学は卒業できても、とても中途半端な状態で帰国することになってしまう。せっかく日本に来たのだから、ここで何か打ち込めるものを見つけたいと考えたんです。それからサークルや部活、ボランティアなどさまざまなことにチャレンジするうち、一番面白かったのがビジネスコンテストでした。大学2年生時にはシリコンバレーを視察してさまざまな社会起業家に出会い、その姿勢や熱量に憧れて、とりわけ「社会起業※」に興味を持ちました。もともとゼロから何かを生み出すことが好きなタイプなので、スタッフとして関わるのではなく、自分自身が社会起業をしたい、と考えるようになったんです。
※社会起業とは、新たなビジネスによって社会課題の解決を目指す起業のこと
アンナ:当初、情熱を持って取り組める課題がなかなか見つからなくて……。そんなとき、いとこが第二子の妊娠中に、“産前うつ”になってしまったんです。産後、生まれた赤ちゃんが別の要因ですぐに亡くなってしまったこともあり、私も大きなショックを受けました。赤ちゃんが亡くなってしまったことは医療の面でしか解決ができないことですが、産前うつに関しては何かできることがなかったのだろうか……。女性の心身の健康をサポートする事業について真剣に考えはじめたのは、このころです。リサーチをしてみると、産前産後にメンタルの課題で苦しんでいる女性がすごく多いことが分かってきました。産前産後だけでなく月経不順や不妊など、女性の約3割が、なにかしらの婦人科系疾患を抱えているともいわれている。なのに、どうしてこの問題が社会であまり意識されていないのか、根本的な課題はなんなのか、どうやって解決していけばいいのかを探す日々がはじまりました。私にとって、情熱を持てる課題が見つかったのです。
アンナ:まずは、「女性の身体とメンタルのケア」を目的に、産前産後うつの症状を緩和するためのアプリを企画しました。でも、思春期から更年期まで女性にはさまざまな心身の問題があるので、産前産後うつだけではなく、女性の日常に寄り添ったものでないと、妊娠中や産後にアプリを使っていただけないと思ったんです。。そのため、まずは月経と妊活をサポートするアプリからはじめ、徐々にサービスの幅を広げていこうと考えました。
アンナ:「フェムテック」を冠したビジネスに取り組む企業はたくさんありますが、数値的なデータや仮説検証に基づくサービスは、まだまだ少ないと感じています。でも、心身にまつわる課題は個人差が激しいからこそ、一人ひとりの悩みをきちんとデータ化して可視化することが大事だと思うんです。それが、適切な解決方法を見出すことや、当事者以外にも悩みを理解してもらうことにつながると考えています。
データによって悩みをとらえ、データによって解決策を練る
アンナ:大きく分けて、toCとtoBの2種類の事業を展開しています。toCは、自分の身体の症状を記録して、健康状態の推移やメンタルとの相関関係をチェックしたり、女性の心身にまつわる読み物コンテンツなどを楽しんだりできるアプリ「Flora App」です。正しい知識を提供し、日ごろから自分の身体に目を向けてもらうことで「こんなに生理痛がつらいなんて、子宮内膜症かもしれない」といった早期の気づきを促します。そこから派生して、コミュニティサロンやイベントの運営などもしていますね。でもアプリの開発には、日本ならではの苦労もありました。
アンナ:アプリの試作段階で、一般の女性ユーザーに完成度や新しく望む機能などについてヒアリングをさせてもらったんです。その場ではみんな「すごくいいですね」「ほしいです」などと言ってくれたんですが、正式なアプリの販売を開始しても、なかなかダウンロードしてもらえなくて……あのときの「いいですね」って、もしかしたら全部建前だったのかもしれないと少し落ち込みました。日本の女性の優しさはとてもよい部分である反面、「このビジネスはあまりよくない」「この機能は使いにくい」といったマイナスの意見を、率直に言ってくれる方はあまりいない。建前で褒めてくれるのは優しさかもしれないけれど、事業にとっては結局マイナスになってしまうから、できればぜひ正直に言ってほしい……。日本の方々にユーザーインタビューをするときは、匿名性が大事だと学びました。
アンナ:「女性の心身にまつわる課題解決」というテーマはそのままに、内容を企業向けにカスタマイズしたプラットフォームを提供しています。正しい知識を身に着けることで「働きやすさ」を実現できるよう、「不妊治療と仕事の両立」や「生理休暇の取り方」などといったコンテンツも用意してみました。また、男性向けに「女性の部下に婦人科系の不調を相談されたらどう対応すればいい?」といったコンテンツもご用意しています。
「女性の婦人科系の問題は男性上司に相談しにくい」という状況は、データやユーザーインタビューからも読み取れていたからこそ「作らなければ」と思っていました。また、プラットフォームやサーベイから集めたデータに基づいて、働きやすい職場づくりや女性活躍・健康経営推進の取り組みもサポートしています。
アンナ:働き方や組織を変えるためにも、やはりデータの力が役に立つんです。近年ではイデオロギーとして、“とりあえず女性活躍に取り組まなければいけない”という空気が出てきていると思いませんか? でも、例えば「女性の取締役を増やそう」という目標に対して「社外から適任者を探そう」といった、本質的ではない対策をとるケースが少なくありません。本当は、どのようにすれば社内の女性が働きやすくなり、自然と取締役になる未来がやってくるのかを考えるべきなのに、そうしたアプローチはなかなか増えていないと思うんです。その原因のひとつは、実施した施策の効果やKPIがきちんと測られていないケースが多いから。働きやすさの定義や施策の効果などを、データドリブンに考えていけば、解決できることはたくさんあると思います。
アンナ:働く方々の苦情や要望、よく口にするキーワードといったデータです。
たとえば「不妊治療と仕事の両立が難しい」「身体の不調を上司に相談しにくい」といった “これまで見過ごされてきた悩み” が浮かび上がってきます。そうした悩みに基づいて解決方法を考え、発生しうる結果を想定したうえで、企業にアドバイスするのが私たちの仕事です。
実際の例でいうと、「社員の年齢が若ければ若いほど、職場で心身のことを相談しにくく感じている」というデータがありました。しかし、40代以降はそもそも職場で個人的な相談をしたいと思っている人が少ないため、職場に相談しにくいという悩みも持っていない。つまりこのデータは、「若い世代は、生理痛や妊活について職場でも相談したいと考えている」、期待のあらわれだという興味深い仮説が立つのです。じゃあどうすればその期待を叶えられるのかを考えたとき、マネージャー層が部下の相談を聞くためにはどうすればいいかを学ぶワークショップや、社員が自由に参加できるオンラインの相談イベントの開催をしてみようと。
近ごろはありがたいことに導入企業が増えているため、類似の課題を持った企業がどんな対策をとり、どんな効果があったかという結果まで情報提供ができるようになってきました。こうした情報もいずれはデータベース化して、AIから自動的に施策の提案などができるようにしていきたいんです。
アンナ:女性の悩みのなかには「働きたいのに、身体や心の調子が悪くて働けない」という声がすごく多くて、もったいないと感じます。そうした状況を改善しようと思うと、やはり会社やコミュニティの意識を変えていくことが必要なんですよね。女性の心身の健康を守りたいと思うからこそ、法人向けのサービスにも力を入れているんです。
アンナ:確かに、どれだけロジカルにアピールしても、当事者たちの苦しみが伝わりにくい分野だとは思います。とくに更年期障害の症状は個人差が激しくて、同じ年代でもまったく不調を感じない女性と、つらくて会社を辞めるほどの女性がいるんです。そして、まったくつらくない方が取締役にいらっしゃったりすると、サポートサービスの必要性を実感できなかったりして……。症状の軽い女性取締役の方が「私は大丈夫だったから、このサービスは不要なのでは」と、サポートサービス導入に否定的であるケースはしばしばあります。それは、とても悲しい状況です。
ただ、そうした場合に「更年期の症状によってスタッフのパフォーマンスが低下すると、労働損失額はこうなる」といったコストにまつわるデータを出すと、納得していただける場面が多いですね。「女性が快適に働けるように」「女性の活躍を後押しする」などとふんわりした言葉を使うのではなく、データを使って「これだけの経済的な効果が見込めるから、一緒に改革していきましょう」と言うほうが、やはり説得力が出てきます。
アイディアに固執しない。つねに自問自答して、最善の策を考える
アンナ:そうですね。ただ、この世の中を一番早く変えられるのは、やはりその悩みを抱えている当事者です。当事者が声をあげることによって意見交換の場が生まれ、解決策が考えられて、社会の空気が変わっていく。でも、確かなデータがあれば、非当事者でも声をあげられるようになっていくと思うんです。
アンナ:引き続き多くのデータを集め、サービスを拡充していきたいです。toBでは「フェムケアに興味はあるけれど具体的なやり方がわからない」という声にお応えして、包括的にサービスを提供できているのが、現状の強みだと思っています。そこを活かしつつ、目立つ課題に対しては、スポットケアのサービスも展開していきたいですね。ただ……こうしたさまざまな解決策のアイディアは、いつでも変わる可能性があるととらえています。
アンナ:はい。もっといい方法があるかもしれないし、同じ方法でももっと効率よく、もっとリーズナブルに実現できるかもしれない。私たちはその可能性を念頭に置いて、常にベストな方法を模索していかなければいけません。この方法ではだめだと思ったら、すぐに辞めて次の案を試す勇気だって必要。ユーザー目線なら「日本だけでなく、世界中のユーザーに価値を提供できるか?」、経営目線なら「このアイディアで10年後、一兆円規模の企業をつくれるか?」といった判断基準を胸に、女性をサポートするサービスをつくり続けていきたいと思います。
アンナ:誰もがなりたい自分になれる世界です。心身の健康や組織に妨げられることなく、誰もがいつでも100%を発揮できる自分になってほしいと思います。私にそのサポートができたらいいなと。
アンナ:いまの時点では及第点だと思いますね。本当にやりたいことに打ち込んで、ゼロからイチを生み出し、それなりの成果も実感しはじめていますから。でも、社会を変えるにはもっと会社の存在感が必要だから、まずは上場したいし、事業が落ち着いてきたらまったく別の挑戦もしてみたい。そんな10年後のなりたい自分に向けて、私自身もまだまだ頑張らないといけません。
クレシェンコ アンナ
ウクライナ国立オデッサ大学卒業後、2017年から日本に。
2022年に京大を卒業し、京大経営管理大学院に入学。身近な人の妊娠合併症により、women's healthへ関心が高まり、Floraを日本で創業。2022年に関西財界セミナーの輝く女性賞、京都女性起業家最優秀賞を受賞。同年に京都府総合計画策定検討委員会の委員に就任。
取材・執筆:菅原 さくら
編集:山口 真央(ヒャクマンボルト)
写真:KEI KATO(ヒャクマンボルト)