仕事で自信を持てない自分。それを乗り越えて自己肯定感を得るには、環境を整えたり、人から助言を得たりと、さまざまな手段がある。

今回の主人公であるプルデンシャル生命のライフプランナー、菅 舞子(かん まいこ)さんが自分への自信を得た手段は「転職」だった。かつての菅さんは自信のなさを抱えながらもIT業界でSEや営業として奮闘していた。「自分の居場所はここではないのかもしれない……」と疑問を抱いたときにプルデンシャルと出会い、転職を決意したのだ。

そこから14年。現在は同社でライフプランナーとして本領を発揮し、お客さまから信頼される営業パーソンとなった。「この先もずっとこの仕事を続けたい」と語る菅さんは、いかにして“自信”を手にしたのだろうか――。




「自分の存在価値を見出せない」と落ち込んだ日々。転職のきっかけは自分への無力感から。

画像: 「自分の存在価値を見出せない」と落ち込んだ日々。転職のきっかけは自分への無力感から。

「――このままじゃダメだ。いつまでも役に立てないな」

新卒入社から12年勤めてきたIT企業で、菅さんは焦りを感じていた。

「大学の学部は文系でしたが、当時は世の中にSEの仕事がメジャーになったころで。『私もSEになる!』と意気込んでIT企業に就職したのに、さっそく新人研修でつまずいて……(笑)」

最初の2年はSEとして努力したが、3年目に営業部に異動となり、全国各地のクライアントを訪れる日々を送った。人と接するのが好きだった菅さんにとってクライアントとのやりとりは楽しかったが、「自分は役に立っている」という実感は得られないままだった。

「クライアントからヒアリングした要望に対してソリューションを提案するには社内承認が必要になります。承認をもらうために社内交渉を重ねるのですが、自分の力では思うようにいかなくて……。チームの開発メンバーや同僚のサポートがあったおかげでなんとかやっていました。自信は持てないままでしたが、この会社の一員として成果を上げたい、という気持ちで頑張りたかったんです」

今その思いを、屈託のない笑顔で話してくれた菅さん。当時は毎日もがき苦しんでいたことだろう。


プルデンシャルなら、金融知識のスペシャリストになれるかもしれない

画像: プルデンシャルなら、金融知識のスペシャリストになれるかもしれない

「役に立っている実感がない」と悩みつつ朝から晩まで働き、休日出勤も重なった。知人が亡くなったときにはお葬式の参列も叶わず、「このままでいいのか」という疑問が何度も胸を渦巻いたという。

そんな菅さんの肩を叩いたのが、以前から知り合いだったプルデンシャルの採用担当者だった。仕事への情熱や、営業のプロフェッショナルであるライフプランナーの働き方を聞くうちに、いつの間にか菅さんは自分の仕事への悩みを打ち明けていた。

すると、返ってきたのはこんな言葉だった。「菅さんのコミュニケーション能力と“人の役に立ちたい”という強い気持ちは、プルデンシャルなら発揮できると思うよ。菅さん、うちで頑張ってみない?」。

「当時の私は、プロジェクトチームにおける“イチ営業”の立場で、他のメンバーの協力がないと前に進めませんでした。一方で、ライフプランナーは自分自身がスペシャリストになって、お客さまと1対1で向き合っていける仕事。私は、このライフプランナーの営業スタイルが自分に合っているかもしれないと希望を抱いたんです」

そしてプルデンシャルへの転職を後押ししたもう一つの理由は、大学時代に経験した父との別れがあった。


父との別れで痛感した「金融知識の大切さ」

画像: ▲菅さんの成人式のとき、ご両親との一枚。

▲菅さんの成人式のとき、ご両親との一枚。

「父は私が大学3年生のとき、がんで亡くなりました。音響の設計士だった父は当時、お台場のテレビ局の社屋建設に従事していてかなり忙しく、朝早く家を出て帰りはいつも夜中。土日も家にいないほどでした。最後は体調を崩し、プロジェクトが完成した直後に病院に行くと……」

医師の診断は「末期がん」。余命3か月と宣告された。
亡くなったのは、その診断にも届かぬ、わずか2か月後だった。

多忙を極めていた父。家族との時間は少なかったが、新しい音響技術に取り組み、海外視察や学会に出かける姿を見て、「お父さんは真剣に仕事に向き合っている」と尊敬していた。

「父が余命宣告を受けた頃、私は大学のテニスサークルに打ち込んでいました。今思えば、もっともっと家族に寄り添っていればよかったと後悔しています。父があんなに情熱を注いだ仕事の話も聞いてみたかったです……」

突然すぎる別れに、喪失感が家族を覆った。

「大きな悲しみの中で、母はこれまで父に任せていたことを自分でやらなければいけなくなって。特にお金の管理はわからないことが多く、苦労する姿を覚えています」

プルデンシャルの採用ステップを進むうち、当時の母の姿を思い出したという菅さん。

「『もしあのとき、頼れる人が身近にいたら……。保険だけじゃなくて、税金や社会保障制度、年金などは人生に必要な知識なのに、詳しい人は多くない。だから、そういった知識を身につければ、私でも誰かの役に立てるんじゃないか』。そう思って、長年勤めたIT企業を離れて、ライフプランナーとしてスペシャリストを目指すと決めました」


今度は、お客さまに頼られる存在に

画像: 今度は、お客さまに頼られる存在に

IT企業から生命保険会社へ。同じ営業職といえど、業界が変わればわからないことばかり。しかしプルデンシャルには、菅さんが目指す“金融のプロ”が大勢いた。

「転職して驚いたのは、先輩の皆さんがどんなに忙しくても、質問すれば仕事の手を止めて親身に話を聞いてくださること。フルコミッションという営業の世界にいても、とにかく自分の知識や経験を惜しみなく教えてくれるんですよ。これは本当に、プルデンシャルという会社の素敵な文化です」

最初の2年間は個人のお客さまを中心に経験を積んだが、3年目からは法人への訪問も始めた。「自分も金融の分野におけるスペシャリストになりたい」。その一心で、できることはすべて取り組んだ。先輩に教えを請い、社外の勉強会に通い、知識をつけながら、とにかく実践での経験を積んだ。

「法人の営業は、関連する法令や税務、会計など幅広い知識が必要です。お客さまからの質問に即答できないときは、会社に持ち帰って調べたり、管理職や先輩に相談したりしました。手探りでも、多くのお客さまと誠実に向き合おうと必死でした」

それが、菅さんのライフプランナーとしての礎になっていった。

「ベテランになった今でも意識しているのは、お客さまご自身でも気づいていない課題や欲求、つまり“潜在ニード”を見つけ出すこと。それが雑談の中から見えてくることもあるので、話を掘り下げて、お客さまの歩む人生を深く理解しながらニードを見つけます。生命保険の提案をするのはそのあとです。お客さまご自身で自分のニードに気づいていただけるように、とても丁寧にお話を伺うことが、ライフプランナーとして大切ですね」


菅さんの「MyRules」

画像: 菅さんの「MyRules」

お客さまからも、「しっかりしているように見えて、抜けているところもある。だから『応援してあげたくなるタイプ』だよね」と言われるという菅さん。後輩からイジられることも多いんです、と笑う菅さんの「My Rules」とは?


一事が万事

「何事も日ごろから誠実に行動しようと心がけています。タスクがあればすぐに対応するとか、わからないことは後日必ず回答するとか、一つ一つは小さなことが多いんですけどね」

「裏を返すと、相手の小さな行動もつい見ちゃいます。ちょっとした言動に素が出ることがあるじゃないですか。この方はどんな考え方を持っているのかな?と理解しようとすると、よい関係性を築くためのヒントにもなります」


感謝の気持ちを忘れずに生きる

菅さんには「人生で一番感謝した日」がある。それは前職を退職するとき。

前職の仲間が、当時結婚していたが式を挙げていなかった菅さんのために、披露宴の形式で100人の社員を集めた送別会を開いてくれたそうだ。そこにはウェディングドレスまで用意されていた。

「在職中にたくさん支えてもらったうえに、盛大に送り出してくれて胸がいっぱいになりました。そのとき、立派なライフプランナーになって必ず恩返しすると胸に誓いました。転職後も、元上司、先輩、同期、後輩の皆さんが私の話を聞いてくださって、ご家族やご友人も紹介いただいて。今の私があるのは、前職の皆さんのおかげです。今でも感謝の気持ちでいっぱいですし、そんな皆さんに頼っていただけるよう研鑽を続けます」

画像: ▲前職の退職直前に営業部で行ったサイパン旅行にて。

▲前職の退職直前に営業部で行ったサイパン旅行にて。


自然体で人と接する

「法人営業を始めたばかりのころ、営業管理職と一緒に税理士事務所を訪問しました。私は会話に追いつくのがやっとで、話の内容を身につけようと一語一句漏らさないようにメモを取るのに必死。その後お客さまから再度お声掛けいただき、二度目は一人で訪問しました。すると、法人を3社も紹介してくださったんです」

「あとで理由をお聞きしたら、私が一生懸命にメモを取りながら話す姿を見て『元気をもらえた』と。自然体のまま、精一杯やることで信用していただけるのだと学びました」

画像: 自然体で人と接する

やっと見つけた、「自分の居場所」

画像: ▲プルデンシャルの先輩・仲間と。

▲プルデンシャルの先輩・仲間と。

かつて「自分に自信がない」と悩み苦しんだ菅さん。あの頃と比べて今の自分をどう感じているか聞くと、こんな答えが返ってきた。

「最近は、お客さまが困ったときに『菅さん、これってさぁ…』とご相談をいただけることもあります。生命保険に関係がないことでも頼っていただけると、お客さまにとってそれだけ身近な存在なのかなと嬉しくなります」

そして、「自分の居場所を見つけた」とも思えるようになったそうだ。

「今は、お客さまはもちろん、同じ志を持つ仲間に囲まれています。特に 岡本絹代さん(同社ライフプランナー)とは、社内の研修会でたまたま隣の席になってからのご縁で、本当に仲良しです。最近では女性の営業社員は500名ほどに増えましたが、昔はもっと少なかった。数少ない女性同士ということもあって、絹代さんとは東京と大阪で離れてはいますが、いつも情報交換をして、刺激しあって、励ましあってきました。『お客さまのために』と切磋琢磨できる大切な仲間と一緒に、この先もここで成長し続けたいです」

最後に、菅さんの「夢」を聞いてみた。

「ライフプランナーは明確に夢を語れる人が多いんです。『みんな素敵だなぁ』と思うのですが、恥ずかしながら私にはこれといった夢がありません。夢を聞かれたときは、模索中ですと答えています。でも目標はハッキリしていて、この先もずっと大好きなこの仕事を続けること。そして、信頼できる仲間と楽しいことをしていけたら幸せです」

尊敬する父もきっと同じ気持ちで働いていたと思う、と菅さんは話す。「天国から見てくれていたら——『自分のやりたいことを信じなさい』って言ってくれるんじゃないかな」

両親、前職、そしてプルデンシャルで出会った仲間とお客さま。周りの助けによって自分の居場所を見つけた菅さんだからこそ、「今度は自分が人の助けになりたい」と努力を続けられるのではないだろうか。

画像: やっと見つけた、「自分の居場所」

執筆:大川 竜弥 写真:梶 礼哉 構成:プルデンシャル生命 ミモザマガジン編集部

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