風のように走り、目の前のサッカーボールを自在に操り、ゲームを作る。サッカーファンの目をくぎ付けにするプレーで異彩を放つ女性が、今回の「ミモザなひと」。女子サッカー日本代表の長谷川唯さんだ。彼女は現在、英国のマンチェスター・シティWFCに所属、目の肥えた海外のサッカーファンをも魅了する活躍を続けている。

唯さんがサッカーを始めた頃、日本には女子のプロリーグがなかった。サッカーだけでは食べていけない、海外で活躍する選手もごくわずかという時代だ。しかし唯さんは、そこに不安を感じることもなく、ただ目の前のボールを追いかけ、サッカーを全力で楽しんできた。彼女はなぜ、まっすぐに突き進んでこられたのだろう?

画像1: 「私にはサッカーがあった。夢中になれたから、走り続けてこられた」。女子サッカー日本代表、英マンチェスター・シティWFC所属 長谷川唯さん

実は、唯さんがサッカーを始めるきっかけとなった兄の伸さんは、「MIMOSAMAGAZINE」を運営するプルデンシャル生命のライフプランナーだ。今回はそのご縁から、兄だからこそ知る唯さんの素顔、そして唯さんへの家族の想いについてもお話を伺うことができた。

リラックスしたムードのなかで見えてきた、やりたいことを続けるために必要なマインド、そして人生を楽しく生きるコツとは?


サッカーの道に進むのは、「必然」だった

画像: サッカーの道に進むのは、「必然」だった
――唯さんがサッカーをはじめたのは、何歳の頃だったんですか?

唯:幼い頃から外で遊ぶのが大好きな子で、幼稚園に入る頃にはもうサッカーをしていました。幼稚園の休み時間にはボールを蹴っていましたし、帰宅後は兄と勝負していましたね。

きっかけというきっかけはないんですが、父も兄もサッカーをしていたので、私がそこに混ざるのも自然な流れだったんだと思います。

――唯さんが子どもの頃、「女子サッカー」はメジャーなものだったのでしょうか?

唯:いまと比較したら、そこまでメジャーではなかったと思います。小学校に上がってからも、サッカーをしている女の子はほとんどいなくて。所属したチームには、たまたまもうひとり女の子がいたので、その子とふたりで男の子に混じって、ボールを追いかけていました。

とはいえ、「女の子なのにサッカーなんてやってるの?」という偏見を向けられたことはありませんでした。通っていたサッカースクールでは、自由にのびのびとサッカーをさせてもらえましたし、恵まれた環境で育ってきたと思います。

――思う存分サッカーが楽しめる環境で育ったと。では、その道で生きていこうと思うのも自然なことだったのでしょうか。

唯:小学生の頃は他の男の子たちと同じように、なんとなく「将来はサッカー選手になりたい」と考えていました。ただ、中学校に上がってから、現実を知るんです。

その頃はまだ女子のプロリーグなんてなかったですし、女子選手たちはみんなサッカーをしながら、他の仕事も掛け持ちしてやっと生活をしていた。女子がサッカーだけで食べていける状況ではなかったんですね。でも、たとえそうだとしても、私はサッカーの道に進みたいなと。仮に他の仕事を兼業することになっても、サッカーができるならいいや、って。

私にとって、サッカーの道に進むのは「必然」でした。とにかく楽しくて、好きだから続けていて、「この道で生きていくのは大変かも」とか、そういったネガティブなことすら考えたことがなかった。他にやりたいこともないし、好きなこの道をずっと歩んでいくというか。

だからきっと、親も「私がサッカー選手になること」を当たり前のこととして受け止めていたと思います。


周囲の人に恵まれ、最高の環境で自らを磨けた

画像1: 周囲の人に恵まれ、最高の環境で自らを磨けた
――2009年には日テレ・ベレーザの下部組織であるメニーナに入団し、全日本女子ユース (U-18)サッカー選手権大会にも出場されました。レベルの高い環境に身を置いたことで苦しい瞬間などはなかったですか?

唯:中学1年生から高校3年生まで、メニーナに所属していました。いま思えば、私はそんなに身長も大きいほうじゃないし、チームメイトとは身体能力にも経験にも差があった。そんな状況で、大学生や大人を相手にした試合にも出場させてもらっていたんですが、だからといって苦しかった記憶はないんです。むしろレベルの高い環境で練習できることが楽しくて仕方なかった。

私、すごく負けず嫌いなんですよ。だから周囲のレベルに追いつこうと必死になれたし、どうやったら大きな相手と対峙できるだろうと考え抜いたことが、今のプレースタイルにつながっていると思います。それに、なんだかんだで「負けてない!」という自信もあったから、その環境でサッカーができることが楽しかったんです。

――どんどんサッカーの腕を磨いていく唯さんを前に、伸さんはどんな気持ちを抱いていたのでしょうか。

伸:当時、僕もサッカーをしていましたけど、上り詰めていく唯を見ていても嫉妬心はありませんでしたね。むしろ応援していました。それに、休日には相変わらず、サッカーで勝負もしていましたよ。年末から祖父の家に行って、元旦から、どっちが長くリフティングし続けられるかとか、遠くに置いたテニスボールに蹴ったボールを当てられるか、とかね。

唯:この頃になるともう、絶対唯のほうが勝ってたけどね!小さい頃はいつもサッカーで勝負していたので、兄のことは嫌いでした(笑)。仲良くなったのは、大人になってからです!

伸:え?そうなの!知りませんでした……。

画像2: 周囲の人に恵まれ、最高の環境で自らを磨けた
――女子サッカーチームに入って練習に明け暮れる日々を送りながらも、休日はお兄さんとボールに触っている。ということは、生活のすべての時間を練習に費やしていたんですか?

唯:周りから見たら遊ぶ時間を削ってまでサッカーをしていると思われるのかもしれませんが、正直、そういう感覚はありませんでした。

常にサッカーをしているのが当たり前だったので。中学校でも高校でも友達と遊ぶことなんてほとんどなくて、学校が終わったら急いで練習場に向かう毎日でした。練習開始まで時間があれば、ひとりでボールを蹴っていましたし。もうとにかく、サッカーに夢中でした。

――高校生になってからはメニーナから日テレ・ベレーザに昇格されていますね。

唯:高校2年生の頃にトップで昇格しました。ただ、当時はそうやってサッカーに熱中しつつも、大学に進学するための準備も進めていたんです。

その頃も変わらず、女子サッカー選手はやっぱり働きながらじゃないとサッカーを続けられない状況でしたし、周囲からも進学を勧められたので。ただ、2011年になでしこジャパンが女子ワールドカップで優勝したことで、それをきっかけに女子でもプロ選手になる人が出てきたんです。そういう先輩たちを見ていて、「もしかしたら私もプロ選手になれるのかな……」とぼんやり考えるようになっていきました。

そうして、大学を卒業したタイミングで、ベレーザのスポンサーさんからプロ契約を結んでいただけました。サッカーの練習量は負けない自信がありましたが、それだけではなくて、本当に私は周囲の人たちや、タイミングに恵まれているなと実感しています。

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