2冊目の本を書き終えて、母に謝りに行った

画像1: 2冊目の本を書き終えて、母に謝りに行った
―CODAという言葉に出会って、ご両親との関係性にも変化がありましたか?

五十嵐:CODAという言葉が直接、両親との関係を変えたということはありません。だけど、CODAという言葉を知り、身の回りの色々なことが動き出して最終的に両親との関係も変わったので、やっぱりそれが大きなきっかけになったという気はします。

その言葉と出会っていなかったら、多分本も書いていないし、映画化もしなかった。

―大きなターニングポイントになったのは、2019年のハフポストの記事「耳の聴こえない母が大嫌いだった。それでも彼女は『ありがとう』と言った。」ですよね。

五十嵐:そうです。最初は、書いたところで「果たして誰が読むんだろう」という気持ちでした。すごく個人的な話を書いたので。

でも記事をSNSでシェアしたところ、たくさんの反響をいただいて。その記事にどんな学びがあったのか、読んだ人が何を感じたのか、僕にはわからない。だけど見ず知らずの人たちから「書いてくれてありがとう」という感想をたくさんいただいて、すごく感慨深かった記憶があります。

とくに、今までまったくCODAやろう者に触れてこなかった方から「読めてよかった」という声をいただいたのは、何より嬉しかったです。

―五十嵐さん自身が過去と向き合って言語化していくのは、つらい作業だったんじゃないでしょうか。

五十嵐:おっしゃるとおり、わざわざ自分でかさぶたを剥がすような作業じゃないですか。そんなふうに自分で書いたりしなければ、もう忘れている痛みもあるのに。

でも、そうやって書いていくことで僕は過去を整理し直せたと思っているんです。それはその後、本を書いたときにも感じました。一冊目の『しくじり家族』なんて「苦しかった」とばかり書いていますが、苦しさでぐちゃぐちゃになっていた記憶や当時の心の中を、書くことで少しずつ見つめ直していくことができた。

画像2: 2冊目の本を書き終えて、母に謝りに行った
―自分の気持ちを書いていく中で、だんだんと親に対する思いも整理していった。

五十嵐:ちょうど、母に対して罪悪感まみれだった自分を客観視しながら書いたのが、2冊目に出した『ろうの両親から生まれたぼくが聴こえる世界と聴こえない世界を行き来して考えた30のこと』でした。

この本の最終章を書くとき、母に会いに行って謝ったんです。それまでのこと、ごめんねって。

そうしたら母も泣きながら、「謝らなくていいよ。あなたが苦しんでたことも、ちゃんとわかっていたから」と。もしかしたら、自分の耳が聴こえないことで息子が苦しんでいるのではないかと、彼女も負い目を感じていたのかもしれません。そんな必要はなかったのに。そのとき、完全にではないけど、自分の中で消化できていなかったものが、少し消えた。ちゃんと思いを伝えて、謝ることができたなって。

―それ以降、お母さまとの関係も変わったのでしょうか?

五十嵐:そうですね。僕はずっと母のことを「弱い人」だと思っていたんですけど、全然そんなことはなかった。強い人だったし、子どもの頃に「僕が守る」と思っていたのは幼い自分の思い込みで、子どもとして守られてきた部分のほうが圧倒的に大きかった。

これはほかの障害がある方にも言えることですけど、そのときから「“守る”という表現はおこがましい」と思うようになりました。守るのではなく、“ともに生きていく”。それ以来、母に対する気持ちや接し方も変わったような気がします。

―子どもの頃の五十嵐さんが、一人で背負おうとしていたものからようやく、解放されたんですね。

五十嵐:いまでも母とは仲が良くて、それ以降、本を出版した後に実家に帰ると、新刊が3冊ぐらい本棚に並んでいるのを見かけます。「あ、もう買ったんだ」と僕が言うと、「買ったどころか、お母さん何冊も買って近所に配ってる」んですって(笑)

やっぱり僕のこと、応援してくれているみたいです。

過去の自分に、恥ずかしくない自分になる

画像: ▲五十嵐さんが執筆時に使っているノート

▲五十嵐さんが執筆時に使っているノート

―五十嵐さんの本を読んでいるとすごく「自分の過去を受け入れている」という気がします。

五十嵐:記事や本を書くまでは、自分の苦しい過去なんて見たくなかったし、振り返っても後悔、罪悪感、苛立ちとかネガティブな感情ばかりが湧いてくるので、蓋をしていたと思うんです。

でも今はそれがなくなって、冷静に昔の気持ちや出来事を振り返れるようになった。今の自分から見て、当時の自分の気持ちをわかってあげられるようになったので、多分それが受け入れられている、ということなんだと思います。

―もし、以前の五十嵐さんと同じように過去を受け入れられず、立ち止まっている人がいるとしたら、どんな言葉をかけたいですか?

五十嵐:過去のこと、親のこと。全員が絶対に受け入れる必要があるかというと、僕はそうじゃないと思っています。蓋をして生きるほうが幸せならば、それでもいい。

だけど、もしこのまま生きた先で後悔する予感があったり、「自分は過去と向き合うべきだ」と感じていたりするなら、ぜひ勇気をだして向き合ってみてほしいです。そして、過去の嫌なことや苦しいことの責任はどこにあったのかというのを、冷静に考えてみてください。

「自分のせい」だと思っていたものは、社会や周囲の眼差しによって歪められたものかもしれない。そういうケースは、じつは少なくないと思います。

時間が経ち、知識や視野が広がったことで、冷静に過去を受け止められる部分があると思うんです。それを受け止めたら、その上で明日から自分がどう生きていくかが考えられるようになるのではないでしょうか。

―五十嵐さんにとって「自分らしさ」とは、なんですか。
画像: 過去の自分に、恥ずかしくない自分になる

五十嵐:いちばんは、「恥ずかしくないように生きる」ということ。

それは、かっこつけたいとか憧れられたいとか、他人軸の話ではなくて、あくまで子どもの頃の自分が今の僕を見て「恥ずかしい」と思わないような生き方です。

“自分らしさ”って、自分に嘘をつかず、素直に生きることだと思うんですよ。それができたときに、きっと「自分らしく生きられてるな」と感じるんじゃないかな。

現段階ではまだ目指している最中ですが、おそらく死ぬまでそんなことを考えていると思います。

―子どもの頃の自分に恥ずかしくない生き方。それを実現するために、心がけていることはありますか?

五十嵐:例えば、何か社会問題があったときに冷笑する人っていると思いますが、そういう生き方ってたぶんラクなんです。でも、自分は絶対にしたくない。

子どもの頃の僕は、そういう大人のことが大っ嫌いだったと思うんですよ。だから、そういう生き方だけはしたくない。ほんの少しの妥協や、流されたりすることはあったとしても、その度に軌道修正して、死の間際に「恥ずかしくない生き方ができたよ」と、子どもの頃の僕に伝えられたらいいなと思います。

画像: ▲幼少期の五十嵐さんとお母さま(ご本人提供)

▲幼少期の五十嵐さんとお母さま(ご本人提供)


画像: 「耳が聴こえない母が大嫌いで、大好きだった」 "CODA"として生きる作家・五十嵐大さんが過去の自分を受け入れるまで

五十嵐 大(いがらし だい)

1983年、宮城県生まれ。2022年、『エフィラは泳ぎ出せない』で小説家デビュー。『聴こえない母に訊きにいく』が第1回生きる本大賞にノミネートされる。『ろうの両親から生まれたぼくが聴こえる世界と聴こえない世界を行き来して考えた30のこと』を原作とした実写映画『ぼくが生きてる、ふたつの世界』が公開。が9月20日(金)より全国公開(9月13日(金)宮城県先行公開)。

取材・執筆:郡司しう
編集:山口真央
写真:梶 礼哉
TOP写真:島津美紗

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