大好きだけど、聴こえない母なんか嫌い

画像: 大好きだけど、聴こえない母なんか嫌い
―お母さまに対する思いの葛藤について、もう少し詳しくお聞きできますか。

五十嵐:母はいつもやさしくて、僕のことを肯定してくれて、何をするときでも「あなたなら大丈夫」って応援してくれる人なんです。小さな頃から母のことは大好きで、信頼もしています。

ただ、家から一歩外へ出ると差別的なことや、偏見をぶつけられたりする。今でこそ反論もできるけど、当時の僕は「それを言う人たちが悪い」ということがわからなかった。嫌な思いをする原因は、自分たちにあるんだって。

そして、誰が悪いのかを突き詰めて考えると、耳の聴こえない父と母が悪いという結論に行き着く。とくに母とは一緒にいる時間が多くて、大好きだったからこそ、苦しさの原因を作っているのが母であることに対して、「どうして?」という感情が湧いてきてしまった。

大好きだけど、聴こえない母なんか嫌い。当時の僕は、その相反する気持ちをどう処理していいのかわかりませんでした。

―それはどんな態度として、表出していましたか?

五十嵐:フレンドリーに話しかけるときもあれば、顔も見たくないという時もある。母からすれば、とんでもない気分屋に見えたかもしれません。

例えば、家という他人のいない空間でなら安心して話せるし、楽しい。だけど、本当に伝えたいことが手話だと伝えられないときがあって、それがもどかしくて会話が嫌になる。あるいは外に出て手話を使ったときに、周りから異物を見るような目で見られている気がして、心がざわつく。

そういうのが全部、「お母さんの耳が聴こえないからだ」という気持ちにつながってしまうんです。

―そういう五十嵐さんに、お母さまはどんなふうに接していたのでしょうか。

五十嵐:これは本当にすごいなと思うんですが、いつも通り、変わらないんです。

機嫌よく話しかければニコニコと返事してくれるし、僕がイライラした態度をとると「ごめんね。私の耳が聴こえないから」と言う人で。しつけには厳しかったですけど、母に対する態度で怒られたことはまったくない。おそらく母は、「この子が悪いんじゃなくて、私が聴こえないことで苦しめてしまっている」みたいに考えていたんだと思います。

でも母にひどい態度をとった後には大体、父にめちゃくちゃ怒られました。「なんで、お母さんにそんなこと言うんだ」とげんこつをもらったりして。

CODAという言葉に出会って、ほっとした

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―五十嵐さんがCODAという言葉に出会われたのは、いつ頃でしょうか?

五十嵐:20代の半ばぐらいですね。東京に出てきて、友人に誘われた手話サークルに参加したことがきっかけでした。

「耳の聴こえない親に育てられた、聴こえる子どものことをCODAって呼ぶんだよ」と言われて。そのとき、自分の生い立ちや境遇に名前がつくんだということに衝撃を受けると同時に、どこかほっとしたんです。

―ほっとした?

五十嵐:名前がつくということは、自分以外にも同じ境遇の人がいるということです。その時点ではまだ出会ってはいないけど、社会のどこかにCODAと呼ばれる人たちがいて、その人たちとなら一人でこれまで抱えてきた悩みや葛藤、体験を共有できるのかもしれない。

冷静に考えれば「そりゃあ、いるに決まってるだろう」と思われるかもしれません。ですが「そんな境遇の人、僕ぐらいしかいない」と思っていた自分にとっては、「一人じゃない」と知れたことが、すごく嬉しかったです。

―それ以来、実際にCODAの方たちと繋がる機会も増えましたか?

五十嵐:J-CODAという、CODA当事者の方が60名ほど参加する団体があって、僕も参加させてもらっているんです。そこで色々な繋がりができて、中でも気が合う人たちとは定期的に飲み会をしたり、一緒にイベントに参加したり。

―自分以外のCODAの方々に接することで、五十嵐さんから見て「CODAの方が抱える悩みや葛藤」というものを、どのように捉えるようになりましたか?

五十嵐:CODAといっても色々な方がいるので、一概に言い切ることができないのは大前提としてあります。その上で、個人的な視点でいうと「ろう者と聴者のどちらにもなれない」というのが、CODAが抱えやすいジレンマだと感じています。

ろう者の友人と過ごす時間は楽しいし、音のない空間に居心地の良さも感じる。だけど、彼らの本質的な苦しみを僕らは完全に理解することはできない。なぜなら、どうしても僕らは“聴こえて”しまうから。

彼らが受けてきた差別に対しては憤りを感じるのに、その苦しみと同じものは味わえない。そんなとき、彼らとの間に、勝手に距離を感じてしまうんです。

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一方で、音のある世界で聴者の人と話していると「音がある」ということを疑わないんだな、と感じてしまいます。例えば、僕はちょっと前までラジオに出演させていただいていたんですが、出演しながらもどこかで「ラジオって、ろう者を排除したメディアだよな」という思いが浮かぶ。

社会の仕組みやサービスとして、聴者の人たちが何の疑いもなく使っているものが「それって、誰も排除しないツールなんだっけ?」と心の中でどこかひっかかってしまうんです。そのとき、僕は自分が完全な聴者でもない、という感覚になります。

どちらにも属せない、宙ぶらりんの存在。だけど、多かれ少なかれ同じように感じているCODAの方々は結構いるような気がします。今は「どちらでもない、CODAという存在でいい」と思えますが、みんながみんなそう割り切るのも難しいと思います。

―お話を聞いていて、CODAに限らず、社会には同じように両極のどちらにも属せず、中間で悩んでいる人がいるのかもしれないと思いました。

五十嵐:きっと色々な場所にいますよね。日本には、白と黒の中間、いわゆるグレーゾーンと呼ばれる曖昧な部分にいることを、あまりよしとしない風潮がある気がします。そして、そこにいる人がときに無視されている。

最近、多様性という言葉が広まったおかげで、さまざまなマイノリティの方々が可視化されるようになりました。でも、聴こえる世界と聴こえない世界の狭間にいるCODAのような存在、いわば中間にいる人たちにはまだまだ目が向いていないようにも感じます。「どちらでもない」からこそ、取りこぼされてしまうというか。

―確かに。例えば“CODA”には名前が付いていますが、まだ名前もついていないグレーゾーンの人たちもいるということですよね。

五十嵐:そうだと思います。僕の場合は、“CODA”と名が付いたことで助かったし、それはラッキーなことだとも思います。でも、そこにも当てはまらず苦しんでいる人は、きっとまだまだいる。僕は社会で生きていく上で、そこに目を配りながら生きていたいなと思います。

でなければ、一人ぼっちで苦しんでいる昔の自分自身を、今度は僕が作ってしまうことになる。それだけは嫌なんです。

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