SNSを通じて、日々さまざまな情報が溢れている現代。ときには攻撃的な投稿を目にして、しんどい思いをする瞬間もあるかもしれない。しかしそんな中でも、現代を生きる人の心に寄り添った発信を続けている存在がいる。臨床心理士・公認心理師のみたらし加奈さんだ。

みたらしさんの言葉は、いつだってやさしい。それはまるで、傷つき、疲れ切った心に効く処方箋のようなもの。だからだろう、SNS上には、みたらしさんの言葉に救われたという人が後を絶たない。

みたらしさんはなぜ、発信を続けるのか。その先にはどんな未来を見据えているのか。LGBTQ+の当事者であることや、過去に受けた性暴力の被害を公表し、多くのマイノリティや傷ついた人々の「居場所づくり」をする理由は何か。彼女の原点と目指すべき場所について伺う。


「生きたい」と願うからこそ、自分自身を傷つけていた過去

画像1: 「生きたい」と願うからこそ、自分自身を傷つけていた過去
――みたらしさんは自傷行為をしていた過去があることをオープンにされています。差し支えなければ、当時のことを話していただけますか。

みたらし:そうなんです。自傷行為は、高校1年生の頃から大学院を修了するまで続いていました。当時の私はなぜその行為に走ってしまったのかわからなくて。

その後、臨床心理学の専門家として現場に出る前に教育分析を受け、自傷行為というアウトプットは無くなったんですが、要因はひとつではなかったと思います。ホルモンバランスの乱れだったり、過去に傷つけられた経験があったことだったり、人間関係で感じる孤独だったり……、そういったさまざまな要因が組み合わさることによって自傷に至ってしまったのかな、といまは感じています。
※専門家が受ける精神分析、カウンセリングの一種。

自傷行為というのは、心の痛みを言語化できなかったり、しんどさを表現できないときにすることが多いといわれています。自殺に至る可能性のある行為ではあるんですが、心の痛みを体の痛みとして代替して受け止めている部分もあるので、「死にたいのではなく生きたいから、自分を傷つけている」とお話しされる方も少なくありません。

私の場合もそれと同じで、「しんどさ」を表現したいけれどできなかったんですね。痛みを体に与えることで、心の痛みを取り除こうとしていました。しかし、その様子を知った友人から「どうしてそんなことするの! 悩みがあるなら言ってよ!」と怒られてしまって。でも私からすると、「言えないから切っているんだし、なんでそんなに怒ってるの?」という感覚でした。

―― そのような苦しい過去をお持ちだから、自然と心理学にまつわる仕事を職業にされたんでしょうか?

みたらし:そこはちょっと違うんです。もちろん、学生時代から心理学に興味はありましたし、しんどさを抱えながらも心理学の本を読み漁って、「いまの自分はどういう状態なんだろう?」と自分自身をモニタリングしていました。しかし「だから臨床心理士になろう」という方向にはいかなくて。当時はまったく業種の違うテレビ業界を志していました。

大学時代は人間学科に所属していて、哲学、文学、宗教学、政治学など、人間にまつわる幅広い学問に触れていました。その中に一応心理学もあったんですが、それを専門的に勉強していたわけでもなくて。就職活動の結果、テレビ局から内定をいただいたので、そのままテレビ業界で働くつもりでした。

画像2: 「生きたい」と願うからこそ、自分自身を傷つけていた過去
―― では、どのような経緯で臨床心理士・公認心理師になったんでしょうか?

みたらし:内定先のテレビ局でバイトをしていたとき、上司から「何歳になっても学べるんだし、あなたもまだまだ勉強に興味があるなら、大学院に進む道もあるよ」と言ってもらって、なるほど、と思ったんです。そこで頭に浮かんだのが「臨床心理学を学ぶこと」でした。

というのもその前に、身近な人が統合失調症になってしまって。本人からいろいろな連絡を貰っていたのに、私がうまく返事ができなかったことがずっと心残りだったんです。あんなにお世話になった人だったのに、私はなにもできなかった。不甲斐ないな……って思っていました。だから臨床心理学を学ぶことで、今後誰にどんな相談を受けたとしてもちゃんと返事をできる人になりたい、と思ったんですね。


This article is a sponsored article by
''.