自身の性被害を経て立ち上げた『mimosas』と、被害にあった方への想い

画像1: 自身の性被害を経て立ち上げた『mimosas』と、被害にあった方への想い
―― みたらしさんはNPO法人『mimosas(ミモザ)』を立ち上げて、そこでご自身の性被害についても打ち明けられていますね。

みたらし:そうですね。専門家と共に性被害や性的同意に関する情報を発信するメディア『mimosas』を立ち上げたきっかけは、代表理事の疋田万理が「性暴力の被害に遭ったとき、どこへ相談すればいいのか、相談したらどうなるのか……。そういった情報を見つけられず、わからないことばかりだった」というメッセージをもらったことがきっかけでした。疋田にメディアの立ち上げの必要性について相談されて、即座に「そういうメディア、必要だよ」と答えたのを覚えています。

そしてメディアを立ち上げてから、私自身も小さいころに受けた性被害についてお話をしました。私は小学生の頃に被害を受けました。でも、当時はその行為の意味さえわからなかった。すべてを理解したのは、大学院で心理学の勉強をはじめてからです。自分は性暴力の被害にあったのだとそのときに初めて知りました。

でも、もしも子どもの頃に知識があれば、私は自分がされていることの意味をちゃんと理解できたでしょうし、そうすればもっと早く、自分をケアできていたはず……。そう考えると、やはり『mimosas』のように性被害について発信するメディアは必要だと思います。

―― 実体験をオープンにするのは怖くなかったですか?

みたらし:もちろん怖かったですよ。いまの日本の現状だとどうしても、「性被害にあった」と一度公言すると、「性被害にあった人」としてのパーソナリティでしか見られなくなる瞬間が多いと感じていて。「なんで被害に遭ったのに笑っているんですか?」とか「元気そうに見えるから、被害は嘘なんじゃないか?」とか、私の人格や楽しかったこと、幸せだったこと、すべてを置き去りにされて、ただただ「被害者」でいることを求められてしまうというか。

でも、私が私のことを「被害者でしかない」と思い込まされてしまったら、それこそ人生の手綱を加害者に握られている感じがして嫌だったんです。でもそうじゃない。私の話としてこの話をしていいし、その恐れを感じるのは「私のせい」ではなくて、社会が変わるべきことだと思って発信をしました。

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また、性被害って「魂の殺人」と表現されることも多いんですが、サバイバー(性被害から生き抜いた人)としても、心理職としても、それには肯定しづらいなと思っています。

確かに、性被害は「殺人」と表現しても適当なくらいに重たく、被害に遭った人の心や尊厳を傷つけるものです。しかし、もし殺人だとしたら、被害者はもう生き返れないことになる。でもそうじゃない、いろんな支援者に出会って、加害者に握られてしまった手綱を取り戻すこともできるんです。絶対に自分だけの人生を歩み始めることができるはずだなって。

だからこそ、性被害に遭って絶望感を感じている人、自分の尊厳や命を「不要なもの」として認識している方のそばに居続けたいと思っています。もしかしたらこれは私のエゴかもしれませんが、そんな気持ちも、発信の中に滲ませています。

―― みたらしさんがそう語ることで、救われる方も多くいるのではないかと思います。もう一つ、みたらしさんはLGBTQ +の当事者であることもオープンにされていますよね。

みたらし:それについては「カミングアウトするぞ!」って意気込んでいたわけじゃなくて、当時付き合っていた彼女と一緒にYouTubeの投稿をはじめたら、それが結果的にカミングアウトになっていたというだけなんです。

―― 思っていたよりもカジュアルな形だったんですね。

みたらし:でも、それは私が環境に恵まれていたからかもしれません。私の周りには、昔から、LGBTQ+の当事者がたくさんいたんです。たとえば家族ぐるみで付き合いのあった男性同士のカップルもいましたし、高校大学の同級生の中にも同性同士で付き合っている人がたくさんいました。また、家の手伝いをしてくれていた方はカミングアウト済みのトランスジェンダー男性だったりもして。

そのような環境で育ってきたので、私が女性と付き合うことも「ふつう」のこととして捉えているんです。だからカミングアウトもしやすかったのだと思います。


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