昨今、国をあげて子どもたちへの教育改革が行われている。AIの急激な進化やパンデミック、気候変動など、予測不能な事態が相次ぐ現代。未来を担う子どもたちにとって、従来の枠にとらわれず、自ら課題を見つけ探求するチカラが求められているからだ。

そんな教育現場で、「教えない・一緒に作る」姿勢を貫き、子どもの主体性や創造性を育んできた先生がいる。それが今回の主役、山内佑輔さん。都内の公立小学校に図工専任教員して6年間勤務し、オリジナリティ溢れる取り組みで、子どもたちと実社会をつなぐ授業づくりに取り組んできた。

現在は小学校教員を“卒業”し、中野区の学校法人、新渡戸文化学園内にあるクリエイティブラーニングスペース「VIVISTOP NITOBE」の立ち上げから企画運営を担当。学校と地域が混ざりあい、子どもたちにとどまらず、訪れる人の創造性をかき立てる空間づくりを手掛けている。山内さんが抱く子どもたちへの想いや、自らの「やりたい」を実践する働き方とはなにかを聞く。


学校の新たな空間づくりへ。「VIVISTOP NITOBE」だからできること

画像1: 学校の新たな空間づくりへ。「VIVISTOP NITOBE」だからできること
ー「VIVISTOP NITOBE」には色んな道具や機材が揃っていて、とてもワクワクする空間ですね!まずはこの場所について教えてください。

山内:まず、VIVISTOPNITOBEには3つの役割があります。1つ目は「授業での活用」。新渡戸文化学園の小学校から高校までのさまざまな授業で、この場所を使います。たとえば高校の授業では、ものづくりの作業場にしたり、成果をプレゼンテーションする場として使ったりすることもあります。授業は、教科担当の先生のサポートをすることもあれば、児童・生徒たちのサポートにまわることも。

そして2つ目は、「休み時間や放課後に子どもたちが自由に使う場所」です。ここで授業の課題に取り組む子もいれば、プライベートなものづくりに取り組む児童・生徒まで、とくに中高生はプロジェクト授業の実験場みたいな使い方をしてくれる生徒も多いですね。

そして最後は、「地域の子どもたちへの開放」です。土曜日には学園の児童・生徒だけでなく、地域の子どもたちもこの場所を使うことができます。今は約100名の方々が会員になっていて、学園の子どもたちや僕自身も混ざって、さまざまな企画やものづくりをしています。

―地域の方にも開放されているのですね! 山内さんが「VIVISTOP NITOBE」に参画したきっかけは何だったのでしょうか?

山内:僕はもともと公立小学校の教師として働いていました。そのころから、週末は個人的にワークショップへ参加したり、自分で企画したりして、ワークショップの手法を学んでいたんです。

その活動を通じて知り合いが増え、VIVITAJAPAN株式会社ともワークショップを共同企画するような関係性になっていった。そういったご縁のなかで、VIVISTOP NITOBEの企画が立ち上がり、運営するプレイヤーとしてお声がけいただいたって感じです。

画像2: 学校の新たな空間づくりへ。「VIVISTOP NITOBE」だからできること
―なるほど。もしかして、ここにあるバリエーション豊かな椅子たちも、VIVISTOPNITOBEで作られたものとか…?

山内:そうです!ここにある椅子や机は、子どもたちと一緒に授業で作りました。決して使い勝手のいいものばかりではないけれど、どれもユニークで大好きな椅子たちです。それは子どもたちのアイデアとともに、プロのデザイナーが力を合わせて作ってくれたからです。

VIVISTOPNITOBEが始まったばかりのころ、ここには箱(場所)だけがあって、あえて中身はなにも用意しませんでした。中身から一緒に作っていきたい、この空間に合う椅子や机ひとつとっても、子どもたちと一緒に作りたいなと。すると「モノを作る」という観点で、僕も子どもたちと同じ方向性を見ることになる。

そうやってみんなが同じ目線で一緒に取り組めたことで、この場所の理念や効果も体現できた最初のプロジェクトになりました。


息子に「やりたいことをやろう」と伝えるために、まずは自分の夢を叶えてみた

画像: 息子に「やりたいことをやろう」と伝えるために、まずは自分の夢を叶えてみた
―山内さんは以前、小学校の先生をされていたそうですが、そもそもなぜ先生になろうと思ったのですか?

山内:これはとても単純な理由なんです(笑)。僕が小学校6年生のときの担任の先生がすごくいい先生で、その先生に憧れたからです。小学校6年間のうち、6年生が一番楽しく過ごせた1年でした。そして卒業式の当日、その先生が泣いてくれて。「大人が泣くことがあるんだ」という驚きと同時に、子どもながらになんだか嬉しかった。「子どもの前でカッコつけない、こんな大人になりたい」と思うようになりました。そのときから、「先生」という職業がひとつの目標になったんです。

大学生になって中学高校の教員免許を取得したんですが、多くの友人が就職活動をするなかで、僕だけ「先生になるから一般企業への就活はしない」っていうのがなんかもったいないなと。結局、就活して先生ではなく、大学職員として働くことになりました。

大学職員としては様々な経験をさせてもらいました。時には仕事が単調に思えてしまうことがあったのですが、生き生きと仕事をしている先輩にも出会えて。その姿を見て、「つまらないと思うような仕事も自分で面白くすればいいんだ」と思うようになりました。それからは少し仕事が楽しくなってきた感覚があります。

ーそんなやりがいを感じるエピソードがありつつも、数年で大学職員を辞められています。再び「先生」を目指されたのはなぜですか?

山内:2009年に息子が生まれました。「かっこいい父親になりたい」と漠然と考えていたさなか、2011年の東日本大震災が起き……。被害の大きさを目の当たりにして、「この子をどんなふうに育てたいか」と改めて考えたとき、「やりたいことはやろうよ、やっていいよ」と言ってあげたいなと。

でも、僕自身がずっと心のどこかで「先生になりたいと思っていたのに、夢を叶えようとしていない」と思っていた。自分ができていないのに、息子に「やりたいことはやろう」って言えないじゃないですか(笑)。これじゃいかんなと。


「教えない」先生だから、夢中になる授業をつくれる

画像: 「教えない」先生だから、夢中になる授業をつくれる
ー「小学校」にこだわった理由はあるのでしょうか。

山内:大学職員をしているときに産業カウンセラーの資格を取ったんですが、その過程で自分自身を見つめ直す機会がありました。それまではなんとなく「先生」になりたかった。だから僕は中高の教員免許も取得しています。でもなぜか行動に移していない。それは、やっぱり小学校6年生のときの先生が忘れられないからなんじゃないかなって思いました。じゃあ、やるべきは小学校教員免許の取得です。今から学校に通うのか?と迷いもしましたが、友人たちの後押しもあって小学校の教員免許を取ることにしました。
※産業カウンセラー:一般的に、心理学的手法を用いて働く人たちが抱える問題を自らの力で解決できるように支援することを主たる業務とする仕事


ー小学校の先生=担任の先生、「全教科を担当する先生」というイメージがありますが、山内さんは「図工」専任で担当されていたんですよね?

山内:はい。おっしゃるとおり、全国的には図工も他の教科と同様に、担任の先生が担当します。ですが、東京都の公立小学校は特殊で、図工専任の先生が各校に配置されるんです。だから僕は、たまたま図工専任の先生として採用されてしまった。なので、図工を担当するというのは僕の意志ではなかったんです。

ーとても戸惑われたのではないでしょうか……。

山内:はい(笑)。美術大学出身でもないし、絵の描き方や工作の仕方も教えられません。
いやー、どうしようと思っていたとき、とある図工の先生の授業を見せてもらう機会がありました。

その先生は図工の技術を教える授業ではなく、子どもたちの「やってみたい」を引き出す授業に取り組んでいて……絵画指導や工作指導はできないと思っていた僕でも「このスタイルなら自分にもできるかもしれない」ってピンときたんです。偶然、僕は大学職員時代にワークショップを運営した経験もあったので、自分らしい授業ができるんじゃないかと。

だから、「教えない・一緒に作る」っていうのは、僕が“教えられない先生”だったからこそできたスタイルです。たとえ僕がものすごく絵を描くことが上手でも、そのやり方を教えるだけが図工ではない。子どもたちが楽しそうに「創造」する喜びを体感してくれる場所を用意したいと思っていました。


子どもたちの主体的・探究的学びを育む、図工の「余白」

画像: 子どもたちの主体的・探究的学びを育む、図工の「余白」
ー実際の授業では、どんなことを意識されていましたか?

山内:図工って、学習指導要領において解釈の余白がある教科だと思うんです。「具体的に何をすべきか」が指定、強制されていない。その余白を活かしたいと思っていました。

まず、「余白を作ること」は僕の仕事ですが、「余白をどう過ごすか」は子どもたちが決めるべきだと考えています。それが創造性を育むと思っていますし、子どもたちと同じ目線で、一緒に考えて“何か“を作っていきたい。

でも、たとえば先生が「余白のある授業を子どもたちにさせています」と言ったら、その時点で子どもたちと先生の間に上下関係が生じてしまう。「子どもたちと一緒にやっている」という表現をするのは、創造性を育むという観点で、上下関係は必要ないという僕の想いがあるのかもしれません。

ーとはいえ、子どもたちは「先生との上下関係」に慣れているので、すぐに「同じ目線で」というのは難しいように感じます。

山内:教科担任の「図工の先生」だから、同じ目線になりやすかったのだと思います。担任の先生はいわゆる「親」のような存在で、生活を共にし、注意もしないといけない。責任が大きいんです。
でも図工の先生は、「親戚のおじさん」でいられる。専用の教室もあるし、その非日常的な空間に移動してきた例えば浮かない顔の子どもに「どうかしたの?」って本音を聞きだすこともできる。子どもたちからは「先生っぽくない」と言われることもありますが、むしろ褒め言葉だと思っています。


VIVISTOP NITOBEは、「化学反応が起きる“森”」でありたい

画像1: VIVISTOP NITOBEは、「化学反応が起きる“森”」でありたい
―そんな「教えない先生」が作り上げたこのVIVISTOP NITOBEは、一歩足を踏み入れるだけでワクワクが止まらない空間です。山内さんの「やりたかったこと」が詰まった場所なのですね。

山内:ありがとうございます!VIVISTOP NITOBEのユニークなところは、「複数の出来事が同時並行で起こること」です。大人が打ち合わせをし、その傍らで生徒たちがものづくりに取り組み、さらに授業も行われる。さまざまな取り組みが1つの空間で同時に動きながら、その間を自由に行き来できるようにしているんです。

たとえば、先日は高校の生徒たちが自主企画として3Dモデリングを作る講習会をやっていました。すると地元の子どもたちがやってきて、「3Dプリンターで作った自作のアイテムをバージョンアップしたい」という。「それなら、いま高校生が講習会やってるから混ざってみたら?」と。

空間を分断しないことでプロジェクトが混ざり、化学反応が起きていく。そういうユニークな場所はまだまだ少ないですし、まして学校内では限られています。こういう新しいスタイルを取り入れていきたいですね。

いまの僕は、VIVISTOPNITOBEの運営からワークショップの企画、ステークホルダーとの関係づくりをメインでやっています。そのなかでも大切にしているのは、誰かになにかを「させる」ということがないようにすること。子どもたちから「これやろうよ!」と始まることもあるし、僕から「これやろうよ」と声をかけ、何かが始まることもある。他者を巻き込んだり、他人に巻き込まれたりしながらプロジェクトを進めています。僕が誘っても、断られることもありますよ(笑)。
必ずしも誰かと共同的にやらなくてはいけないこともない。今はひとりでやりやいことがある、というのも大切な選択肢のひとつです。自分の選択を堂々と言える環境や関係性が大事ですね。

ー化学反応が起きるこの空間は、子どもたちにとってどんな存在なのでしょうか?

山内:例えるなら「森」でしょうか。人は森に行くとみんな思いおもいに過ごしませんか?木を揺すってみたり、枝を拾ったり、寝転がってみたり。

そういう営みって、本来の人間的な感覚の現れで、とても自然な行動だと思うんです。「リスを見に行くツアー」でリスを見るのと、森で探検しているなかで偶然リスを見つけるのとでは、そこに至る過程や感動がまるで違う。

VIVISTOPNITOBEは都会的で人工的な空間ですが、ここでの過ごし方は、偶然や感覚的なものを大事にしたい。子どもたちの「ひらめき」や「やってみたい!」を躊躇なく試せる場です。そしてそんな思いは、“隣の誰かがやっていること”を見て引き起こされるのかもしれない。だから、異なる要素をあえて分断せずに、訪れた人の人間的な感覚が働く「森」のような場所であることに、大きな意義があると思うんです。

画像2: VIVISTOP NITOBEは、「化学反応が起きる“森”」でありたい
ー感覚的なものを大事にしたいという想いは、山内さんご自身の経験からくるのでしょうか?

山内:そうですね。僕が小学校の先生になって取り組んだ図工の授業がそれでした。その授業では「新聞紙を使う」とだけ僕が決めて、何をするかは子どもたちに任せてみた。すると、新聞を細く切ったり長く繋いだりするうちに、気づけば教室いっぱいに新聞紙が広がっていた。さらに、仮装しはじめたり、新聞で工作してごっこ遊びがはじまったり、多様に自由に広がっていく感じが、僕には面白くてしょうがなかった。そんなふうに子どもたちと過ごすことが、まさに「森で過ごす感覚的な体験」だったんです。

これからは、方向づけすることもやめたいなと。ここに来た人たちが自然と流れをつくれるような、そんな場所にしたいと思って試行錯誤を続けています。方向性を決めたワークショップは世の中にたくさん溢れているし、ここではできるだけ自由に過ごしてほしいですね。


「同じことは繰り返さない」それは子どもたちと同じ目線でいるため

画像1: 「同じことは繰り返さない」それは子どもたちと同じ目線でいるため
ー訪れた方が自由に、「自分らしく」過ごせる場を作っているんですね。山内さんご自身は「自分らしく働く」ことができていますか?

山内:はい、ありがたいことに自分らしく働けているなと実感しています。むしろ「働くってなんだっけ?」と思うくらい「生きる」と「働く」が重なっているというか。いまの仕事では、“なにかをさせられる”ことがなくて、自分がやりたいと思うことがそのまま仕事になっているから「生きている」と感じられる。

でも「同じことを繰り返さないこと」「楽をしないこと」には気をつけています。過去にうまくいったことを繰り返す方が、楽ですよね。でもそれだと結果が想像できてしまう。子どもたちの反応も想像できてしまうと、“どんな結果になるんだろう”というワクワクする瞬間の楽しさを僕は味わえない。子どもたちと同じ目線で喜びあうためには、僕自身もその瞬間を楽しむ必要があるんです。

―なるほど。山内さんはPodcastやSNSを通じて、ご自身の「自分らしい」活動を積極的に発信されています。そこには理由があるのですか?

山内:「僕のことを知ってほしい!」とはあまり思っていないんです。Podcastは、高校の同級生とやっていますが、あれは本当におしゃべりを楽しんでいるだけで、誰かに向けて喋っている感覚がなくて。「なんで聞いてもらえているんだろう」と思うくらいで(笑)

ただ、VIVISTOPNITOBEって実態が伝わりにくいので、まずは多くの人に知ってほしいというのはあります。どんなことをしているのか聞かれたときに、差し出せる素材というか、ポートフォリオのようなものを作っている感覚です。

最近はInstagramが教え子との連絡ツールになっていて、「先生いまこんなことやってるんだよ」って、卒業生に向けて発信している感覚が近いかもしれません。そういえばこの間、卒業生が「先生ってほんとにPodcastでしゃべってるんだね」って言ってくれて。なんだ、意外と聞いてくれてるじゃん!って、うれしかったです。いい時代ですよね。

ー子どもたちの創造性の扉が開くような空間を造り上げた山内さん。ご自身は、今後どうなっていきたいですか?

山内:どうなるんでしょう(笑)。いまは、VIVISTOPNITOBEのような空間を作るプロジェクトをサポートしたり、大学で非常勤講師をしたりしながら、僕自身も学生として大学院に通っているんです。

これからどうなってもいいように、チャンネルが増やせるように、自分を高め続けたいなとは思っています。僕自身の新たな可能性を探っているのかもしれませんね。

画像2: 「同じことは繰り返さない」それは子どもたちと同じ目線でいるため

画像: 子どもたちに創造性を育む場所を。VIVISTOP NITOBE  山内佑輔さんの「一緒に作る」古くて新しいメソッド

山内佑輔

新渡戸文化学園 VIVISTOP NITOBEチーフクルー。プロジェクトデザイナー。東京造形大学非常勤講師。大学職員、公立小学校の図工専科教員を経て、2020年4月に新渡戸文化学園へ着任。VIVITAと連携しVIVISTOP NITOBEを開設。2021年VIVISTOPでの取り組みがキッズデザイン賞最優秀賞内閣総理大臣賞受賞。2021年3月からPodcast「山あり谷あり放送室」を配信し、第3回JAPAN PODCAST AWARDSベストウィルビーイング賞ノミネート。

取材・執筆:水口幹之
編集:山口真央
写真:梶礼哉

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