ベストセラーとなった『学年ビリのギャルが1年で偏差値を40上げて慶應大学に現役合格した話』(KADOKAWA)の主人公 “ビリギャル”には、実在するモデルがいる。現在NY・コロンビア教育大学院に通う、小林さやかさんだ。ビリギャルとして一躍有名になった経験は、その後の人生にも大きな影響を与えたという。
小林さんは慶應義塾大学を卒業後、一般企業で働いたのち、2014年に独立。“子どもたちの可能性を広げたい”という想いから、自身の過去の経験を活かし、全国各地で教育に関する講演活動を行ってきた。そして2022年の秋には順調だった仕事を手放し、教育心理学を学ぶため大学院進学という道を選択している。
真っ直ぐな瞳で「意志あるところに道はひらけると思うんです」と、熱い想いを語ってくれた小林さん。常に前を向く彼女から、人生を見つめ直したい方へ――。
「挑戦を続ける理由」と「“失敗”への向き合い方」を贈る。
人との出会いを求めた大学時代。目の前の人から「ありがとう」がもらえるサービス業に惹かれた
小林:大学時代は、とにかく積極的に人と出会うことを意識していました。『ビリギャル』の著者でもある、恩師・坪田先生からのアドバイスがすごく心に残っていて。「君は人が好きだから、人との出会いが、必ず人生の転換期になるよ。だから、人との出会いを大切にしなさい」という言葉でした。なるほど、そうかと。
大学以外でも、企業で社長のアシスタントをしたり、大きなファッションショーの裏方をしたり、下北沢の居酒屋で働いたり......。卒業後やりたいことは特に決まっていなかったので、とにかく面白い人とたくさん出会うために動きまくった大学時代でした。
小林:はい。新卒でウエディングプランナーになりました。居酒屋で働いていた時に、「目の前のお客さんから『ありがとう』がもらえるサービス業って最高だな」と思ったことがきっかけです。
大学の同期の多くは、広告代理店やテレビ局だったり、華やかな業界にエントリーしていたんですが、いまいちピンとこなくて。私は「自分がやったことに対しての評価=ありがとう」を、目の前で見たいというタイプの人。サービス業は相手の反応が直に感じられるし、そもそも人が好きだし、私ってサービス業に向いてるじゃんって気づいたんです。
そんな時に読んだ、『リッツ・カールトンホテルが大切にする サービスを超える瞬間』(かんき出版)という本がとにかく素晴らしくて......。電車の中で他の乗客がびっくりするくらい、めっちゃ号泣したんですよ(笑)。翌日には、スーツを着てリッツ・カールトンホテル六本木に「ここで働かせてください!」と直談判しに行きました。
小林:門前払いされるかと思ったら、フロントの方の応対が素晴らしくて。当時のリッツ・カールトンは中途採用しか行っていなかったそうなのですが、「将来、一緒に働けることを心から楽しみにしています」と言っていただけたんです。ただ飛び込みで来た就活生に対して真摯に接してくれました。改めて、サービス業は感動を与える仕事なんだって感じて。
その帰り道に「リッツと並ぶような感動を与えるサービス業ってなにがあるのだろう」と考えて、ウエディング業界だと閃いたんです。どちらも非日常で、一期一会の大切な瞬間があって、お客さまの期待を超えるサービスが感動を生む。個人のプロデュース力が試される点が似ているなと。それで、ウエディングプランナーになろうと決意しました。
その後しばらくして、ビリギャルとして注目されるようになり、もっと自由に動きたいという思いからフリーランスに転身しました。
年間100本の講演から学んだ、「サービスを超える瞬間」をつくり上げること
小林:学生や先生方、親御さん向けに、500本以上のイベントや講演の登壇をしてきました。その中で私が大切にしていたのは、「自分のパッションはぶらさずに相手のニーズを汲み取ること」なんです。来場者の方は何を求めて来てくださったのか、みなさんを会場に運んできたものは何なのかを考えぬいてからお話をしていました。
もっと言うと、講演って壇上で一方的に話をするイメージがありませんか?でも自分のパッションをちゃんと伝えるためには、まずは相手の“聴く姿勢”を引き出すことも大事だと思います。
例えば、中学生・高校生向けの講演では、最初の一声であえて砕けて「ヤッホー!」と言ってみたり。すると、みんな「何だろう!?」って会場がざわざわっとする(笑)
学生は本当に正直なので、最初の数分で「この人の話を聞くかどうか」を決めるんですよね。聞かないと決めたらすぐ寝ちゃうし(笑)。みなさんもそんな経験、きっとあると思うんです。だから、最初に心を掴んでおく。あとは、ビリギャルだった私だからこそできる「学校の勉強つまんないよね、わかるよ!」と共感したり。相手のことを第一に考え、話し方や話す内容も変えていました。
小林:渡米前は、講演だけで年間に約100本、それを5年ほどやっていたので!
もちろん、親御さんや先生方の前ではもう少しフォーマルな講演をします。話す側の立場になるとわかるんですが、壇上からって、みなさんの顔が本当によく見える。親御さんたちが一生懸命メモをとってくれていたり、学生たちがこっちを向いて笑っていたり、話を聞いている人たちのリアクションがわかるからこそ、こちらもちゃんと準備をして臨んでいました。
ウエディングプランナーの時も、趣向を凝らし、毎回違うアイデアを出すことがやりがいでしたし、新郎新婦やゲストの方々の想像を超えられた瞬間にすごく誇らしい気持ちを感じていました。それって、私の原点であるリッツ・カールトンの「サービスを超える瞬間」にも繋がると思っていて。
元ビリギャルとして人前に立つ時も、目の前でみなさんが笑顔になってくれる姿を見られるので、私の中では “サービス業”の延長線上にある活動だったんです。
ビリギャルとして多くの人と出会えたから、教育や人の可能性についてより考えるようになった
小林:講演の後に、学生たちがSNS経由でDMを送ってくれたり、直接胸の内を話してくれたりすることがあるんですよね。例えば、「本当は声優になりたいけど、親に言ったら『そんな馬鹿なこと言うな』と一喝されてしまって諦めている」っていう相談とか。そんな声がめちゃくちゃありますね。
やはり、昔の私みたいに悩んでいる子どもたちも多いんだと思います。勉強ができないからって周りの人に見下されたり、信じてもらえなかったり。頭にくることもたくさんあるんだろうなって。私はそんな子の気持ちがすごくわかるからこそ、「もっと人の、子どもたちの可能性を広げるための力になりたい!」と思いました。
小林:一言で言うと、「ビリギャル当時の私はとてもラッキーだった」ということに気付かされたからです。偏差値28でも「慶應義塾大学に行きたい」と言った私を応援してくれた母・ああちゃんがいたこと、私が合格すると信じて、どんなに初歩的なところからでも根気強く教えてくれた坪田先生のような人に出会えたことって、今の日本社会では奇跡に近い、贅沢な環境だったんだと。当時の私のことを信じて、認めてくれた。
ビリギャルとして取り上げられたことで、各地で色々な人に出会うことができて、世の中の子どもたちが置かれている状況を知りました。だからこそ「私に何ができるんだろう」と、本気で考えるようになったんです。
コンフォートゾーンを抜け出すため、NY・コロンビア教育大学院へ
小林:昔の私をもっと科学的に証明したい、と思いました。「私はなぜ勉強ができるようになれたのだろう」を深堀りして、言語化したかったというのが一番の理由なんです。
ビリギャルとして取り上げられた当時、「元々頭がよかったから合格できただけだ」という意見も多くありました。でも、私は元々「頭が悪い」と散々言われていて、自分でも勉強ができない人間だと思っていたんです。それが慶應義塾大学に合格した途端、みんなに手のひらを返したように「元々頭がよかった」と言われて……。でも、そうじゃないと思うんです。
人間はどうやって物事を考えたり、記憶したり、理解したりするのか。どういう環境があれば人は前向きに学べるのか。そういった認知科学的なアプローチをするため、教育心理学プログラムで学んでいます。
小林:めちゃくちゃ勇気がいりました!でも、アメリカに来なかったら、私は “超コンフォートゾーン(居心地のいい場所)”にいたと思うんです。仕事も順調で、ある程度収入もあって。住み慣れた日本で、美味しくて安いご飯が食べられて、休日は友達と飲んだりして......。正直、あんなに快適な環境はなかったです。
でも私の中に、「ずっとこのまま、ぬるま湯に浸かっていていいんだろうか?」っていう不安があったんです。大学受験の時も、勉強なんかしないでそのまま友達と遊んでいた方がよっぽど楽でした。でも、そんなコンフォートゾーンを抜け出したからこそ、今ここまで来られたのかなと。
それ以来、意識的にコンフォートゾーンを抜け出して、自分が成長できる時期を作るようにしています。
小林:もうこれは「意志あるところに道は開ける」、これに尽きると思います。実行に必要な能力だとか手段だとかについては、後から考えればよくて。まずはやってみることです。
大きなジャンプをする勇気が出なかったら、まずは小さなことから始めてみると良いと思います。例えば、英語圏に留学したかったらTOEFLを受けてみて、自分の英語のレベルを知ることから始める。望んでいるパフォーマンスと、今回得られた結果の差を分析して、その差を埋めていく。自分に足りないものを直視するのは辛いけれど、理想とのギャップをちゃんと潰していく作業ができるかどうかにかかっていると思うんです。
あとは、「自分との約束をどれだけ守ってきたのか」ということも、自信に繋がると思います。
小さな成功を積み重ねて、自分に信頼が置けるようになれば、勇気を持って新しい一歩が踏み出せるようになるのではないでしょうか。
小林:もう失敗だらけです!「失敗、失敗、失敗、ちょっと成功」くらいの比率ですよ(笑)
大学受験の時も本命だった慶應義塾大学の文学部は落ちてますし、今回のアメリカ留学も、願書を七個出して合格した数少ない大学の一つがコロンビア大学だったって感じですし。
でも、最近は “失敗”なんていうものは存在しないんじゃないかとも思っていて。今ちょうど大学院で、ノーベル化学賞・受賞者の過去のモチベーションに関する理論の分析をしているのですが、そこで成功に必要な二つの要素を見つけたんです。
それは、①割と早い段階で小さな成功体験を積んでいること ②失敗に寛容で支援的な環境にいること。そんなことが見えてきました。
失敗がなければ成功はないからこそ、失敗しても怒られたり無下に否定されたりしない、”失敗に寛容な環境”が重要なんですよね。認知科学的にも、信じてくれる人の存在や環境は成功において、とても大切なんです。私がそんな環境作りに貢献できたら最高だなって。
自分が幸せになることで、人を幸せにできる。まずは自分自身を知ることから
小林:もう、すごく影響がありました。正直、ビリギャルとして取り上げられたことで、友達が離れていってしまったり、心ない嫌味を言われたり......と辛い出来事も経験しましたが、自分の人生にとっては、ポジティブな影響の方が百億倍大きいと思っています。
苦しい時期があったから、人の悲しみや苦しみに敏感になれたし、何より自分が「人生をかけてでも取り組みたい」と思えることにも出会えた。日本の子どもたちのために私は何ができるだろうか、とここまで真剣に考えるようになったのは、やはりビリギャルのおかげだと思います。
小林:「自分が幸せになると同時に、人を幸せにすること」だと思います。
私は自分が幸せだなって感じられる仕事じゃないと、やりたくないんです。やりたくない仕事をしていても良いパフォーマンスは出せないし、まずはやりたいと思える仕事をして自分自身が幸せになることが大切だと思うんです。
でも、NYに来たからこそ感じたことですが、日本には「誰かを幸せにするのは得意だけど、自分を幸せにするのはあまり得意じゃない......」っていう人が多いんじゃないかなと。もっともっと自分の幸せを求めるべきです。
小林:わかりますよ~!それなら、やりたいことを見つけるために、まずは自分自身のことをよく知ることが大切かなと思いますね。
今アメリカで流行っている「Social Emotional Learning(社会情緒的学習)」という考え方があるんですが、これを簡単に言うと、“自分と向き合い、自分のことをよく知って、自分の環境をコントロールできるスキルを蓄え、他者との関係もよくしていこう”というものです。この考えを教育に取り入れることで、自主性が育まれるし、学力も上がると言われています。
例えば、流行のマインドフルネスでも、毎日日記を書くことでもいい。“出来事”ではなくて、“自分の気持ち”を言語化してみることが有効なんです。自分に向き合うことで、ちょっとずつ好きなことや、やりたいことが分かってきたり、新しいコミュニティに関わるきっかけができたり。そこからまた新しい道が開けたりする。
だから、自分の幸せや望みがわからない人は、まずは自分自身に意識を向けてみることが有効だと思いますよ!
小林:留学が終わったら起業したいなと思っていて。まだ構想段階ですが、「自分の意思を持って生きることができる子どもたちを増やしたい!」という想いがあります。偏差値なんかに左右されず、生きる力をつけてほしい。今はそれを実現できる方法を模索しています。
あとはアメリカにいる間に、英語での講演もやってみようかなと。「いやいや、ポンコツ英語の私には無理でしょ!」と思ってしまう自分もいますが(笑)。何事も挑戦ですよね。
もっと自分の世界を広げるために、“常に日本以外の国にも拠点を置く"という夢もあります。
きっとこれからも、自分のコンフォートゾーンを抜け出して、色々なことに挑戦していくんだろうなと思います。
※取材はNYと東京をオンラインでつないで行い、記事内のお写真は小林さんからご提供いただいたものです
小林さやか
『学年ビリのギャルが1年で偏差値を40上げて慶應大学に現役合格した話』(坪田信貴・著)の主人公であるビリギャル本人。慶應大卒業後はウェディングプランナーとして従事した後、ビリギャル本人として500回以上の講演や記事執筆など、幅広い分野で活動しながら、教育科学の研究のため聖心女子大学大学院に進学、修士課程を修了。2022年秋には「子どもの能力を信じて引き出すことができる教育者の育成」を研究テーマに、米国コロンビア教育大学院にて認知科学を学んでいる。著書「ビリギャルが、またビリになった日 勉強が大嫌いだった私が、34歳で米国名門大学院に行くまで」(講談社)。
取材・執筆:野風真雪
編集:山口真央