「海外で働いていた」と話すと、ざっくりと「どうだった?」と感想を求められることが多い。そんなとき、いつも私は答えに詰まってしまう。海外で経験したことがあまりに多くて、それらを端的にギュウっとまとめて話すことが難しいからだ。

それでもあえて、ギュウゥ〜っと極限まで短くまとめるなら、「経験することの大切さを知った」というありきたりな言葉に行き着いてしまい、やっぱり何も伝わっていない気がする。そこで今回は、もう少し具体的に、海外に住んだ11年間の経験を、原稿用紙数ページくらいの文章に詰め込んでみようと思う。

その前に一点だけ、「働く」がテーマのエッセイにも関わらず、仕事の枠を超えた生活や考え方などについての話が多くなってしまうことには、目をつぶってもらいたい。「仕事目的で行ったのに、仕事だけにとどまらない幅広い経験が人生にまで影響する」という「海外あるある」が、私の身にも起こったため、仕事の外側についても触れずにはいられないのだ。

私が海外で生活していたのは、昨年秋に帰国するまでの約11年間。最初に海を渡ったきっかけは、米国の国立研究所に研究員として採用されたことだ。とはいえ私は、キャリアスタートの時点から海外行きを希望していた訳ではない。約16年前に研究者としてのキャリアをスタートさせた私は、当初、海外で行われていた最先端の研究に興味はあったものの、「英語は苦手だし、出不精だし、吃音もあってコミュニケーション苦手だし……」といった「だしだし」尽くし。海外で働くことを現実に起こりうる未来として想定してはいなかった。

ところが、キャリアを力強く切り開く妻の姿や、前回のエッセイにも書いたように毎日を全力で生きる子どもの姿に刺激を受け、徐々に自分のやりたいことにまっすぐ向き合うようになっていった。その結果、キャリア3年目頃には上記の「だしだし」沼から抜け出し、やりたい研究を実現するために海外の公募へ挑戦するまでになったのだ。そして幸運にも、キャリア4年目に米国の研究所に採用され、自営業の妻と子どもと四本足の家族の一員(猫)と一緒に、日本を出発した。

このような経緯で海外生活を始めた私が「海外へ行ってよかった」と思うことの一つは、「なんとかする力」が鍛えられたことだ。例えば、私の場合、現地での採用による就職だったから、仕事の契約はもちろん、ビザや住居の手配、また子どもの保育園や学校など、あらゆる手続きを自分たちだけでやる必要があった。米国滞在中には、下の子の出産という私たち家族にとって極めて大きな出来事を経験し、オーストリア滞在中には、救急車を呼んだこともあった。右も左も分からない土地で苦労も耐えなかったが、このような経験は、「この先なにが起こってもあの時のようになんとかできる」という自信に繋がった。

また、海外での日々は、自分のアイデンティティに向き合う日々でもあった。私はまだ世界に溢れる「多様さ」のほんの一部しか知らないが、それでも海外にいると、自分はその「多様」の中の何者なのかと考えさせられる場面の連続だ。仕事仲間との雑談で日本の社会について聞かれることは日常だし、街を歩けばアジア人として差別されたり、アジアルーツの人同士で助け合ったりする。多様な文化に触れることで、人を思いやる温かさと社会的弱者への冷たさを併せ持つ日本文化の特異性を再認識できたりもする。このような生活の中で私は、以前より自分自身を客観視できるようになった。

次にもう一つ、海外に行ってよかったと思うことは、やっぱり人との出会いだ。ここでは、中でも印象的だった2人を紹介する。

まず一人目は、米国の研究所で出会った、私の研究分野を代表するいわゆる「レジェンド研究者」だ。出会った時はもうかなり高齢だったが、それでもその人は、どんな学生の発表にも真剣にコメントし、小さな研究会に出るだけでも自身の発表練習を入念に行っていた。ただひたすら真面目に研究や教育に取り組んでいたのだ。世界の最前線には、まっすぐと科学を発展させている人たちがちゃんといる。この事実を体感できたことは、「まっすぐ」を信条とする私の仕事観や人生観を再確認する意味でも大きな財産になった。

二人目は、オーストリアで出会った、下の子どもが通っていた保育園のパパ友だ。その人はシリア難民だった。その時期のオーストリアでは、難民の受け入れによって治安が悪くなると盛んに報道されていたのだが、報道の印象とは真反対に、その人はとにかく優しかった。職を不当に解雇されても恨み言一つ言わず次の職を懸命に探し、バスの中で他の乗客から警戒された態度を取られても笑顔で席を譲るなど、人に感謝しながら毎日をただ真面目に生きていた。戦争や差別といった人間の怖しさの渦中にいるその人が見せる優しさに、私は圧倒された。また同時に、情報に踊らされないことの大切さも実感した。

こうして改めて振り返ってみると、なんとも濃ゆい11年間だった。だが、ここまで書いてきて元も子もないが、これらの経験をどれだけ文章にまとめても、やはりその本質を伝えきれている自信はない。私も海外に出る前は、様々な経験談をネットで調べたが、実際の経験はそのほとんどが想像とは違っていた。いまではスマホの普及などにより、世界中がデジタルな情報に溢れかえっている。でも残念ながら、人間の想像力は、デジタルな情報に足りない部分を、実体験に匹敵するレベルで補えるほど優れてはいない。私が海外で得た教訓はやはり、冒頭に書いた「経験することの大切さ」、これに尽きる。

画像: 「海外経験あれこれ」で痛感した大切なこと  中川まろみ<第二回>

中川 まろみ:
まっすぐ生きたい人。2児の父親。吃音障害者。日本で理学博士を取得後、日本の研究所に4年、米国およびオーストリアの研究所に11年勤める。2022年に帰国し、キャリアを変更。現在は、子育てに軸を置きながら、妻の事業に参加し、また、フリーの立場から依頼のあった研究活動に携わる。同時に、国内外における仕事や育児関係、また障害者としての経験などを元に、幅広い話題について発信するライターとして活動中。

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